器用仕事日記
〜2001年10月〜

昨日拾った葉っぱ
10月29日(月)晴れ
やっと撤去された自転車を取りに行く。柵などに回してあった鍵は壊されてしまうということで、私の鍵も切断されていた。もともと壊れてはずれなくなっていたのでちょうどいいのだが。
今日は何やら仙台市の腕章をした年配の職員をずいぶん見かけた。駐輪違反や混みあったアーケード内を平気で走る自転車をるわけで、それ自体特に問題があるわけではないが、他との比較において不満は残る。つまりそうした取り締まりと同じくらいの厳しさが、車の取り締まりには適用されないという不満だ。
速度違反、駐停車違反は当たり前。路地からの、そして歩道に乗り上げる祭の一時停止違反、ときには一方通行違反。そして何より青信号の横断歩道を安心して渡れないという不安。逆車線に車を止めるのもよく見る風景だが、深夜の交差点で信号が点滅している折の美しい譲り合いも、実は赤信号のみ停止義務があるということをわかっていないからなのだ。
教習所で、かつては非常に厳しい取締りが行われていたのだが、結局違反者が減らなかったので取締りを緩めたのだという話を聞いたことがある。いかにもありそうな話だが、しかしかといってそのひばりヶ丘(東久留米市?)にあった教習所の指導が手ぬるいということはなく、例えば横断歩道に人がさしかかったら停車することは厳しく徹底されていた。ここ仙台市では助手席に教官を乗せた教習所の車でさえ横断歩道に立つ私の前を通り過ぎる。
命を奪う力をもったこの道具については、自転車以上の厳しさが必要だと思うのだが、どうもそれは金で購われているように私には見える。経済を支える産業としての自動車の前には、人や動物の命や自然環境、社会としてのルールといったものは相対的に軽いものになっていくようでならない。
血眼になって違反駐輪を取り締まるあの仙台市職員の厳しさを、警察にも望みたい。
10月28日(日)曇りのち雨
ここのところ何かと日記を書く時間がとれずに週末を迎えてしまった。そして今日も実は正確に言うともう終わっている。
妻の実家からの帰り、町内の掲示板に、迷い犬が見つかりましたという張り紙があるのを見つけた。ふつう見かけるのは常にいなくなった犬や猫を探すもので、とても心細い気分になるものだが、確かにこうして見つかった喜びの報告というのを張るのはいい考えだ。とても豊かな気持ちになる。写真入りで、(見つかったときの写真というわけではないのだろうが)犬ちゃんも実にうれしそうである。
ここのところ弾きながら作っていた曲を録音する。タイトルは「エグザイル」。はりあわせたような部分からなる。
10月23日(火)晴れ
今日はテロ事件後初めてスケッチへと出かける。土曜日に自転車の鍵がはずれなくなってしまい、夕方から行く予定だった家庭教師先が、バスでは路線的に行けないようなところにあるのでお休みにしたため、時間的に余裕ができたせいもある。
バスで出かけ、大崎八幡宮の前で降り、別のバスに乗り換える。この間30分ほど待ち時間があったので、神社の石段をながめたり、写真を撮ったりする。
やって来たバスに乗り、どんどんと田舎へと遠出する。目的地は以前、車があった頃にはよくスケッチに行っていたあたりで、その後ときには自転車で様子を見に行ったりしたこともあるが、バスで行くのは初めて。ずいぶん長いこと行っていなかった場所だ。今度まとめて「フォト紀行」に載せておこうと思う。
私が行く、こうしたいわゆる観光地でない田舎には、街中ではあまり見かけないものが多い。例えば知的障害者施設がそれで、今日私が訪れた辺りには、私が知る限り少なくとも3つの施設がある。そしてそれらの施設の付近に、ときには隣接して、産業廃棄物処理場が立ち、今現在も次々と建設されている。
知的障害者施設と産業廃棄物処理場。このふたつが、たまたま偶然にいあわせていることを願うばかりだが、もしもこれが意図的なものであるなら、そこにはぞっとするような悪魔的な隠喩が隠されていると思うのは考えすぎだろうか。
以前それらの知的障害者施設のひとつを訪ねたことがある。道義心とかそういったものからでは全くなく、単に仕事を頼まれたからだが、そこでの状況の悲惨さは、病的なほどの「健全さ」と排他的な「平和」に慣れてしまっていた私にとって、目をおおうばかりの光景であった。おそらくはこうした人々が、健常者と暮らしていたときに起こったであろう出来事を想像するのは難しくない。しかしそれらを「健全さ」の外に押し出していく不健全さの中にこそ、悲惨さの真の原因が存在するのだ。都市生活を成り立たせるさまざまな製品を生産する過程で出された廃棄物についても同じことが言える。なぜこのわれわれの鏡であり、影であるものたちを、自分たちの目の届かないところに追いやろうとするのか。どうしてわれわれのよく見えるところにおいて、それこそが自分たちの一部であり、自分たちの担うべき責任であることを自覚しようとしないのか。それともそうしたことにもはや耐えられないほどにわれわれは脆弱なものになりさがったのだろうか。
2時間ほど歩き、丘に着く。丘の上にかかる雲はすばらしい。徐々に日が暮れ、寒くなってくる。5時を回るとあたりはすっかり暗くなり、1時間に1本のバスを待つ。このバス停から仙台駅までが1本の線でつながっているということに、何やら不思議な感覚を覚える。
1時間ほどして、人ごみでにぎわう駅に着く。土曜に自転車をとめておいた場所へ行くと、自転車はない。今日、撤去したという張り紙が目に入る。撤去運搬料として2100円を支払えば返却してくれるとのこと。はずれなかった鍵をどうやってはずして持って行ったのだろう。いらぬ仕事は実に迅速である。
10月22日(月)曇り、夜に雨
近くの店の見切り品コーナーに下のような品物が売っているのを見かける。実は私は常々これが欲しいなと思っていたのだが、2000円もするので買えないでいたのだ。それが今日は500円になっている。迷わず購入することにした。

頭の重さは体重の約10分の1、これを支えている首と肩にはたいへんな負担がかかるという。適度な空気圧で東部を支え、首筋をやさしく伸ばして固定、首・肩の負担を和らげ、コリを解消してくれるのがこの商品だという。「まるでプロにマッサージしてもらっているよう」「家庭で本格的なストレッチ!」といううたい文句、脊髄や脳を描いた稚拙な解剖図、そして何よりこのあやしげなトップの写真と三拍子そろってしっかりとキッチュな雰囲気を漂わせている。私は自宅に戻るとさっそくためしてみることにした。
結果は想像に難くない。しかしそんなことだろうと思ったと簡単に済まさないで欲しい。これこそがこの世界を浸食し、見えないうちにとりまいているキッチュの大いなる圧力なのだ。写真のような輪ッかを首にはめてプシュプシュとポンプで空気を送り込むと、ゴムの首輪は頭を持ち上げていくよりも多くの圧力を首にかけ始め、こんなはずではと思いながらそれでも空気を入れ続ける私にあやうく酸素欠乏症を起こさせるところであった。あやしいものでも見るような目で私を見る猫の目の前で首輪をはずし、しばらく深呼吸して頭のくらくらを回復した後、私はいずれ別の使用目的で使おうと首輪を箱に入れる。私がかつて買ったものの中でも一、二を争うあやしげな商品であったと言える。やはり道具にたよるのはやめて、動物のもつ自然治癒力を高めていこう。そう決意を新たにする私であった。
10月21日(日)晴れ
午前中、住んでいるマンションのすぐ前にできたコイン・ランドリーにふとんや毛布を洗濯に行く。フローリングで、スリッパに履き替えて中に入る。鉢植えが出窓に置いてあったり、車輪のついた洗濯かごがあったりと実に気がきいている。新しい住宅地なので、客は一人暮らしの学生さん等ではなく、もっぱら大物を洗いにくる奥さんたちらしいが、見ていると休みのせいか夫婦で来る人たちも多い。私が学生時代に通った銭湯横には必ずついているコイン・ランドリーとは何もかも大違いだ。
午後、妻の実家へ行く。庭になっている柿をとってほしいというのだ。歩いて30分ほどのところに両親と義姉一人の3人が住んでいる。義父は今年82歳である。妻は私よりかなり年上な上に、4人姉妹の末っ子で、さらに義父は結婚も遅かったという様々な要因から、私と義父の間には50年もの年の差がある。そう、実に半世紀である。
義父は先の大戦には士官として太平洋の島々を転々としたらしい。詳しいことはきかないし、あまり語らないが、一度ニュー・ブリテン島で詠んだ和歌というのを見せてもらったことがある。武装解除になったとき、フランス軍に軍刀をもっていかれたとも言っていた。今日は「生まれた日の新聞」という、日付を指定するとその日の朝日新聞朝刊の一面の縮小コピーが手に入る機械で手に入れた、私の生まれた日の新聞、昭和44年1月10日の新聞を見せたが、「なつかしくも何ともないなぁ」とのこと。ほんのつい最近のことにうつるらしい。
私は実の親には勘当されているので、親戚といえば妻方の人たちのことである。実によくしてもらっているが、ことにこの義父とはそうした縁を超えて、何か共感できるものをもっている。妻の話では、義父は若い頃(60代くらいまで)は本当にすごかったらしい。とにかく強者であったそうだ。それがやっと70代に入って体調を崩し、何回か手術や入院を繰り返して、今のように「落ち着いた」という。義父は俳句を詠む。昔は和歌を作っていたのだそうだが、私はこの句作が、生意気なようだが、義父のものを見る目を養ったのだと思う。もの言わぬ植物や動物、景色の気持ちに浸透し、そこからしみじみとした感情やおかしみといったものを詠み起こす句作という作業は、弱者にして初めて可能なものではないかと思う。
結婚した当初は、あまり義父との交流もなかった。妻とは結婚しても離れて暮らしていたので、仙台に来ると妻の実家に泊まるわけだが、たいして話もしなかったように思う。会社を辞めて、しばらく世話になったときには、何やらやっかいなことになったと思っていたのではないかと思う。その距離が突然消えうせたのは、つい一昨年かそこらのことだ。その頃音楽作りにはまっていて、多重録音器と妻の持っていた機材でささやかなデモ・テープを量だけはたくさん作っていった。だれが聞くでもないそのテープには、「解説」と称する文章もつけていた。義父はあるとき、義姉にわたされてこれを読んだのだ。そして私に言ったのだ。「門脇くんは、ほんとのゲイジュツカだな」それから、義父との密接な交流が始まった。
義父は私に俳句を見せ、俳画を見せ、私の活動を励まし、いっしょに食事に出かけ、実家を訪れ、ゆっくりと時間を過ごした。「老人たちに会いに行こう」が私たちの合言葉になった。義父は胃を切っていて、一度にあまりたくさん食べられない。1日5回にわけて食事をする。のども患ったので長時間しゃべることができない。そして何よりもう80代である。同世代はみな死んでしまい、兄弟も次々に亡くなっている。おそらく先は長くあるまい。ほとんど世代の差を感じずに俳句やこの前行った安い飲食店のこと、かつて交流のあった外国人や画家のことなどを話す。その静かな時間。そんな義父との時間はかけがいがないと思う。
そんな義父の体調が下降し始めたのは、好きだった車をやめてからだ。もう年をとったからと、免許も返したのだそうだ。仙台市では高齢者には無料の市バス・地下鉄のパスを発行している。バスや地下鉄で出かけるからいいと言う。しかしやはり老人には不自由なものだ。そしてずっとしていなかった入院をすることになったのがそれからすぐのことだった。私たちには車がないから、バスでお見舞いに行く。たいへんだなと義父は言う。早く退院して何か食べに行こうと義父はそれを励みに養生し、そしてみごと数週間で退院。その日はとても活き活きしていたと妻は言う。やはり目標があるとちがうのだ。
しかしその目標も達成されて半年、あまり調子はよくないようだ。そんな中、車がなくなって「羽をもがれたようだ」と義父が言うのを聞く。
実は私は車が嫌いである。環境を破壊し、生きものを殺し、人を傲慢で怠惰にさせる恐ろしい道具だと本気で考えている。実際に私自身数年前まで乗っていたし、その便利さははかりがたい。車さえあれば重たい道具をかついでスケッチに行く必要もないし、できた絵をもっていくのにわざわざレンタカーを借りることもない。買い物も楽だ。どこへでも自転車と徒歩で行く習慣のついた私自身はさておき、妻にまでその不便さを強要するのはいかにも不憫というものではある。しかしそうしたこといっさいを考えあわせても、車を保持し運転するということのリスクに比べたら、たいしたことはないように思えるというのが私の結論だ(このことおよび車のない豊かさに関してはまた詳しく書くつもり)。しかし世間ではこうした議論は通用しない。車がないと何か無責任な気にさえさせられることが多い。だからうちがとにかく貧乏で、車を購入・維持するのが経済的に難しいという状況は、私にとっては実にすぐれた隠れ蓑ではあったわけだ。
その信念を、少しの間、曲げようかと思っている。義父を連れて、いろいろなところへ行くにはどうにも必要な道具だからだ。義父は、車を買ってやろうと前から言っていた。車がないと絵を描きに行くのも不便だろうと。私はずっと断ってきた。自転車で十分ですと。しかし最近、どうにも不安なのだ。もうあまり残された時間は長くないのではないかとに思うと。私は最近義父の話にのろうかと思うと妻に話す。妻がそれを義父に言うと、「ものすごく」喜んでいたという。すぐにでも知り合いの中古車屋へ行こうということになる。
そこで私はアメリカの武力行使について思うのだ。武力でものを解決するのはよくない。しかし時として、武力を手段として最小限に限って使わざるを得ないこともある。自衛権がそれだ。警察権も規模が大きくなればこれに当たるかもしれない。私にとっての車の運転はこの武力行使に相当する。笑っている人もいるかもしれないが、本当なのである。だから最小限に限って、この問題を解決する手段として使う。しかしなぜこんな言い訳みたいなことをしているのか。自分がヒューマニストであることを誇示するため。信念を曲げてまで老人を救うという美談を語るため。それとも車が手に入ればどんどん使ってしまうかもしれない自分の弱さへのいましめか。
とりあえず言えることとして、このばかばかしいほどに幼稚な発想、誰かが見ている、誰も見ていなくとも自分は知っているという考え、そのあまりに素朴な私の倫理観を情報公開という今風の言葉に置き換えてみるならば、その行動を白日のもとにさらす透明さこそが、今回の武力行使に限らず、さまざまな行動を抑制するものとして求められるのではないかと思う。むろん個人的なプライバシーのことを言っているのではない。何か教条主義的なことを言おうとしているのでもない。しかし何か説得力をもった行動をしようというのなら、だれにでもわかるように、だれからでも批判してもらえるようにするべきなのだ。
最近は何でもテロ事件と結びつけてしまうなと思いつつ。個人的な日記をつけていく私なこと。テロと結びつけると問題が簡単に説明できるような気がして、その誘惑にも気を許さないようにする必要がありそうだなと思いながら。
10月20日(土)晴れ
土曜日は夜10時まで労働する日なのだが、仙台では土曜の夜はたいがい10時には終バスである。それは自転車を使っている私には「どうでもいい」話であった。しかし世の中に自分と関係のない話などありはしない。それは昼休みのことだ。ちょっと外へ出て、用事を済ませてとめておいた自転車の鍵がはずれなくなっているのに気づいたのは。
10時過ぎに終わって、さぁ、どうやって帰ろうかと考えるまでもなく私は自分がすでに歩き出しているのに気がついた。私たちの住むマンションは仙台市街西方の山の上、通称「仙台大観音」と呼ばれるわけのわからない巨大な観音像の裏にある。距離にすると10キロ弱、バスで片道50分(すいているときは40分)、自転車では下り(坂の)が30分、上りが50分といった行程だ。さすがの私も今まで歩いて帰ったことはなかった。しかし何を思うでもなく、もう足はそちらを目指して歩いているのである。
実は選択肢はいくつかある。まずタクシーに乗ること。以前、大雪の日に妻といっしょだった時にはこの手を使ったが、4000円ほどかかったのをおぼえている。次はある程度まで行ってタクシーに乗ること。地下鉄やJRは深夜12時まで運行している。最寄り駅からもかなりあるが、最初から乗るよりは安いであろう。そして、その最寄り駅から歩くこと。これは結構貧乏な私にとっては現実感のある選択肢に思える。しかし労働を終える少し前にちらと時刻表を見たところ、11時まで電車はない。1時間も待って電車に乗ってから歩くよりも、最初から1時間歩いた方が、「考える前に走る」私の性分には合っていたのだろう。すでに私はかなりの距離を黙々と歩いていた。
最初から、この歩いて帰るという行動が私のすべてを納得させていたわけではない。気分としては、本当に歩くつもりなのかと自問している自分がいる。例えば、いつもは自転車にまたがり、またあのすごい坂をひとこぎひとこぎしていくのだなと思うとうんざりした気分になったものだが、それすらも幸せなことに思えてくる自分がいる。やがてよく歩いたなと思う記憶をたどり始める。結婚してからもよく歩いたが、学生の頃もよく歩いた。どこまで歩けるかということに何やら喜びのようなものを感じていた。自分を鍛えるということの喜びのようなもの。肉体的な鍛錬は最近怠っているものの、イギリス特殊空挺部隊の話などを読んで興味をそそられるのもその訓練について、その訓練を通して生み出される一種の連帯的恍惚感のようなものだ(それを戦争賛美につなけていくことは大きな間違いではあるが。例えば浅田次郎氏は自衛隊での生活は肯定できるが自衛隊そのものは否定するという)。
やがて途中まで来ると突然迷いのようなものはうそのように消えうせる。頭の中で家までの行程が実感をもってつながる。電車を待っていたとしたら、まだ駅にいる時間だ。すでに私は最寄り駅よりもはるかに家に近づいている。私は自分がこのウォーキングに熱中しているのに気づく。今まで車や自転車で通ったことのある道のりを、改めて自分の足で歩き直すということの意味を現実感を持って知る。それは肉体的作業であるとともに、精神的なところではどこか知的な作業に通ずるものがあると思う。通ずるどころかその解釈を超えた実体験は、両者を二項対立から救い出す視点以外の何ものでもない。私の足取りはますます熱のこもったものになる。
以前何かで読んだ比叡山の行脚修行のことを思い起こす。千日間、ひたすらに歩く。歩くことの極意に達する。歩くことは、ただ単に足を動かすメカニズムのことのみをいうのではなく、そこに込められた隠喩的な意味合いについても汲み取る必要があるだろう。「人生の歩み」「人の足取り」といった表現に見られるような。
私はふと時計を見る。すでに自転車で50分のこの行程を、ほんの倍くらいの時間で踏破できそうな勢いである。最寄り駅まで来る電車を待って、そこからタクシーに乗ったとしても同じくらいの時刻になるだろう。のぼり坂である分、自転車と徒歩の間にある速度の差が狭まったのだ。
こうして私は何ごともなかったかのように帰宅する。今週から始めた節食は続行中。特に問題はない。「自分から望んだ孤独には耐えられるものだ」とベルイマンは言った。逆もまた真であろうが。
何かこんなばかばかしいほどの距離を歩くことに関して、しかも経済的理由が大であるこうしたことに関して、こんな文章を練っているところからして読み返そうとすると笑えてくるが、ひとつのユーモアだとでも受け取ってもらおう。ユーモア。何というあたたかい響きなことか。
10月19日(金)晴れ
ここのところ、デヴィッド・シルヴィアンの99年のアルバム『dead bees on a cake』を流している。「何でこの人こんなかっこつけて歌ってるの?」と妻は性懲りもなくこれをかけるといつもたずねてくるのだが、この冴えわたる秋の空の下では、かえってこの毒のある、哀愁をおび、抑制された彼の歌が似つかわしい。私には、ぬけるような明るさの中には悲しみが、陰鬱な暗闇の中には明るさが、単調なものにはそれを超えた複雑さが、一見難解そうな複雑さの中にはそれらを成り立たせる単純さが、それぞれ対になって存在しているように思えることがある。そしてそれが世界のある意味では普遍的な性格ですらあるように思えてくる。常にその対極にあるものをさがすこと。その対極からそれをとらえ直すこと。それとしてその中に押し込めてしまわないこと。常に湧き出る何ものかとして見直していくこと。ともに歓喜の声を上げながらも、常にそこからの離脱を思い、距離をもっていながらも、常に何かを共有することを夢みていること。いつも居心地の悪さを忘れないこと。しかし居心地の悪さにも慣れてしまわないこと。どこか感傷的な今日のような日には、そうしたふつふつと湧いて出る言葉に、彼が唱和する。映像にならない像が浮かんでは消える。それが折り重なって世界の底ができていくイメージ。しかしすぐに私の手を離れていってしまうそのイメージ。

"dead bees on a cake" David Sylvian 1999
10月18日(木)晴れ
今日の空は本当に素晴らしかった。上空の深い青から地平線近くの淡い青まで。そしてあの羊の群れのような雲。仙台の街中では並木通りに落ち葉がつもり始めた。かさかさという音をさせて、その上を歩く。引き締まってくる空気。久しぶりに一句詠む。
秋雲はぢっと動かず耐えにけり
今日の空というよりは、数日前に見た軽やかな秋空に浮かぶ、重たげな雲を頭に浮べていたかもしれない。夜、自転車での道のりがとても冷え込んできた。
10月17日(水)曇り
ノーベル賞受賞者の野依良治名古屋大教授が「50年でノーベル賞30人」という政府の目標を不見識と歯切れよく批判、という朝日新聞の記事を読む。「学術は芸術と同じで、自分が一番おもしろいと思うものに全力を尽くす。ベートーベンとモーツァルトが比べられないように、賞は狙ってとるものではない」「大学が全面的に産業界に貢献すべきだという議論があるが、全く違う。産業の状況が深刻なのは産業界の研究者の能力が足りないから」と実に気持ちがいい。やはりノーベル賞は違う。当然のことを当然のように語っている。
グレゴリアンのCDを買う。前作とほとんど同じ雰囲気、というのがとりあえずの印象だが、それが退屈を意味しないのがすばらしい(詳しくはこちら)。
10月16日(火)曇り
冬ものの出し入れをしていて、ついでに押入れのダンボールから眠っていた本を取り出す。うちは家具がほとんどないので本を置くところに困ってしまい、おおかた押入れに眠っている。たいがい読みたいものはそういうところにあり、読まないものが外に出ている。今回の捜索でもずいぶんと発見があった。というのも、アメリカでのテロ事件を契機にずいぶん私も勉強するようになったので、以前いいかげんに読んだり読まなかったりしていた本が、非常に貴重な参考書に見えてきたのである。
大学では本当に頑固なほどに勉強をせず、部活のラグビーに打ち込んでいたので(これとてたいして強かったわけでもないのだが)、今考えると実にもったいない上に、先生方にはご迷惑をおかけしたなと思い返す。アラビア語科に(留年したので)5年もいたのだが、ほとんど何もわからない。英語の勉強で言えば、中学1年生の1学期程度の学力しかないように思う。これで「テロリズム日記」などと銘打って文章を書いているのでお恥ずかしい限りなのだが、今回発掘された文献にはアラファト議長の74年の国連演説や「現代思想」の特集「イスラーム」、恩師藤田進氏の『蘇るパレスチナ』その他もろもろの学術雑誌など、10年前のあの当時にはほとんど理解できないものばかりだったが、今はその状況がかわってくれていればいいなと思いつつ、読み返していこうというところである。
10月15日(月)晴れ
先週末あたりから考えていたのだが、とりあえずお昼ご飯を食べたらあとは何も食べないようにしてみようと思う。突然やるとからだに悪そうなので、今日はお昼の後、おにぎり2個を持って働きに行き、適当に食べたせいもあるのだろうが、今、夜の11時、ほとんどおなかはすかない。飲み物はいいことにするので、スポーツドリンクを飲んだが、これに含まれる糖分も相当あるのだろう。そして何より決めてかかるとほとんど苦にならない性格なので、何も考えないでいると、おなかすいたな〜ぱくぱくと際限もないが、食べないと決めると全然食べたいと思わない。
酒を飲まないようにしたのが一昨年の夏あたり、つづいて秋には肉を食べるのもやめ、今回は午後からの断食(煙草ははるか10年前くらいにやめていた)。おそらくは美食と正反対の快楽としての節食なのだろう。自分の欲望を制御していくことの喜びは、いつも大きい。
いつまでつづくか、身体にどういう影響があるのかを見ていきたい(今後この話題はもっぱら「狂牛病日記」に掲載していく予定)。
10月14日(日)晴れ
今日はずいぶんと歩いた。バスで15分ほどの丸田沢というため池をとりあえずの目標に、ほとんどあてもなく妻とふたり、ぶらぶらと散歩をする。バスで15分といっても歩くとなるとけっこうな距離になるので、2時頃出たのに帰って来たのが6時過ぎ。坂もあるのでかなりの運動になった。

Atsushi Kadowaki 2001
ため池の付近は雑木林あり、けもの道ありの山道なのだが、それ以外は住宅地。古い町では猫を見つけたり、思わぬところに喫茶店を見つけたり。今日寄った喫茶はそこで焙煎をしている店で、すいている上に実に落ち着ける雰囲気。帰りに豆も買う。
妻はやけにトイレが近く、この喫茶もトイレに行きたいというので入ったようなものなのだが、その後すぐにまた行きたくなり、あれこれ探すも住宅地で店もない。やっと見つけた陶器屋さんでトイレを借り、中華皿を買う。それから坂をのぼって家の近くまで来たものの、また行きたいということになって家の近くの巨大なペットショップへ立ち寄る。ここでは猫たちが1m四方くらいのガラス張りの部屋に入れられて何匹も展示されているが、猫たちは実に無気力である。おそらく血気さかんなうちのごるみたいな猫は、早めに「処理」されていってしまうのだろう。そして何もかも受け入れて無気力になった猫だけが残るのを許されるのかもしれない。それとももっと人道的なものなのだろうか。掲げられた説明書きとのギャップがその残忍さをいっそうたちのぼらせる。いわく、「遊んでもらうのが大好きな○○ちゃん。一度遊んでもらうとなかなかはなしません」「こわい顔をした○○ちゃん。でも顔に似合わずおっとりとした平和主義者なんです」等々。
夜、NHKの「新日曜美術館」で横浜トリエンナーレの様子を見る。現代アートと言えば論争がつきものという気がしていたが、どれも視点を低くした、イメージ的に言えば「やわらかな」作品が紹介されており、中にはおそらくそうでないものもあろうが、今日の主要なテーマである「癒し」「共生」「多様さ」といったものに沿った作品作りがなされているように感じた。しかしひとつだけ、論争を巻き起こしそうな、いやもうすでに本国アメリカでは物議をかもしだしたエドワルド・カッツ氏の遺伝子操作をほどこした微生物の作品が紹介された。
そもそも何がアートかといった真実探索の旅は今日すでに終わっている。ここに至るまでの道のりは、われわれの常識をくつがえし、新たな視点を提示し、われわれをより深い問いへといざなうという、長くたいへんなものであったように思う。その結果われわれは、「これはアートです」と提示されて驚くほどの、うぶなた「常識」などもう持ち合わせていないと思っていた。少なくとも彼の恐るべき「アート」を知るまでは。
アメリカで物議をかもしだしたカッツ氏の「作品」とは、遺伝子操作をされたうさぎ(もちろん生きた)で、特定の光をあてると緑に光るというものだった。
モダンアートの旗手たちが、既存の価値観を打ち砕くために、とにかくそれまで存在しなかったものを作り出していった時、そこには偉大な創作意欲があったわけだが、同時に無限の欲望を満たそうとするある種空虚な行為という側面も持っていたと思う。無限に新しいもの、今までにだれもやらなかったことをしていくという行為は、精神的な深さや対象にたいする共感や敬虔な気持ちをともなったものというよりは、珍奇なものを追い求める売名行為と紙一重のところがあり、その反動が今日の内省的な作品群を生んでいるという側面もあると思うのだが、その最後の生き残りがカッツ氏であるように思える。
氏は自分を、生の持つ尊厳という、 これまでだれも手をつけられずにいたタブーに挑む戦士と位置付けているのではないかと思う。氏が今回トリエンナーレに出品したのは遺伝子操作をほどこされた微生物である。それは聖書の創世記にある文章、自分に似せて作った人間たちに、この世の生きものすべてを支配させようという文章を遺伝子配列に置き換え、その配列に従って作り出したものだという。氏は自分の創作の意図が、先の「光るうさぎ」や今後の活動いっさいを含めて、聖書に根拠をもつものであると巧妙にアピールしようとしている。私にはこれが、イスラムを語ってテロリズムを起こすテロリストの論理そのものであるように思える。そしてテロリストの本当の意図が、単なる自己の政治的地位を高め、政治生命を維持していくためのものであるように、氏の隠された本当の意図は、単なる売名に過ぎない。テロリストの独自のイスラム解釈が真の世界性をもたないように、キリスト教徒は生物すべての生命を自由にできるなどという氏の独特の聖書解釈が、本気で何かの問題を投げかけているなどと受け取っている、トリエンナーレのコーディネーターやメディアの意図を疑いながらも、そうしたものすら受け入れてくれる懐の広さには一応感服するものである。ぜひとも今回のテロで何の関係もないのに嫌がらせを受けているイスラムやアラブの人々にも、同じような寛容さを持ち合わせてもらいたいものだと思う。

Atsushi Kadowaki 2001
10月13日(土)晴れ
来年1月頃まで土曜はたいへんなので、金曜はときどき塾に寝泊りすることに。それで昨日はパソコンがないので珍しく日記を書かなかった。
夜、近くの銭湯へ。銭湯には学生時代とても世話になり、いろいろな思いがあるので、そのうち何かまとまったものを書いてみたいと思う。仙台の銭湯はしかし人が少ない。おふろのない下宿などないだろうから、銭湯へ行くのは純粋に趣味の世界なのだろう。
ナイポール氏がノーベル賞を受けた。しかし私はあんまり本を読まない上に、文学作品を読むのは皆無に近い。それは文学を軽視しているからではもちろんなく、それがあまりに特殊な気がしてまだまだ自分の理解を超えているように思えるからなのだが、これからは少しずつ読んでいこうと思う。ちょうど「ポストコロニアルニュース」というとても刺激的なサイトを見つけたこともあるし、今回のテロでもわかるように、帝国主義を経験した世界はわれわれ共通の問題が流れる井戸のようなものだ。文学でしか表現できないもの、それをもっとよく理解できたらと思う。
「おすすめCD」のページで紹介した「グレゴリアン」の、今度は第2弾が発売されたそうだ。突然メールでお知らせが届く。このホームページで紹介しているのを知って送ってくれたのだろう。詳しくはこちら。今度はデビッド・ボウイなどにも挑戦しているとか。買ってみようと思う。
10月11日(木)雨のち晴れ
今日もすごく眠い一日だった。このところ朝9時頃起きて新聞を読み、昼すぎから労働に出かけて夜10時過ぎ頃帰り、それからニュースを見てまたパソコンの前に座り、結局夜2時半頃に寝るという毎日。テロからひと月がたったので疲れ気味。そろそろ本格的に絵を描いていこうと思う。
10月10日(水)雨
今日は寒い一日だった。それに眠い一日でもあった。
ニーチェの『善悪の彼岸』と『道徳の系譜』がセットになったちくま文庫の文庫本を買う。あんまりよくわかりそうにないので竹田青嗣氏の解説本をとりあえず読んでみる。竹田氏による要約は、「なんのためにではなく、いかに生きるか」ということになるようだ。現実すなわち虚無をそのまま受け取ると、みんなルサンチマン(恨み)に陥ってしまうという説明は、無常とか無の境地とかいったものが尊いと思う私やその他多くの東洋的価値観をもった人には、どうもよくわからないし、「永劫回帰」のどこが絶望的なのかもわかりにくいが、とりあえずあの分厚い本を読んでみよう。ずっと遊んでばかりいたので本当はみんなが学生時代にしておくようなことを30過ぎてやっているという悲しさなことだ。
しかし「道徳とはいかなるものか」ではなく、「道徳とはいかにして作られてきたか」というニーチェの問題の立て方は鋭い。この視点はいまだに新鮮であり、刺激的だ。たとえば私が絵を描くというとき、「何を描くか」ではなく、「いかに描くか」という問題意識に立ってこれを見るとき、私が作り出すつまらない絵画には生命の息吹が宿るかのようだ。そしてそこから、私は絵を描く人間ではなく、絵を描くことでその生を歩んでいく人間なのだという結論が引き出されてくるのである。だからこそ、こうして駄文を練り、聞き苦しい音楽を奏で、何やらわけのわからないことをごてごてやりつづける、つまり「器用仕事」をつづけていくことの意味合いが見えてくるのだと思う。あくまで「何のために」ではなく、「どのように」こそが問われていくのである。
10月9日(火)くもり
昔、塾で教えていたこどもからエアメールが届く。もう高校3年生なはずだ。確か小学5年生頃から断続的に一部高校生あたりまで教えたから、ずいぶん長いつきあいだったわけである。今、ヴァーモントにいるという。下のような美しいポストカードを送ってくれた。私もアメリカへ行きたいものだ。

"Vermont" Alois Mayer
絵の方は昨日同様ほとんど進まない。ずっと前から12号と8号の牛舎の絵を描いている。なかなか描かないから次にパネルに向かうまでにしっかり固まっていて、毎回同じ茶系のテンペラ絵の具を溶くことになる。
10月8日(月)くもり
朝起きて新聞を見るとアメリカがアフガニスタン攻撃との一面記事。テレビをつけてさっそくパソコンに向った(詳しくは「テロリズム日記」)。
午後から妻と散歩へ。近くで何も買わないウィンドー・ショッピングをする。私の住んでいるところは山も見えるし、仙台市の中心部からバスで40〜50分もかかるところにあるが、運の悪いことに近くを環状線バイパスが通っていてものすごく栄えている。すごく田舎なはずなのに前の通りはひっきりなしに車が通り、常に歩行者のわれわれはなかなか向こうへ通りを渡ることもできないほどだ。そんなわけで歩いて20〜30分も行くと大型店をはじめいろいろな店がある。いろいろ見た後、巨大な電気屋でマッサージ椅子に乗る。疲れているようで、日頃あまりこうしたところでゆっくりしないのだが、今日はひたすらもまれていたい気分だった。
夜、やっと絵を描いていると、例のNHKの手嶋支局長が出てきていろいろ言うものだから、またパソコンに向かう(詳しくは「テロリズム日記」)。
結局、先週もほとんど絵を描かなかった。今週こそしっかりやろう。
10月7日(日)晴れのちくもり
知り合いのピアニストの方が伴奏をつとめるソプラノリサイタルへ行く。シューベルトとシューマンの歌曲の間にヴァイオリンの賛助出演があり、ドヴォルザークの小品が演奏されたが、これが何ともよかった。そのメロディアスな旋律といい、ピアノとヴァイオリンが相互にメロディと伴奏を入れ替わるところといい、短い主題が転調しながらもほとんど維持されていくところといい、とてもコンパクトでわかりやすい印象を受けた。これに対して歌曲はどうもそのよさが今ひとつわからない。勉強しないと難しいものはそのよさがわからない。そんなことばかりの毎日である。
10月6日(土)晴れ
公にであれ、ひそかにであれ、欲望の充足のために死力を尽くすことが、人間らしさとして称揚される今日、「節制」という美徳を語ることは何とも居心地の悪い思いをするものだ。禁煙のような追い風こそあれ、それが健康や自然保護や文化と結びついていないと、理解されるのも難しい。近代西欧主義の勝ち取った人間中心主義という成果が、また「神」をはじめとする権威にによって暗黒の停滞世界に引き戻されるのではないかという危惧が、自然にそうした反発を起こさせるのだろう。「自然」がそれらの根拠であるが、今日、それすらも恣意的にしか活用され得ない「不自然」であることは明らかである。しかし欲望を満たすことが「自然」であるのと同様、欲望を抑制することも同じくらい「自然な」欲求でありうるのだ。宗教上の戒律に従うことは、無宗教のわれわれから見ると何ともご苦労なことだが、おそらくそれは喜びなのだと思う。そしてそのどちらにも優劣はない。あるのは、よりどちらに自分が向いているかという、遺伝子由来の自己探求があるだけである。
10月5日(金)くもりのち雨
今日の帰り、夜の街を自転車で走っていると、後ろから「かどわきせんせーい!」と声をかけられた。真っ黒の学生服を着、すごいスピードで追いついて来たのは、自分で塾を始める前にアルバイトをしていた塾にいた子どもで、教えていた頃は中学1年生だったが、聞くともう3年生。受験だそうだ。その塾には3年ちかくいたが、経営している先生があまりに怠慢でひどかったため、はがきを一通書いて辞めたのだ。しかしそうしてなつかしがって声をかけてくれる人、特に子どもには本当にうれしくなる。それが人と人とをつなぐ原点かと思う。
イエロー・ネットワークでもらった、サイト内検索ができる「easy Search」というのをトップのページに貼り付ける。さっそくキーワードを入れると、このサイト内の検索が一瞬で完了。何ともうれしい。特に使うあてもないが、それでも何かわくわくする。
今週から土曜は朝の9時から夜の10時までの労働時間となる。もうすぐ受験シーズンなので受験生の希望が増えたわけだ。しかし最近受験「戦争」といった言葉を聞かないのは、推薦入学の増加や業者テストの廃止といった政策が効を奏しているからだろうか。それとも少子化で、騒ぎ立てずともいずれ沈静化する「問題」だったのだろうか。それでも毎年私は受験生に勉強を教えている。言われるほど彼らには悲壮感などない。特に中学受験をする小学生はたいしたものだ。夜は何時まででもいいから教えてほしいとか、こんなむちゃくちゃな問題、というものも解いてしまったり、「努力する」という言葉に含まれるような泥臭さはみじんもない。
10月4日(木)晴れ
今日は早くからの労働だったが、突然の生徒のお休みで暇ができ、古本屋でサイードの『世界・テキスト・批評家』を買う。日頃から彼の著作はいろいろ読もうと思っていたのだが、何もないと何もしない怠け者の私は、やっと今回のテロ事件を機に彼の意見にふれたくなり、あわてて読み始めるといった風なのだ。『イスラーム報道』はずっと前から気にかけていたのだが、手にとってすらいない。
今日買って来た猫のドライフードにも牛の肉骨粉が入っていることを知って、妻が電話をかけてくる。牛は食品をはじめ、医薬品、化粧品とはばひろく「利用」されていることを今回知って、本当に驚いている。
私自身は菜食主義なので基本的に魚以外の肉はいっさい食べない姿勢でいたが、今回の日本での狂牛病発生以来、よくよく見ると案外口に入っていることが分かってきた。たとえばスナック菓子やインスタントおよびカップラーメン(シーフードにも)、菓子パンにも牛肉や豚肉が入っていることがある。むろん外食する時には知らず知らずのうちに紛れ込んでいる可能性は高く、なるたけ肉を使わないメニューを選んでいるが(仙台にはベジタリアンレストランなど見かけない)、出て来た場合には残すわけにもいかないので食べることもあり、むろん魚は食べているのだから、厳格な意味でのベジタリアンでもない。第一この「ベジタリアン」という用語も近代以降に成立した、何らかの権威を引きずっている用語のように思えてあまり使いたいと思わない(この件に関しては後日詳しく考察したい)。自分の意にかなった菜食的生活とでもいうようなスタイルをとっており、その原点となっているのは、動物との接点である。私なりの感受性というものに立脚した、私と私の間での決め事なのだ。だから相当にゆるいもので、健康にいいからとかいった実益的なものでも全くなく、実に精神的なたぐいのことがらなのである。
だから今回、狂牛病という視点から、猫や家族の身を守るという純粋に機能的な面から、厳格に牛肉を材料にしているもの、というのを意識して探しだしてみて初めて、本当にわれわれの生活は生き物の命の上にこんなにも深く成り立っているということがわかる。私ひとりが菜食をしようと思ってもできるものではない。それほどに肉に依存し、肉の存在を想定したライフ・スタイルに囲まれ、没入し、漂いながら生活していることに気づかされる。
しかしひとつ不思議なのは、こんなにも無慈悲かつ危険なことなのに、本当に食肉は必要なのかという疑問が出て来ないことだ。おそらく「ベジタリアン」の間からはそうした議論や訴えが多数出されているのだろうが、新聞紙上などで見かけるのは、どちらかといえば安全な肉の管理体制とか、適切な処置とか、何か製品の話でもしているんじゃないかという話が多い。もともと動物は生きているもので、感情もあれば肉になるために存在しているものでもないといった話は、頭の弱いロマンチストの考えることなのだろうか。感情をもった動物が、殺されるためだけにこの世に生を受け、狭くて暗い畜舎でどんどんえさを与えられ、やがて「処理」されていくというこの高度に能率化された世界は、まるでナチスのユダヤ人虐殺収容所の効率性にもつながるものがあり、とても危ないように思うのだがどうだろう。昔から人間は肉を食べてきた? でも今くらい効率的に、それも一部の国だけが余るくらいの肉を消費していた時代があっただろうか。生きものである以上、相当のストレスが蓄積され、それが何らかのかたちで爆発するのは時間の問題だったのではないか。
牛に牛の肉を食べさせていたのも問題の一端ではあろうが、毎日の習慣というものを離れて、われわれと同じ哺乳類の肉を食べているという事実に、もう少し純粋に注意が払われてしかるべきではないのか。完全に食肉をやめるというのではない。こんなにも不平等な状況に、動物の犠牲にせよ、貧しい国の人間にせよ、こんなにも圧倒的な不平等なありさまに、もう少し注意が払われてもよいのではなかろうか。

「秋空」 Atsushi Kadowaki
10月3日(水)晴れ
アマゾンから本が届いた。ペリカン便のおじさんも「アマゾンさんから」と言っていた。
以前、ひとのホームページを見ていて、「アマゾンから○○の新著が届いた」というのがあって、そうか、今度は文化人類学でも始めたのか、と思っていたら私が知らないだけの本のインターネットショップだった。配送料無料というのはすごい。
夕方、バス停に並んでいるとき、ひくい雲の下に並ぶすすきの花が美しかった。風が吹き、たなびくすすき。どうにもそのつくられていないリアル感、外気に直接ふれているようなそのなまめかしさを、絵に描き込むことができたら。絵という、平面の支持体の上に囲い込んで飼いならしてしまうようなものでなく、どこまでもそれ自体として存在してしまうような。
10月2日(火)晴れ
昨日から一転して今日は実にいい天気。再びベランダで新聞を読む。
午後からテンペラを始める。牛舎の絵を描いているとき、バケツと壁の色を塗ろうとロー・アンバーに青と白を混ぜた色をつくると、これが何ともいい感じで、失敗してそのまま積み重ねてあったサムホールの木製パネルに塗っていくとこれが止まらなくなり、作った色をどんどん塗っていったら結局たくさんの失敗パネルが新しい絵になる(絵はこちら)。
今日は少し遅め、日が沈んだ後に労働へと出かける。雲が出ていて、流れるその絹のような切れ端から月の光がもれ出していた。それが実にいい。
夜、労働が終わってから終バスまで、妻と月を見ながら西公園を散歩する。強い風がいつの間にか月から雲をすべてはぎとってしまった。黒を背景に、まばゆいばかりに輝く小さな丸い月は、かくれたところもかけたところもなく、確かにすっきりわかりやすい。しかし何と情緒のないことか。並ぶものもない輝きをもってその真実を四方に放つ単純さは、あのとらえどころのない雲の複雑さ、ときとしてその月のあらかさまを覆い隠すようなあの存在あっての美しさなのだと思う。

「満月」 Atsushi Kadowaki
10月1日(月)雨のちくもり
ひさしぶりの雨。朝起きてから本を読む。ねこがおなかに乗ってくるので乗せながら。昼過ぎから絵を描こうと思うものの、そのまま本を読む。そしてひさしぶりにバスで出かける。
夜、雨はもう上がっている。ふと見上げると、月がうすい雲の向こうに見えた。月のまわりだけが、雨降りのようである。家に帰ってもう一度見上げた。もうすっかり南中している。カメラを持って外へ出ると、不思議なことにもういない。ほんの少し前までは見えていたのに。
中秋は今日だが、実際満月になるのは明日だそうである。明日あたりから晴れてきそうだ。明日の夜は散歩でもしよう。