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11月30日(金)晴れ
これまで野外制作を中心に行ってきて、現場で仕上げて終わりという爽快感の中にいたのだが、来年の個展はテンペラを中心に展示しようと思ってこのところ、もう夏くらいから家で描いているが、そうすると何かこう、だんだん職人さんのようにひたすら一筆一筆狭い場所を埋めていって、さあ、今度は前のよりももっと描き込んだぞと思ってふと前に描いた絵に目をやると、それらがすべて粗いものに見えてきてぼうぜんとする。
もともとあまりたくさん描いてこなかったので、描くたびにものすごく初歩的なものを含め新たな発見があり、一枚終わるとそれまでのものが何やらつまらないものに思えてきてしまう。きっとたくさん努力して描いてこられた方には、一定のスタイルや何かがあって、どれも均一な何ものかが漂うのではないかと思うのだが、私の描くものは、部屋にかけて見ると、どれもばらばらで統一性がなく、描法自体一枚一枚違うのでとてもざらざらしたものを感じる。
本当は、ライトを落とした会場で、ぐっと暗い画面に浮かび上がる牛舎や枯れ野というのを想像しているのだが、どれもちぐはぐな学習発表会のようなものになってしまいそうな気がしてあせっている。
11月29日(木)雨のち曇り
今日はやや調子がよくなって、少し絵がはかどった。
夜、朝日新聞をとっている人に抽選で当たるというジャズコンサートのチケットが、運の悪い私にしては珍しく当たったので、塾を半分で切り上げて(テストが終わったばかりだからとか言って)先に会場へ入っていた妻と合流する。
「クール」というのはほど遠い演奏で、どこか場末の酒場辺りで聞かせるようなにぎやかな雰囲気と、名人芸風のテクニック。妻に言わせると「下積みが長かった人たちみたいな演奏」で、「明るいんだけどどこかサーカスのような哀しさがある演奏」。しだいにわれわれの関心は、演奏自体よりも彼ら演奏者の様子や身の上などに重きが置かれていく。ベースのおじさんがとても年配の方で、ぴょこぴょこ動いたり、譜面が見つからなかったり、とてもかわいらしいとか。
11月28日(水)晴れ
昨日は調子に乗って絵を描いているうちに具合が悪くなり、ついに寝込んでしまうというとんだ日になってしまった。どうも軽い風邪をひいたようである。今日もずっと寝ていたのだが、やっと夜になって少しよくなってきて、こうしてパソコンに向かっているのである。
11月27日(火)曇りのち晴れ(初雪)
今朝は仙台で初雪が降った(そうだ)。午後になって晴れ間が出てきたが、もう空は冬のものだ。
こどもたちの試験が終わったので、今日はほぼ休みである。ひさしぶりに朝からずっと絵を描いている。木製パネルに石膏を塗ろうとしたら、にかわが固まってダマになってしまった。鉛筆で下描きをしていると、まっすぐに線が引けない。
絵を描いているとき、たとえば誰もいない山の中や海岸であっても、私の頭の中をぐるぐるめぐっているのは、つまらない日常ことがらである。実にばかばかしいのだが、その中にどっぷりつかって生きているため、もっと崇高なことを思い浮かべようとしてもだめである。ずっとばかげたことばかり思い出しながら描いている。
思えば、私には教育者の信念のようなものがない。いや、信念はあっても、それが教育者のものではない。私は塾を開いて20人くらいのこどもに教えているが、私の人生自体がこのホームページのように器用仕事、素人仕事なので、塾の方も立派なこどもを育てようという崇高な理念に基づくものではなく、勉強を教えてほしいと思っているこどもに勉強を教えてあげよう、できることをしてあげようという単純な発想に基づいて運営している。だから勉強したくないこどもに来られると非常に弱ってしまう。そもそも自由くらい大切なものはないと私は思っているのだが、したくないことを無理無理勉強させられることぐらい不自由なことはない。だから私は勉強したくないこどもには教えたくない。
しかしそこには落とし穴がある。勉強したくないというこどもは、本当に勉強したくないわけではない。できれば楽をして簡単に勉強ができるようにはなりたいと思っている。だから勉強したくないならしなければいいという私の言う「自由」は、全然当たっていない。そしてまた、自分にとっていいことに本人が気づいていないということはよくあることで、それを教えてあげるのが本当の教育というものである。だから無理矢理勉強させることにも意味はあるのだが、しかし私の経験上、本人が自分で気づかないことをひとが気づかせることは至難の技である。私にはそうした能力が欠けていると思う。私自身、自分から気づかないことをひとからとやかく言われても絶対納得しない。だから私にはそうしたことをする気力がまったく欠けている。したがって私には教育者に必要な信念がない。言ってみれば「愛のムチ」とでも言うのだろうか、自分の言う通りにすればきっといいことがあるといってひとをひっぱる、そうした気概に決定的に欠けているのだ。
こうして一日、絵を描いていればいいというのは、だから至極楽ちんである。しかし社会の一員である以上、後輩の育成に努めるのは義務である。しかし。。。といつまでも終わらないこんなたぐいのことをぐるぐると思って絵を描いているので、全然すがすがしくない。しかし器用仕事だからまぁ仕方ないのである。
11月26日(月)晴れ、夜から雨
秋の終わりを告げる雨がしっとりと降り始めている。
妻の知り合いの長谷部さんの息子さんが、お友達と2人でインディーズ・レーベルからデビューし、CDを買わされたのが数ヶ月前。その後地元のFM曲で耳にしたりしていたが、先週ポストに入っていた仙台北部を中心に配布されている無料情報誌『ZONE』にも取り上げられていて、見るとホームページ(アイリス)まである。学園祭にも出たそうで、けっこうな人気で何よりだ。
お母さんもずいぶん協力的な人で、私が「そういった道へ進むと、何かと社会的な逆噴射があってたいへんですよね〜。親戚からそんなのやめなさいとか言われて」とかわけのわからないことを言うと、「そうなんです。やはりよくわかってらっしゃる」と心強くしたようであった。
しかし少し気になるのは、長谷部くんのお母さんの話を聞いても、雑誌のインタビューを読んでも、いっしょにユニットを組んでいる星くんの方がどうやら力関係では上のようで、生きものが2人以上になると組織が生まれるわけで、そこには上下関係が生まれてしまう。それは当然といえば当然とはいえ、はたから見ていると何ともはらはらするものではある。
11月25日(日)晴れ
NHK「新日曜美術館」でバルテュスを取り上げているのを、最後の10分だけ見る。生前のインタビューの映像が流れていたが、インタビュアーの質問などまったく気にせず、ただ語りたいことだけを繰り返すあの雰囲気。まるで恍惚の人そのものであるが、私もどちらかというとあっちの方に近いかもしれない。
彼の作品は好みから言えば、あまり好きではないのだが、むろんそんなものは軽く超えて、その作品の質の段違いの高さ、豊かさについては論を待たない。だから「好みはひとぞれぞれだから」などといったまわりくどい文句は、やっぱりまやかしに過ぎないということがわかる。
今日は老人ふたりを乗せて、田舎へドライブ。とてもあたたかな日ざし。まるでいつか今日のことをなつかしく思い出すことになるだろうと、そんなことを確信させるようないい日だった。人の命には限りがある。比喩的にでなく、それをいつも見すえて生きている人たちと身近に接して生きていると、本当に自分までそうした人たちの仲間入りをさせていただいているような気分になる。虫さん一匹にも、命の重さを感じる。
11月24日(土)晴れ
仙台の並木通りが今日は本当に美しかった。ビルの合間から指す低い日差しに照らされて、かわいた枯れ葉が黄金に輝いて。アスファルトの道路にもふかふかの落ち葉が降り積もり、わざわざその上を歩いたり。明日の夕方くらいまであたたかくて、後は冬らしい天気になるそうだ。
今夜はNHKでやっている「ダーマ&グレッグ」がないので残念。しかし毎週放映時間がまちまちだったり、時にお休みだったり。NHKって、受信料まで取るくせに本当に横暴である。
一度とてもお金に困っている頃に、NHKのモニターに応募したら当選して、1年あるいは半年、テレビモニターをしたことがあるが、実際に意見を言っても、それはこれこれなので、などと政治家の答弁みたいな話が始まってしまい、結局モニターの意見を聞いているという姿勢を見せるためのモニターに過ぎないのであった。
11月23日(金)晴れ
何とも暖かな素晴らしい日だった。今、日が落ちて、まるきりの影となった山並みの上に、赤くにじんだ空がかかっている。

落ち葉が舞う日のスケッチ 水彩、紙 F4号
11月22日(木)晴れ
今日は「いい夫婦の日」だそうである。

「麻袋」 下絵 水彩、紙
(小さいのに)何ヶ月もかかって描いていた牛舎の絵がやっとできる。しかしよく見ると何とも変なところがあるように思えてくる。少し壁にかけて目を慣らしてみよう。おかしくないように思えてくるかもしれない。
11月21日(水)晴れ
義父母の誕生日ということで、仙台市郊外にあるロイヤルパークホテルに行く。先日読んだカズオ・イシグロの『日の名残り』を思い出す。むろん日本で、しかもこの現代では執事などいるはずもないが、少なくともその精神はホテルやレストランなど接客業務において、垣間見ることができるような気がする。
その後、宮城大学を見学する。前の車に乗っていた頃は、よくその隣を通って野山へ出かけたものだが、中に入るのは初めてだ。2001年宇宙の旅、といった感じだろうか。ロイヤルパークホテルの後に入ったので、やはりどうもいまひとつに感じてしまう。いや、建物の問題ではないのだろう。そこに存在し、活動している人。ホスピタリティ。人というものがそこにいるということの素晴らしさ。宮城大学にせよ、すぐ近くの宮城県図書館にせよ、実に未来的でシャープな建物なのだが、どうしても非人間的で冷たい、空虚なものを感じてしまう。それは思うに、サービスというものに関係しているのかもしれない。そして、サービスであるからには、品格というものとも関係しているということになるのだろう。
では、私は自分の塾ではあたたかな、品格に満ちた態度で生徒に接しているのだろうか。ふと自らを省みる。
11月20日(火)晴れ
仙台のサッカー・チーム「ベガルタ仙台」がJ1リーグ入りしたそうである。
スポーツをやるのならまだしも、観戦するのは全く興味がない私なので、先日もよく行くスパゲティ店のマスターに「今日勝つとJ1入りが確実なんですよ」と言われ、何のことかうすうすは感じ取ったものの、確証がなく、それとなく聞いて話を合わせていたのだが、つい「ブランメル仙台」(「ベガルタ仙台」と改称する以前の旧チーム名)などと言ってしまい、失笑をかったり。
もうすぐ83歳になる義父もずいぶん肩入れしているようで、この日の勝利はとてもうれしかったようだ。
昔から、その地域に住んでいたり、たまたま同じ学校や会社だったり、あるいは偶然同じ家族に生まれたりといったことに、それほど意味を見出さないたちだったせいか、どうもそうした感情移入ができないところもあるのだが、地域のチームがいい成績を収めると、みんながこんなに喜ぶのなら、いいことなのだろう。
しかしスポーツはむろん政治の道具になりうるし、応援することで何かに参加したつもりになるのは幻想に近いものである。それでも彼ら肉体的精神的に特殊な能力をもった人々に、われわれが強い思い入れを抱くのは、何かしら自分たちにないものをもっている者に対するあこがれや畏敬の念なのだろう。それは知識人や芸術家と言われる人々に対するものと同じもので、それに少しでもかかわりをもつことで生活に張り合いがでるというのなら、それが二次的な副産物であるとしても、尊いことではある。
11月19日(月)晴れ
月曜はこのところ毎週具合が悪い。土曜、日曜とハードなせいだと思われる。このホームページの更新も、週の半ばを頂点として、週末から週明けまでが低調になる。
「SHARP 20××年 未来散歩」というサイトは、ネーミングがいまいちの「あけぼのシティ」というバーチャルシティに、仮想の家を建てて住むというものだが、ここのカントリーサイドにある「ひつじ町86丁目84番地」に家を建ててみた。妻とからすのごるごというわび住まいである。
11月18日(日)晴れ
一昨日届いた車で滝へと出かける。マニュアルなので少し慣れる必要がありそうだ。
義父のかげんが非常によくない。ただ普通に座って話をしているだけで、息切れがする。私に車を買ってやるという、その「任務」が終わって何か緊張のようなものが解けてしまったように見える。その義父を乗せていろいろと見てまわるために、車を買ってもらったつもりなのだが。
11月17日(土)晴れ
カズオ・イシグロの『日の名残り』を読み終える。何とも独特の雰囲気と面白さをもった小説であり、多くの含意と示唆に富む内容であって、無数の意味を読み取っていく喜びに満ちているように思うが、やはり読後感としては、ロマンチックで映像的な、面白い映画を見終わった後のような疲れがあるが、こうした読み込むべき内容と、ただ読むだけで面白いという娯楽性とを兼ねそろえているところが、こうした作品の驚嘆すべきところだ。それだけに恐ろしくはある。
最後にスティーブンスがジョークについて真剣に取り組んでみようと決意するくだりがある。これ自体ひとつのジョークでもあろうが、私はここに何かもう少し深いものを読み込みたい欲求にかられた。真摯に対象に接していくという態度のもつ滑稽さにも気づきつつ、物事に対処していく精神。そうした意味で、このジョークを解釈したい。あるいは、深い意味ももちながら、しかし表面だけを見ても十分に満足を与えられる。まるでスティーブンスそのもののような含意として受け取ることもできるように思う。
11月16日(金)晴れ
やっと今週から絵の方が少し進み始めた。個展まであと4か月であるし、パソコンに向かうのが仕事のような今の状態をなんとかしなければ。

「草刈機の下絵」
もう少しでカズオ・イシグロの『日の名残り』を読み終わりそう。何かあの訳文の文体が癖になりそう。
車が届く。
11月15日(木)晴れ
昨夜もばか猫におどりかかられてたいへんだったが、まだ脚だったのでよかった。
CGIレンタルサービスのARC WEBさんから、無料アクセス解析をレンタルし、さっそく昨夜から見ているのだが、このサイトへアクセスしている方は、ほとんど「お気に入り」からアクセスなさっているということが判明。その他はウェブリングやリンクしているサイトから来ておられるが、まぁこうしたことがわかったところでどうということもないのだが、とりあえず私は表やグラフが好きなのでいいとする。
ところでこの表やグラフというのは、私に限らず好きな人は好きである。何かものすごく分析したような気になり、そのものについて定量的によくわかることで、現象面の底に隠された、ひとつのコードのようなものを探り当てたような気にさせてくれるからなのだと思う。他との比較ができるというのも何か意味深いように思われる。
かつて働いていた会社で労務管理をやっていたとき、若手研修ということで大きな工場に集められ、作業を項目ごとに分類し、それを定量的に、簡単に言えばそれぞれどれくらいの時間がかかるかを調べさせられたことがある。何とかいうアルファベットの略称で呼ばれていたその手法は、「科学的」といういかにもうさんくさい仮面をかぶっているにもかかわらず旧態然として、仕事のための仕事という後ろ向きなにおいが感じられ、とにかくばかばかしいなぁと思ってやっていたのだが、最終日に研修を指導していたもう定年間近と思われる指導員が、しめくくりのあいさつのためにやおら立ち上がると、この手法は「万能だ」と誇らしげに語り始めたのを忘れられない。私はその人の影に、「科学的根拠」とか「近代」とかいった、今ではとてもレトロに感じられるものへの素朴な信仰と共感を感じたのだ。それが伝統社会に根ざした慣習のようなものへの同じような信頼や語り口であったなら、それほど奇異には感じなかったかもしれない。おそらくは人工的に作り出された、「人間の勝利」のための道具を素朴に信頼することへの、無意識の疑念だったように思われる。
表やグラフは客観的な資料であるように思われがちだが、さてどうだろう。
11月14日(水)晴れ
昨夜は寝ていると、うちのばか猫くんが顔の上に飛び降りて来てたいへんであった。くちびるが割れ、頬に傷ができ、非常に危険な夜であった。
天気がいいので西公園で写真でも撮ろうと思いつく。「西公園」は仙台の中心街から西にあって、青葉城址へ抜ける途中にある。桜の名所としても知られ、秋は銀杏をはじめとした紅葉が美しい。
最初はとても晴れていたのだが、いざ写真を撮ろうとすると雲ってきて、とても暗い写真ばかり。23分仕上げという写真屋さんでは20分くらい待たされて結局1時間くらいかかるしで、なかなかたいへん。


「西公園」 Atsushi Kadowaki 2001
11月13日(火)晴れ
今日は曇りの予報だったが、例によって予報とちがって朝から晴れていたのでスケッチに出かける。いつも行く滝へ紅葉を見に行こうと自転車を走らせていると、これまで気づかなかった場所に何ともいいフォルムの土地を見かける。そこへ自転車をとめて何枚か写真を撮っていると、自分の手で描いてみたくなり、リュックから画材を取り出して描く。日は差しているものの、気温は低い。風がないだけましではあるが、1時間を過ぎると指先が凍え始め、2枚ほど描いたところで結局滝へは行かず、1時間半ほどで帰ることにした。
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「スケッチ」 水彩、紙 F4号
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「スケッチ」 水彩、紙 F8号
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11月12日(月)曇りのち晴れ
ずいぶん長いこと描いている牛舎の絵が、やっと完成に近づいてきて今日はとても軽やかな気分。ここのところ何か重苦しいなぁと思っていたのだが、おそらくはこのようにものごとがちっとも進んでいないからなのだ。
夕方になって空に晴れ間が見え始めた。軽い、豊かでとらえどころのない雲に、夕暮れの日が当たる。黄色が桃色へと変わっていく。
昨日、古本屋で買ったカズオ・イシグロの『日の名残り』(1989)を少し読む。ずいぶん前に、ブッカー賞か何かをとった折に、NHKでカズオ・イシグロの特集番組があったのを思い出す。
「完成された未完成」、とでもいったものを、ゲルハルト・リヒターの絵画はもっている。いや、リヒターに限らない。そうした余白をもったものに、私は少しでも近づきたい。
11月11日(日)晴れ
秋晴れの実にいい天気なので妻とともに散歩に行く。紅葉の映えるたいへんいい季節。例によってものすごく歩いた。色づいた木々が影を落とす川原を見たり、田舎の集会所でやっていた陶芸展を見たり。古本屋で本を買ったり、途中のハンバーグ店で豆腐ハンバーグを食べたり。
途中、柿の木に雀が鈴なりにとまっていた。一句よむ。
すずめらの 柿の木になる 夕べかな

ハンバーグを待ちながら、100円で買った『萩原朔太郎集』(豪華版日本現代文學全集26、講談社1976)所収の「ゴム長靴」を読む。見開き2ページほどのエッセイだが、ゴム長靴がないことをずいぶん悲惨そうに語っており、貧乏でたいへんだったんだなぁと思って読み進めていくと、「毎日ネギと豚肉を買ひに出かけた」。う〜ん。やがて原稿料が入ると「大威張りでネギと牛肉が買ひに行ける」。私はあんまり教養がないので、ものすごく常識的なことも知らなかったりするのだが、よく読むと萩原朔太郎は金持ちの家に生まれて、ずいぶん苦労しらずで大きくなったとのこと。きっと人一倍貧乏が辛く、身にしみたのだろうなぁ。
スティングの『オール・ザット・タイム』をこのところよく聴いているが、中でも「ロクサーヌ」のニュー・アレンジは飛びぬけていい。後半、ウォーキング・ベースに変わるところなどはゾクゾクしてくる。これに対してそのすぐ後に入っている「セット・ゼム・フリー」は、何かもとの方がはるかにいいので曲順を変えておきたい。
11月9日(金)曇り
「華麗なる競技へようこそ」というサイトを運営なさっている
sui さんから掲示板の書き込みがあり、行ってみると画像を添付できる掲示板をつけられたということであった。これまでもこのしくみを使った投稿サイトを見てはいたが、難しいんだろうと思っていたところ、案外簡単につけられてしまったので私も利用させていただくことにした。
ホームページを作るとき、私は誰も見なくてもいい、自分の「サイバー・ロフト」を確保できればと思っていた。絵や文章がどんどんどこかへ行ったり折れ曲がったりしているからで、極端な話、私が死んだ後も毎月の支払いさえすればこのサイトは生き残るのだということに、何か不思議なものを感じたものである。
しかしある程度ホームページが出来上がって来る中で、「インター」ネットなのに自分のものを見せるという「片方向」のサイトでいいんだろうかと思うようになった時期があった。それは知人の高橋繭子氏のサイト「ココン」を見てからで、氏のサイトは川柳サイトなのだが、投句や互選会などの企画があり、掲示板にも毎日かなりアクセスされている。自身を全面に出すのでなく、水面に浮かぶ木の葉のように大河を渡っていく風情があり、ああこれがインターネットだと感心したものだ(その後そうでもないサイトが多いことがわかってきたが)。
そこでいつかは私も何かそうしたものをと考えていたのだが、画像が投稿できるこの掲示板は画期的である。もちろん場所があっても運営が魅力的でなければそれまでの話で、私自身これを盛り上げていく自信もないのだが、とりあえず手に入れたのでみなさんに使っていただけたらと思っています(画像掲示板へ)。
11月8日(木)晴れ
久しぶりに北燈社へ行く。夏に2冊、北燈社から出版された本の表紙を描かせてもらったのだが、ずっとそれを取りに行っていなかったのだ。
北燈社は仙台にある出版社で、朝日新聞に毎週折り込まれる無料情報紙『朝日will』の発行や隔月刊誌『仙台っこ』の発行のほか、書籍の出版などを行っている。そこから今年の1月末頃、突然電話が来たのだが、それより1年ほど前、『朝日will』に「ライター募集」の広告が載ったので、ものすごくお金に困っていた私は、とりあえずいろいろなところに仕事を求める中で、ここへも「自己アピール」を添えて、履歴書を送っていたのだ。その後始めた塾に、何とかやっていけるくらい生徒が来たのですっかり忘れていたが、せっかくの電話なので面接を受けることにした。こうして今年の2月から4月いっぱいまで、私は旅の雑誌『るるぶ 仙台宮城』にほぼかかりっきりになることになったのだった。
その3か月間、私はほとんど絵画制作もせず、ひたすら会社員のように朝になると会社に出勤し、3時過ぎからは塾へ移動して夜9時過ぎまで教え、家に帰りと手に入ったばかりのパソコンを相手にホームページを立ち上げる、という毎日を送ったのだった。
私は孔子の行き方が好きだ。彼は自分の人生を振り返り、自分はとても貧しかったのでとにかくいろいろといやしい仕事をしたと弟子たちに語る。そんな彼を、われわれはどんなくくり方で呼ぶだろうか。「思想家」「諸子百家」「哲学者」「政治家」「教育者」「君子」...。「専門」とか「プロ」とかいう言葉を聞くと何か笑えてしまうのはこんな時だ。しかしその一方それは近現代における「知の権力」として確固として存在する。しかしその何と硬直化して頑固で排他的なことか。私はそうした専門性の光の届かない暗がりの中を、用心しながらそっと歩いていきたい。逆に言えば、既にあるものを自分にとって使いやすいように、都合のよいようにアレンジし直しながら生きていきたい。ブリコラージュをする人として人生を送っていきたい。
『るるぶ』の仕事が終わるころにはまた野山へ出て、絵画制作をする日々となった。そして折りよくこの頃、銀座の小野画廊からお話が来て、個展をすることになったのだ。
そんな中で描いた表紙が上に書いた本の表紙である。どうも私には、ひとの気に入るように描こうと考えてしまうところがあって、ずいぶんみなさんにはご迷惑をかけた。『仙台っこ』ではエッセイにつけるイラストを描かせてもらっているが、こちらも何ともひどいものである。
11月7日(水)晴れ
ゲルハルト・リヒターの画集Gherhard Richter "Landscapes",
1998がアマゾンから届く。アマゾンに注文したのはこれが2冊目。本当に便利な時代になったものだ。今度はモランディを注文しようかと考えている。

Gherhard Richter "Landscapes",
1998
洋書はけっこう時間がかかるかと思っていたのに、前回たのんだサイードが3,4日で届いたので、そのつもりでいると今度はなかなか来ない。先月の28日に注文したのですでに2週間弱。早く来ないかなぁと毎日思っていた。
毎回うちに届けてくれる初老のペリカンさん(ペリカン便のおじさん)が、この前届けてくれた時、「アマゾンさんからです」と言っていたので、私の方もすっかりその呼称が定着し、「アマゾンさん、早く来ないかな」などと使っていたのだが、今日呼び鈴がなって「アマゾンさんだー」と出て行くと、「アマゾン様からです」と様づけにかわっていた(どうでもいい話だが)。
昨日に引き続き夏石番矢編『「俳句」百年の問い』(講談社学術文庫、1995)を少し読む。
柄谷行人氏の文(「漱石論」『群像』平成4年5月臨時増刊号)は、子規と漱石が共有していた普遍性への指向について指摘している。
「俳句は文学の一部なり。文学は美術の一部なり。故に美の標準は文学の標準なり。文学の評運は俳句の標準なり。即ち絵画も彫刻も音楽も演劇も詩歌小説も皆同一の標準を以て論評し得べし」(正岡子規「俳諧大要」第一)を引き、子規の理想を「空想と写実と合同して一種非空日実の題文学を製出せざるべからず。空想に偏僻し写実に拘泥する者は固より其至る者に非るなり」(「俳諧大要」第七)にある「題文学にあるとする。
また、漱石の戦略については、「漱石の『文学論』は、もともとロンドン(1902年)では、「趣味の差異」という題目のもとに、「自分の立場を正当にするために」構想されたのである。彼の考えでは、趣味の普遍性は全体に及ぶものではない。ある素材に対するわれわれの反応は、文化的・歴史的差異によって違っている。《趣味と云ふ者は一部分は不変であるにもせよ、全体から云ふと地方的(ローカル)なものである》。だが、普遍的なものがあるとすれば、それは、材料ではなく、「材料と材料との関係按排の具合」にある。(中略)趣味すなわち知覚の様式の歴史的累積の相対性に対して、漱石は、関係すなわち構造の普遍性をもってくる」(前掲書、夏石番矢編p422)と述べる。
普遍性への指向という視点は、文学に限らず、芸術一般に言える。この世には普遍的なものなどなく、あるのは個別で特殊な解釈(=趣味)だけであるという安易な現実主義が吹き荒れる中、あくなき探求心をもってこの道をたどっていった明治の文豪たちの苦難と志の高さを思う。
11月6日(火)晴れ
図書館で借りた夏石番矢氏の編による『「俳句」百年の問い』(講談社学術文庫、1995)を少し読む。子規が「俳諧大要」(1895)を著し、「俳句」を発句から切り離して百年ということで企画された本書は、外国人研究者2名を含む総勢32人の論者による新旧の俳句論を集めたものだ。
夏石氏の解説を読んでいて、俳句にインスピレーションを受けた外国人の中にエズラ・パウンドの名前などを見つけ、そういえば自分でも俳句を作ってみようと思ったのはエズラ・パウンドがきっかけだったことを思い出したり。もっとも私の作句は不器用仕事なのでひどいものだが。
そうした評論の中で、ワイエスについて優れた批評を書いておられる桑原武夫氏の名前が目に入った。しかも表題が「平板な大衆性を脱出しえない俳句」(原題は「第二芸術--現代俳句について」、1946)。現代俳句は党派性によりかかり、作品が作者名というブランドなしには成立しえないという意味で「芸術」ならざる「芸」であり、「第二芸術」と言うべきであるという痛烈なものだが、その作品と作者との関係についての議論は、どうもうなづきがたいものがある。芸術作品は作者を離れても成り立つべきものだという論点はよくわかるのだが、だからといって氏のように、作者をふせて何点かの作品を並べ、誰のものかをあてさせてみる、そうした実験では案外有名な作家の作品は選ばれないから俳句はだめだというのはどうにも苦しい。作ってみないとわからないなどと言う人がいるがそれは論外だ、などと懸命に論駁しようとしておられるが、もともとそんなことを言われるのにも原因があるのではないかと思ってしまう。
自分で作ってみないとわからないという点、作品は作者を離れても成り立つという点についてはそれぞれじっくり書いていきたい。
11月4日(日)晴れ
自分では自分を非常に世俗的な人間だと思っているのだが、私が言ったり書いたり行ったりしていることを見て、「興味があると思って」と宗教のたぐいを紹介されることが多い。世間では原理主義的な動きが強まっているように見えるが、その一方で、「科学的」な根拠を提示したり、他宗教を大胆に取り入れたり、環境問題等に積極的に取り組んだりといった、宗教色を薄めた宗教団体、ということはつまり道義的な価値観や主張をそのよりどころにしているという点では環境保護団体や動物愛護団体、人権保護団体、反戦団体などと表向きは何ら変わらないような宗教の動きも活発化しているように思える。
日本人は宗教アレルギーで、無宗教がノーマルな状態と受け取ってきた私であるが、この年になっていろいろ周りを見てみると、どうもそんなのはうそじゃないかと思えてくる。思うに、戦争アレルギーとか宗教アレルギーというのは、敗戦によってわれわれ日本人の意識に中に芽生えたトラウマのようなものではないだろうか。日本人は無宗教というのと同じくらい「戦争はとにかくだめ」という状態をノーマルなものと受け取ってきた私であるが、それが本当に日本人のコンセンサス、少なくとも日本政府のコンセンサスであるとは思えない。同じく無宗教というのも、これだけ宗教団体の広告が新聞広告のページを占拠していたり、オウム真理教をはじめとする新興宗教の熱狂的信者が存在する事実、そして何より「君が世」を学校で斉唱することは問題視されても、その根本原因である天皇制という身分制度が存続することの是非を問い直す言及はいっさいないこと、それが何やらタブーであるようなところからして、まさにわれわれの宗教アレルギー、戦争アレルギーとは、実態としてのそれをはっきりと明かさないということにつきる。つまり簡単に言えば「あるけど言わない」という状況であり、長らく私のような単純な者は、そうした「大人の」考え方を理解できないできたわけである。
さて、そういうわけで、宗教的な営みにどこか違和感を持ちながら(つまり宗教アレルギーを持ちながら)、しっかり宗教を持っている人が自分の周りを取り囲んでいるという事実の中で(あるいは戦争アレルギーを持ちながら、戦地へ自衛隊を派遣したがる人が大勢いる事実の中で)、おそらくは自分を菜食主義と言うときに見られるあの変にぎこちない態度を、自分もそうした人々に対してとってきたのではないかと思う。そして思うにそうしたぎこちない態度をひとに対して自分がとり、自分に対してひとがとるとき、そこには一種の思考停止のような作用があるのだと思う。それは同一の地平が存在しないこと、超越的ななにものかの前に結局は議論が議論として成立しないのではないかという感覚なのだ。
例えば私が肉を食べないのは動物がかわいそうだからだと言ったとすると、おそらく一般の肉食をしている人からは変な顔をされるだろう(逆に菜食主義の人々からは手ばなしの賞賛を得るだろう)。そこには安定した同一の地平がない。極端に言えば「かわいそう」という共感以外に根拠をもたない直感は、議論してはそれ以上に深まるきざしは見えず(実際には深まる余地はいくらでもあるのだが。そしてそれを非力ながらこの日記を通して描き出したいと思っているのだが)、すでに用意された真理の前ではいっさいはそこから照射される光によって決定づけられてしまうがために、それに反論しようとする人は自分の議論の議論ならざるがゆえにむなしさを覚え、ひとそれぞれだからとか、勝手にすればといった平行線へと話は流れていってしまう。
同じ現象が宗教にはあると私は思う。宗教をひとつの思想、それを開き、それを支え、それを豊かなものにしてきた人々の知性には共感できても、ことが「神」とか「天使」とか「啓示」とか「奇跡」とかいったたぐいに及んだとたん、我々は(少なくとも私は)例の思考停止におそわれるのである。そこにはあらかじめ真理が用意されていて、それを疑うことは前提そのものをくつがえしてしまうがゆえに許されず、そのために部分的には理解できるが本質的には相容れないといった思考の停止を招くのである。
さて、やっとここで本題に入るのだが、私はとある人に誘われて、ある新興宗教の講演会に出かけることになった。金にもの言わせる宗教や独善的で排他的な宗教もある中で、それは前述したような、宗教色を限りなく薄めた、ほぼ温和な道徳クラブとでも言うようなものであり、出している雑誌も読んだが、信者に限らずとりあえずいいことを言う人なら取り上げるといった姿勢で、紙面のどこにも「神」や「天使」といった言葉は出てこない。さすがにこれがこの宗教のバイブルだと言って渡されたテキストには「神」や「天使」が出て来るが、「キリスト」や「シャカ」やその他諸々が同列に扱われており、「神」や「天使」を「超越的真理」とか「ひらめき」「アイデア」と読みかえれば、どこが宗教なのかというような内容である。むろんその「読みかえ」の是非こそが最後の一線なのであり、私のようにキリストやシャカやムハンマドの偉業や伝説には感動を覚えながら、その奇跡や死後の世界観などは受け付けない。そこでそれらをうまく読みかえていくことによって信者との間に同一の地平を構築していく、などというのこそ邪道なのであろう。それは私が言うところの「動物がかわいそう」についても言えることだから、ある程度わからないではない。
さて、その講演会であるが、私の見るところ知人も熱烈な信者というわけではなく、1時間くらい聴いたら帰ろうということになっていたので、あまり気が重くもならずに聴き始めた。祈りの効用についての「科学的な」説明などもあったが、内容的にはほとんど世俗的なものであり、特に狂牛病についての話はかなり興味深いものであった。講演者によれば、目下狂牛病の原因と思われているプリオンは、牛に共食いをさせたことから生じているとされており(かなりの資料に基づく説明が延々と続く)、肉の生産性の低さからすれば、現在生産される穀物を家畜にまわさず、貧しい国にまわせば食糧問題を一挙に解決できることをあげ、さらに申し訳程度に「宗教としても」肉食は極力避けることが好ましいとして、肉を食べなければすべて解決すると、笑いながら(おそらくこの点を言いたかったのだと私は思うのだが)そう言うのだけれど、しかしそれでも肉をおいしいと喜ぶ人にそれを強要するわけにもいかないと一定の理解を示し、結局何が結論かはっきりわからない様子で次の話題へと移っていったのであった。
その語り口は非常にソフトで、何やらありがたい話を聞きにきているんだから、煽動とまではいかずとも、もっとインパクトのある言い方で言ったらよかろうと、この私ですら思うほどに断定を避けたもの言いであった。それがこの宗教の持ち味なのかとこれまた深読みをしたい衝動にかられたりもしながら、それでもそうした中で確かに私が感じたのは、おそらくはここに集まった人々は、サルトルやチョムスキーの風刺の利いていてウィットに富んだ激烈な弁舌などより、よっぽどその「宗教からすれば肉は食べない方が好ましいんですが...」といった押し付けがましさのまったくない、控えめでソフトな言葉の方をより多く聞くだろうということだ。サイードがパレスチナについての不公正やアメリカの文化帝国主義について鋭い視点を提示するよりも、おそらくはそうした宗教者による融和勧告の方が、何倍も彼らの心に届くであろうと考えたときの私のくらくらするほどの幻惑が想像できるだろうか。
テロについて書き、狂牛病について書いていく中で、私は同一の地平上に乗らないものには、本来的な議論も、従って解決もないのではないだろうかと考え始めている。それが議論の対象となるには、世俗的で実利的な「交渉」のレベルまで下がらなければならないのではないかと思い始めていたのである。一方が自由と平等を唱えるとき、もう一方にはそれが存在しないかのようだ。また一方が貧困と不公正の是正を唱えるとき、同じくもう一方にはそれがまるでないか、あるいはその全責任があるかのようだ。こうしたてっぺんでの話では何も始まらない。じゃあ結局はどうなっているのかという地道な検討作業を重ねていくしかない。私はそうすることで、それまで際立って見えた両者の差異は、実はそれほど違ってはいなかった、両者に共通の問題であったことが見えてくるのではないかと予想している。しかしそれは口では簡単に言えるが、どれほどに遠い道のりであることか。ましてや両者の一方がもの言わぬものであった場合には、いったいどれほどの時間と想像力が必要になることか。
そんな中でその講演会に出席し、あまりにも簡単にこの努力を成し遂げている宗教の力を目の当たりにして、私は正直うらやましく思ったし、何かだまされたような思いもしたのである。思えば日本人が長きにわたって肉食をしなかったのも、仏教の力によるものであって、知性のなせるわざではなかったのだ。逆に言えば、信仰や共感に対する知性の何と脆弱なことか。しかしもちろんその脆弱さこそが知性の長所ではある。常に反駁し、突き崩し、突き崩されることを前提とするからこそ、実り多い果実を得ることができるのもまた事実なのである。
宗教の持つ力を知りながらも、私は世俗的な人間として、自らの持てる力をもってことに当たらんとする思いを新たにしたのであった。
11月3日(土)曇りのち雨
曇りの日の紅葉は目に染みるように美しい。晴れの日には見られない潤いに満ちた色合い。眠ったような木立の中の、まだ色づいていない緑の葉を背景に、黄色に赤に染まりゆく木の葉。
宮城県美術館で今日から開催の「ウィーンの春」展に行く。「クリムトからシーレまで ウィーン分離派1898-1918」という副題のついたこの展覧会は、ウィーン分離派に焦点をあてて本格的に紹介する日本初のものということで、宮城県美術館のほか、BUNKAMURAザ・ミュージアム、島根県立美術館に巡回していく予定。図録や出品目録は時代順にまとめられているが、美術館での展示は分離派開館の紹介に始まり、代表的な作家であるクリムトの絵画、国際的な広がりとして各国の作家紹介、椅子をはじめとする家具や建築デザイン、最後にエゴン・シーレの絵画という順路になっている。
今日的に言えばデザインやイラストとして分類されるものが大半を占める中で、私の目を引いたのは2点のセガンティーニによる油彩だった。実はアルプスの画家と呼ばれるセガンティーニの実物を見るのは初めてである。

ジョヴァンニ・セガンティーニ 『水のみ場の牛』 1892 油彩、キャンヴァス 51×31 サントリー美術館
セガンティーニは北イタリアの生まれ、ミラノで学んだ後、もっぱらアルプス山地の農村生活を描きつづけた。もう1枚、こちらはよく知られた『生の誕生』も出品されている。非常に特徴的な筆致と明るい色彩は強い印象を残し、ワイエスもよく研究したという。
この『水のみ場の牛』では、最初にこげ茶でかなり厚い地塗りをほどこしている。その厚さも均質なものではなく、仕上がりを計算した上で細めの筆により丹念に塗り重ねられている。その上で鮮やかな色彩をこれも細い筆で一筆一筆入れているわけだが、その際印象派的な色の組み合わせがかなり効果的に試されており、例えば空には淡い青を主体としながら、もっと深い青の線を入れ、時にはピンクの筋も行く本かを紛れ込ませている。草地の色合いはもっと複雑で、地のこげ茶とそれをもっと明るくしたものを主体に、黄緑、黄色、白、青といった色彩が、織り物のように重なり合って描かれている。おそらくはこのあたりの筆づかいにヒントを得て、ワイエスはドライブラッシュやテンペラの塗り重ねをあみだしていったのであろう。むろんセガンティーニの油彩による筆づかいは、水彩やテンペラとは全く比較にならないほどのボリューム感を持っており、またその色づかいもはっとするほどに鮮やかである。それでいて派手な印象を与えるどころか、落ち着いた調子に仕上げているのは、まさにこれを自らの技法として創造、追究していったセガンティーニにおいてはじめてなせる技であろう。
※サン・モリッツにあるセガンティーニ美術館のサイト
11月2日(金)晴れ
今日は具合が悪くて一日お休み。おかげで長いこと書こうと思っていて書けなかったエッセイを「共感という名の大地」と題して書くことができた。
この他ロバート・A・ハインラインの2つの小説『宇宙の戦士』『月は無慈悲な夜の女王』について、「ハインラインの二つの宇宙」という題で書いてみたいと思っている。『宇宙の戦士』については、あとがきでの論争を見ても、映画化の折の浅田彰氏の酷評を見ても、ウェブ上のいくつかのハインラインのファンサイトを見ても、どれも評価が低いという点で一致している。一人訳者の矢野徹氏のみが黙して語らず、暗黙の支持を出しているように思うが、それは氏が実際に戦争に従軍した経験をもっているからのように思う。この小説をファシズムとか戦争賛美といった面から語るのはばかげている。優れた戦争小説を読めばわかることだが、それらは一様に戦争の非人間的な面を激しく糾弾しながらも、戦場での一体感について語っている点に注目したい。つまりSFという狭いジャンルの中でなく、他の戦争文学との比較においてこれを検討することで、評価しなおしてみたいと思うのだ。そして『宇宙の戦士』が体制に取り込まれた内側の視点だとすれば、今度はそれを外側からながめたのがその後書かれた『月は無慈悲な夜の女王』であろう。この未来革命小説とでもいうべき作品について考えるときにも、未来戦争小説たる『宇宙の戦士』との比較において考えることが有益であるように思われる。例えばハンナ・アーレントが『革命について』の冒頭中で戦争と革命との関連について述べているように。
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