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2001年の断片

 

      Atsushi Kadowaki 2000

 

2.23

 種々雑多なことを介さずにそのものを知るということ。それは可能なことなのだろうか。
 たとえば、その人の年齢や性別、出身地や幼少の頃、学歴や職歴、趣味や顔つき、体型、といったものを知らずには、その人のことを知ったことにはならないのだろうか。

 

2.27

 「プロ」という言葉の奇妙さ。お金をとって仕事をするために、自分の信念という鋭く堅いものをいともあっさりと投げ出してしまうこと。そしてそれに応じないことを指す「アマチュア」。
 ということは、 皮相な技術をお金で売り買いすることを指して「プロ」というわけだが、それがさも重大なことのように扱われている。逆に言うと自分の信念を遂げんとして行う妥協のないものは、自分にしか通用しないということをもって価値の低いものと考えるのだ。いかにも資本主義の倫理や原理具現しているわけだが、それに気づいてやっているのとそうでないのとでは大違いである。あたかも「金をとってうまい口上を教えるソフィストが「プロ」と呼ばれ、金を取らずに魂を善きものにせんと命までかけた人を素人と呼ぶようなもので、しかしそれは実際言葉の使い方としては大方の人がそう使うという意味において、それが正しいのかもしれない。だから私は永遠の素人でいたいと直感的に感じ取るのであろうし、「専門家」という言葉にどこかキッチュなあやしい響きを感じ取るのだろう。
 

 

3.13

 つぎつぎに浮かんでくる、言葉や音やイメージを、実際につかまえて形にしてみると、実につまらないものに思えてくるのはどうしてだろう。

 

3.15

 ひとより優れているという喜び、ひとと同じだという安堵感、ひとよりも劣っているという絶望感、そして、それらをこえたところにある生き方。人間的な生き様、人間くささのないあり様、神に近づかんとするあり方、神にならんとする生き方。しかしそれは選択するというような内容のことがらではないのだろう。自ずとそうなっているというたぐいのことで、水面の下に眠るものを、静かにすくいあげるような、じっと眠りつづける鉱山の一角を、たゆまぬ努力をもって掘り当てるような、そんな過程の中から明らかになってくるなにものか、といったものなのだろう。それは選び取る、とういうようなものではなく、何かの偶然の恵みのような、そんなもので、われわれはそれをたまたまひろいあてることもあるということなのだろう。

 

3.19

 芒は風に洗われてやがて輝く存在となる。

 地面の中へと吸い取られていく私の大事な雪たち。あの山の向こうには今も君たちの仲間はいるのだろうか。

 

3.25

 組織の理想とする強靭さ。そして本当は持ち合わせるべき脆弱さ。常に流動化する可能性を持つという意味で強靭さを秘めた脆弱な組織。

 

Atsushi Kadowaki 2001

4.6

 今日、もしかしたら、死んでいたかもしれない、という場面があった。自転車で坂を下る途中、ブレーキのワイヤーが切れてしまい、あと一歩で交差点に突っ込むところを、かたわらの電柱にぶつけて自転車を止めたのだ。
 ブレーキがきかなくて電柱に激突、などというと実にコミカルな描写だが、現実は実際、とてもシリアスなものだった。自転車のハンドルは曲がり、眼鏡は数メートル先に飛ばされ、左目のあたりがはれ、頭の奥にかすかな痛みが残る。おおむねたいしたことはなかったわけだが、とっさに電柱にぶつからなかったら、交差点を通過していたらと思うと言い知れぬ不安感におそわれる。電柱にぶつかったのもとっさの判断というより、偶然の出来事で、本当はラッシュアワーで渋滞する車がなかったらそのまま一直線に交差点まで行ってしまっていたはずなのだ。そうしたことを繰り返し考えていることが、からだのどこかに言いようのない不安をかきたてる。そしてふと思う。こんな日常のささいな事故とも呼べないようなことがらにもこんな気持ちを抱くのなら、戦争に行った人たちや、戦争に巻き込まれた人たちというのは、どんな心もちなのだろう、と。あと少し何かが違っていたら、もしこうだったら、そう考え出したら止まらない、あの、また同じプレッシャーを感じたくないという負の気分。とてもあのとき死んでいたと思って前向きに生きていこう、などというきれいごとに耳を傾けたいとは思えない、リアリティのもつ重さ。

 

4.13

 神のように、全能でないことの幸せ。出来ないことがたくさんあるという喜び。不完全であることの安心。そして、出来るからといってそれをしてしまうことの不健全さ。得だから、楽だから、健康にいいからということによる画一的な判断基準の貧困さ。

 

4.14

 冗長な有限と一瞬の無限。

 

4.18

 桜の花が咲いている。それは咲き誇っている、というよりも、どこか自分の内部の傷つきやすく、はかないところを恥ずかしげにそっと風にのせているようなところがある。

Atsushi Kadowaki 2001

6.4

 島のお葬式

 島には火葬場がないから
 舟でやって来た棺は
 やはり霊柩車を必要とする
 それとも島でもすでに
 1台目の金ぴかのクルマに乗ったのだろうか
 黒い喪服を着たひとびとが
 棺を乗せた小さな舟とは別に
 つぎつぎと桟橋へと降りてくる
 やがてまた棺は島へと帰るだろう
 そしてひとびともやはり島へと帰るのだろう

 

7.23

 プラトンによれば、詩人は自分の語っていることがらについて何も知らない。ゆえに詩作は知によるものではないという。
 すると自分の描いていることがらについて何もしらないで絵画を描く者は、知によってそれを描いているのではないということになるが、それは全くその通りだ。

 

7.31

 久しぶりにしゃぼん玉を見る。何とも素朴で美しい。

 

9.19

 常識を打ち破るものが真実であるなら、世界は真実に満ちている。

 

9.27

 「労働者独裁」、などという、冗談のような出来事がじつげんしたのであるから、「芸術家独裁」という発想も、あながちバカにはできない。

 

10.1

 アメリカ大陸は、それ自体が巨大な植民地である。

 

10.3

 人間、その複雑で豊かな存在に対する行動の単純、貧しさ。

 

10.4

 暴力が何かを解決してきたという信仰は、強者こそが世界をつくってきたという信仰と同じ価値観を有するものだ。

 アメリカには孤立するという懸念などない。日本がそれをねずみのように恐れているような。

 戦争が人々をひとつにする。戦争が人々をふたつにわかつ。

 

10.5

 限りなく無に等しい自分の存在を自覚することで
 それをより無に近づけようというのか
 それをより有へ近づけようとするのか

 

10.7

 みながそれぞれの意見を述べることができるのが民主主義である一方、みなが同じ決定に従わなくてはならないというのもまた民主主義だ。

 

10.8

 たったひとつの答えを出すことが解決であるなら、おそらく永遠に答えなど出ないだろう。

 

11.26

 弱いものを、弱いものという限りにおいて愛するという傲慢。

 

あひるの書斎

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