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器用仕事日記

〜2001年9月〜

「中秋の名月」 Atsushi Kadowaki 1999

 

9月1日(土)晴れ

 秋の風の吹く、とても晴れやかな日であった。何とも気持ちのいい風の中を流れていく木の葉のように、この日を楽しんだ。夕焼けもすばらしかった。
 今日から「インターネット美術館」で個展を開いている。10日間の予定。美術館の主である飯村さんからメールをいただいたのは、8月の半ば頃。「インターネット美術館」に絵を投稿するページがあったので投稿(このサイトでは投画と呼んでいる)したところ、ほかの絵も見たいとのことでこのホームページを見てもらった。その後企画展の話になり、枯れ野をテーマにした今回の作品展となったわけである。

 

9月2日(日)晴れ、夜から雨

 とても気持ちのいい天気。近くの渓流にスケッチをしに行く。おとといの雨で水量はまだけっこうあった。本当にここは皮肉なもので、このすばらしい渓流のすぐそばが新しく切り崩した新興住宅地であり、この住宅地の造成のために近づくことができるようになったのである。ごみは多い。

「渓流のスケッチ」 水彩、紙 F8号

 

9月3日(月)くもり、夜から雨

 ザッハトルテをいただく。メッテルニヒに仕えていたフランツ・ザッハという男が考案したお菓子だそうである。ざっくりとして、実にリッチなこのものは、お菓子というには少し違和感。メッテルニヒをしのんで食べる。

DEMEL

 佐々木毅『プラトンの呪縛』を読み終える。テキストはどうにでも読みかえることができるという実に興味ある例を見せてもらった。最近ではあのワイツゼッカーの演説さえも巧妙なトリックだという人がいるという(「<戦争責任>とは何か」木佐芳男著についての山崎浩一氏の書評。朝日新聞2001年9月2日)。
  確かにテキストを素材としてみる限り、どう読みかえるのも理論的には可能ではあるが、それは結局「人間は万物の尺度」、つまり人間の数だけ真実がある的な見方に立ってこそ可能なことであり、そのテキストをものした精神の奥底へ浸透することによって得られるところは、それほど多様なものではないように思える。たとえば、プラトンをファシストとして見る見方の極端さは、彼の「魂への配慮」という根本条件を無視することによってのみ見えてくるものであろう。そしてこれは多少情緒的な意見かもしれないが、相手にする素材に対し、それとともに高まっていくという気概、つまりは愛情がないとしたら、それを相手にすることは無駄というものであろう。そこに何かしら、自分を高めてくれるもの、あるいはそれすらも高めていくような気概があって初めて、それに取り組む意味というものがめばえてくるのではないか。そして、この世のひとつひとつに対して、そうした意味での大切さを見出し、付与していくことができるならば、何とすばらしいことであろう。

 

9月5日(水)晴れ

 8月から描いていた屋根裏の絵(以前水彩で描いたものをテンペラに描きなおしていたもの)がおおむね出来上がる。うれしい。

 塾で再び、なぜ勉強するのか、この勉強は何の役に立つのかといった質問が出る。以前、論理的説明(ロゴス)のかたちでこれに関する文章を書いたので、今度は物語(ミュートス)のかたちで何か書いてみようかと思っている。
  こうした質問はときおり出てくるもので、素朴な疑問それ自体は健全なものではあるのだが、それが出てくるのはさぼっていたつけがまわってきたときと決まっている。間違ってもよく勉強しているときやテストでいい点をとったときではない。だからこれは、本当にその答えが知りたいからするようなたぐいのものではなく、自分を防衛するために争点をそらし、時間をかせぐためにする質問なのである。そうした意味で、これは自己防衛のための本能的な反応であり、それ自体は健全なものであろう。
  では何が問題かといえば、そうした素朴な質問が、真の意味での回答を望まないような質問であり、結局は言葉による説明がむなしいものに終わることを悟ることなく真に受けてしまう、つまりは相手の術中にはまることにあると思う。こどもは決して幼稚ではない。また逆に大人は決して幼稚でないとはいえない。それに気づかず、こどもを幼稚で劣ったもの、素朴な当たり前のことがらを平気で尋ねる純真なもの、などとあなどれるのは、大人はこどもよりもすぐれているという根拠のない確信があるからである。そしてここに例の「なぜ人を殺してはいけないの?」という質問が生み出されてくる隙があるの
だと思う。
 「なぜ人を殺してはいけないのか」といった質問には、実際に殺されてみればわかるという回答があるのみであり、先の「なぜ勉強しなければならないのか」という質問へは勉強しないで大人になってみればわかるという回答があるのみである(「神がそう定めたから」とか説明する人もいるそうだが)。そこには実際の現象面で起こるリアリティに対し、言葉で語ることのひ弱さ、むなしさがある。むろんそこには想像力の欠如、言葉への鈍感さといったものがあるわけだが、その根本のところには、このいつも何かに守られている社会、全ての権利が保証されているかのような幻想を抱ける豊かで貧しい社会というものがあると思う。本当の意味でリアリティをもった不安を感じたりすることがなければ、不安を感じる人の身になってものを考える=感じることは究極的には不可能であり、伝達不能な感覚を不完全なかたちで伝達するむなしい言葉がうずたかく積もっていくだけである。そしてそうした社会に安穏としていることに一抹の不安とそれを打ち消すかのような根拠のない誇りを抱いている大人を相手に彼らは、まるで被害者のようなひ弱さと見透かしたかのような純真さを装って、「大人」へ例の質問をしかけるのである。知らないこと=体験したくてもできないことを教えてほしいと。

 

Atsushi Kadowaki 2001

9月6日(木)晴れ

 今日は何とお昼の3時まで寝てしまった。ぼうぜん。

 

9月7日(金)くもり、夜から雨

 今日もまた盛り下がった一日だった。夜、ごる(ねこ)とマンションの廊下で追いかけっこをする。ものすごくしっぽをぶっとくしておもしろかった。
  何か今週は本当にぷらぷらしていたので来週はしっかり描き込んでいこうと思う。

 

9月8日(土)晴れ、夜から雨

 今日はあき時間に仙台で毎年この時期に開催される「第11回定禅寺ストリートジャズフェスティバルin仙台」を見に行く。ご当地の常として、今までほとんどまじめに見に行ったことがなかったのだが、昨年から土・日の2日になって、わざわざこれだけのために出て来る必要がなくなり、しかも今まで「ジャズフェスティバル」なのに場所が悪かったのかボーカルのやけにうるさいロックや何かばかり目にしていて、文化祭みたいだなぁと思っていたのだが、今日は目にするバンドがみな正統派ジャズで、しかもふらりと何の気なしによったのもよかったのだろう、実によかった。
 出演バンドはなんと600あまり。仙台の目抜き通りである定禅寺通りをはじめ、杜の都のよく整備された通りで、演奏するバンドを取り囲むようにして聴き入る道ゆく人。そういえば今年は隣のバンドの音量が大きすぎるといったこともなかった。

 

「丘の上のふたり」 水彩、紙

9月9日(日)晴れのちくもり、夜一時雨

 ハンナ・アーレント『人間の条件』(志水速雄訳)

「人間の工作物は、死すべき人間が住み、使用するものであるが、けっして絶対的ではありえない。しかし、このような人間の工作物の安定性は、芸術作品の永続性の中に表象されているのである。物の世界の耐久性が、そのままの形ではこれほど純粋かつ明瞭に現れているものはほかになく、したがって、この物世界が、死すべき存在である人間の不死の住家として、これほど見事にその姿を現しているところもほかにない。あたかも、世界の安定性は芸術の永続性の中で透明になったかのようである。そしてその結果、不死性---魂や生命の不死性ではなく、死すべき人間の手によって達成されたある不死なるものの不死性---が触知的に現れ、光輝いては見え、音を発しては聞かれ、語っては読まれるようになったかのようである」

 

9月10日(月)くもりときどき雨

 朝、振込みに銀行へ行く。やがて雨が降り出す。

水彩、紙

 

9月11日(火)台風

 台風が来るというのでたいへんな騒ぎだったが、またもやたいしたこともなく通過していく。しかし生徒からの要望もあって今日は塾はお休み。ゆっくり絵を描く。

 夜、貿易センタービルに飛行機が突っ込む。ふとサルトルのテロ行為容認発言のことを思い出す。世界を圧倒的な軍事的優位のもとに秩序化していく中で、アメリカはどれだけ世界の言葉に耳を傾けてきたのだろうと思う。また、このテロ行為に対して行われるであろう報復措置は、パレスチナの過激派による自爆テロへのイスラエルによるミサイル攻撃と対比されることはまぬがれえまい。今回自国で行われたことが、実はかつて軍事行為を行った相手国の中では当然起こったことなのだというそのリアリティについて、いつか冷静に語られる日の来ることが、テロの犠牲になった人々へのささやかななぐさめと思う。

 

9月12日(水)くもり一時雨

 狂牛病が日本にも上陸したそうだが、この病気の原因は、家畜を粉にした肉骨粉を飼料に混ぜ、強制的に共食いをさせていたことにあるとする説が有力だそうである。すでに欧州では相当数の牛が「焼却処分」され、日本でも同じく「処理」されたそうだが、これに関して優れた示唆を与えてくれるのが、レヴィ=ストロースがイタリア紙によせたエッセイ(『中央公論』どこかにいってしまって現在捜索中)である。
 現在は少しお休み中であるが、以前自分の菜食主義について何らかのまとまったものを書こうといろいろ調べたことがあって、そうした中でよく欧米人の肉食傾向について説明した文章に引き合いに出されるのが、旧約聖書において神が述べたとする言葉、すなわち動物は人間のためにあるといった内容の記述である。いったいどこに書いてあるのかと思っていたのだが、レヴィ=ストロースによるとこれはノアの方舟時の話なのだという。つまり、大洪水によって世界の生きものたちが死滅した後、ノアが方舟に乗せて救った動物種たちを、これ以降人間のための食糧にするようにと神が述べたのだという。
 しかしこの「ノア以降」というレヴィ=ストロースの指摘は実に鋭い。彼の言わんとすることは、ノア以前にはあった人間と動物との交わりが、それ以降失われてしまったということである。神話の世界では動物が活き活きと人間に語りかけ、人間はそれを非現実的な事柄とも思わず、当然あることとして受け入れている。そしてこれを両者の関わり方についての比ゆ的表現であると読むことは可能であるが、そうした解釈論が問題なのではない。そうした関わり方をどの程度信じるか、この世界を成り立たせていく上でどの程度本気で取り組もうとするかが問題なのだ。
 また、神話の世界では当然あるべきこととされてきたことが、いわゆる「科学的」にも証明されるという「幸運」を散見することがある。例えば、植物が非常な速度と確実さで仲間うちとの情報交換を行っていることが近年明らかになってきた。しかし木をはじめとする植物と人とは、もうすでに長い間、対話を重ねてきた間柄だったのである。ではその対話がゆらぎ、断絶してしまったのはいつ、なぜなのか。さらに言えば、人間に近しい存在である牛や馬、犬や猫といった生きものがもののように扱われ、何も感じない道具ででもあるかのようにこうも簡単に「処理」されるようになったのは、いったいいつ、いかなる理由からなのか。
  決して昔から不変の事実などない。ひとりの人間の一生は、全体を見るにはあまりに短く、不完全なので、とても都合のよい思いなしをしているに違いない。生きものに対するわれわれの態度を思うとき、私にはそのように思えてならないのである。

 

9月13日(木)くもりときどき雨

 昨日の朝日新聞によると、アフガニスタン北部同盟のマスード将軍が暗殺された可能性があるという。こちらもアメリカでの事件の有力な首謀者と見られているラディン氏によるものと目されている。いくさ上手で知られる「パンジシール渓谷の獅子」。対話による解決という手立てはなかったのだろうか。

 

9月14日(金)くもりのち雨

 一昨日、暗殺されたと報じられたマスード将軍が、危篤との情報(一部にはすでに死亡説も)。

 

9月16日(日)くもり

 マスードの死が確実となる。すでに10日には死んでいたという。この暗殺とアメリカでのテロがいずれもビンラディンの手によるものだとすると、11日への布石だったということができる。マスードなき後の北部同盟は単なる寄り合い所帯だ。
 マスードのことは、報道写真家の長倉晴海氏の写真や書籍で知り、10年ほど前から気にかけていた。79年のソ連によるアフガン侵攻当時、学生だったマスードは、否応なくこの戦争に巻き込まれ、みるみる頭角を現していく。そしてソ連の圧倒的な軍事力に対して、拠点とするパンジシール渓谷の地の利を生かしたゲリラ戦法で応じ、結局ソ連は彼を負かすことができなかった。一度NHKのドキュメンタリーで彼の指揮ぶりを見たことがある。枯れ果てた渓谷に一人座り、無線機を前に少数の部下を手足のように動かしていく。機を見るに敏で、用心深く、そしてあたたかい人柄は絶対的なカリスマ性を備え、その指揮ぶりは勇猛沈着で「パンジシール渓谷の獅子」と恐れられた。ちょうどその番組の頃は、ラバニ政権が樹立される頃、すなわちソ連が撤退し、マスードがカブールに入ったころだった。やっと平和が訪れるのかと思われたが、その後周知のようにタリバーンが一気に全土を席巻した。
 平和が戻ったら、とマスードは語っていたそうだ。また学校に戻りたい、と。結局20数年間を戦乱のうちに暮らし、その間、常に居場所をかえ、作戦を立て、部下を統率し、諸外国と折衝して武器や戦費を調達し、メディアへ応じ、そして死んでいった。あるいはやっと彼は楽になったのかもしれない。アッラーのみが知りたまう。

 NHK特集で狂牛病に関するドキュメンタリーを見る。結局安全な人などいないのではないかと思うのだが、では肉は食べないようにしよう、とならないところがおもしろい。あんなことがあっても天皇制はやめない(というかそんなことが話題にすらならない)というのにどこか似ている。新型ヤコブ病で死んだ娘を持つ父親だけが「人間の貪欲さと傲慢さとが今回のような結果をもたらした」と卓越しているが、これに関する解釈はいかなるものなのか。単に牛に共食いをさせたというようなことにとどまるまい。

 

9月17日(月)晴れのちくもり

 昨日、マスードの葬儀が行われたそうだ(イタル・タス通信など)。この葬儀でラバニ前大統領は、「オサマ・ビンラディンとパキスタンの支配下にあるタリバーンは即座に根絶やしにされなければならない」と述べたという。しかしもしこの発言がアメリカでのテロ事件より前に行われたものだったとしたらどうだろう。「根絶やし」あたりをとらえて、ぶっそうな、年中争いばかりしている連中ということで、北部同盟にせよタリバーンにせよ、一緒くたに並べられていたことだろう。それがあの事件を契機に180度かわったのだ。今では彼らを「根絶やし」にせよと声高々にわめきちらしているのは、かつての「文明国」アメリカなのだ。

9月18日(火)晴れ

 事件発生からほぼ毎日、アメリカでのテロ事件についての記述が大半を占めてしまい、それはそれでいいと思うのだが、制作や日常生活についての記述とあまりにミスマッチでそれらを同時に同じ紙面に書くことがはばかれるので、今日からテロ事件を扱ったものをとりあえず(いい名前が見当たらないので)「テロリズム日記」と名づけ、独立したページとする。これまで書いたテロ事件関連の記載はすべて「テロリズム日記」に移行し、「器用仕事日記」の方からは削除する予定。

 先日、「ロフトワーク」というクリエイター支援サイトに登録すると、自分の絵などの紹介ページと掲示板、作品販売ページを与えられ、さっそくデータを送る。掲示板の方はさっそくテロ事件関連の書き込みをもらい、熱を入れて書いてみる。

 ほとんど出来上がった「屋根裏」の手直しと40号の「丘」(一昨年くらいから描いているもの)の最終段階に入る。新しいものにもそろそろ手をつけていこうと数枚、下絵や鉛筆描きを作る。

新しい「丘」の下絵 水彩、紙

 トラぶんが1週間前から肛門の病気になっていたのだが、少し治りかけてきたようだ。毎回注射器で抗生剤を飲ませている。命には別状ないので安心だが。

 

9月19日(水)くもり

 うちの近くの(バスで10分くらい。歩くと30分強)素敵なティールーム「ノートル・シャンブル」は何ともしゃれたお店で、車のないわれわれのたまにぶらりと行く憩いの場である。昔もうフランスへ行ってしまった知人に紹介されて通いはじめたのだが、こちらからそうした話をする性格ではないので、そ知らぬ顔で犬のパトちゃんと遊んだりしていた。先日、そのホームページの掲示板に書き込みをしておいたところ、私の絵をほかで見てくれたことがあったそうで、何ともありがたい。犬のパトちゃんの実にかわいらしい様子も見られる「ノートル・シャンブル」のホームページはこちら

 ねこべや」でもご紹介しているトラぶんは大のおくびょう者。先週は動物病院へ連れて行くのに一苦労だった。もともとごる(もう一匹のねこ)と違ってやさしい性格で、ピンポ〜ンと呼び鈴がなるとともにダッシュして押入れに隠れてしまう(ピンポン・ダッシュ)というトラぶんな上に、大きくなってからというものベランダ以外出したこともなく、最初に病院へ行ったときは息もたえだえというぐあいだった。しかし通っているうちに少しは慣れてきたようで、しかも病気も命に別状ないものだったので少し余裕。病院からかごに入れたまま30分、歩いて家まで帰ってきたりしたのだった。

 今日も比較的時間がとれたにもかかわらず、たいして集中して制作せず。死を悼む曲(当初は「長崎へのオマージュ」というタイトルを思い浮かべていたり)を作り込んだり。今月からいろいろピックアップしていく器用仕事の音楽作りでは、「今月の新曲」として「サラーム」と名づけた曲を4分くらい紹介してみた。
 石膏を塗ったパネルの上の、こつこつという鉛筆の感触が心地よい。

Atsushi Kadowaki

9月20日(木)くもり

 ふと銀座の個展まであと半年となっていることに気づく。別に個展のために絵を描いているわけではないのだけれど、自分に気合いを入れるためにもあと何日という下のような表示をしているわけだ。どうにも何かしら外部からのまなざしがないとサボりがちなので、私はいつも何かしらこうしたことをしている。ふと気づくと独り言を言っているのだが、これも実は自戒を込めたそれらの延長線上にあるもので、しかしこうしたことも慣れてしまうと効き目がないからどんどんエスカレートしていきそうだ。

 本屋でふと見るとエドワード・サイードの『文化と帝国主義』の第二巻の邦訳が出ているのに気づく(原本は1993年に刊行)。第一巻が出たのが99年だそうだ。その時に買ったはずだから第一巻は2年間ずっと読んでいない。二巻が出たら読み始めようと考えていたような気もする。本屋で少し立ち読みすると「アメリカの優勢」として、植民地なき帝国アメリカについての記述もあり、湾岸戦争についてもふれられているのでさっそく買う。

 妻がけっこう熱中していたテレビドラマ『非婚家族』が終わる。帰宅するころ始まり、ばたばたしているうちに終わっているので私はあんまりよく見ていないのでもしかしたら全然違っていると言われるかもしれないが、どうも非婚というのは結婚を否定するということというよりも、みんなで結婚する多夫多婦制を支持しようというような意味合いのように思える。価値はその希少性に生じるということがあり、みんながベンツに乗ってしまえばベンツに特別の意味や価値がなくなってしまうように、みんなで結婚状態になってしまうと特別結婚というものに意味がなくなってしまう、というような内容を、かなり清潔感を意識しながら描いたもののように思える。これはアメリカの人気ドラマ『ビバリーヒルズ〜白書シリーズ』にも共通するもので、しばらく見ていないとカップルの組み合わせがすっかりかわっていてびっくりするが、当事者たちの間では何ら問題が生じていないように見えるのは、結局彼ら全員が全員と、婚姻関係ほどの強い結びつきでないにせよ、それに類似した関係を結んでいるからで、それが指し示しているのは多夫多婦制こそが理想という、声に出して言ってはならないが、どう見てもそれとしか受け取りようのない新たな婚姻スタイルの提示であるように見えたものである。しかしそれが現実としてありうるのは、よっぽど暇で裕福な人たちか(ビバリーの登場人物にはひとりとしてサラリーマンは登場しないし、誰も金に困っていないように少なくとも私には見える)いつまでも若くて恋のとりこでいられる人たち(彼らがまだ20代のうちに番組が終わったのはそのためか?)だろう。

 

9月21日(金)くもりときどき雨

 少しテンペラを進める。8号で描いている夏草が出てくる絵で、今日は緑を塗った。緑は3〜4色あるのでイエローオーカーの上にそれぞれ重ねて塗っていく。水彩のような、偶然性の面白さがでたが、この後細い筆で描き込んでいくのでそうした即興性は失われてしまう。それともこのままの方がいいのだろうか。

 肉は食べないという話をすると、生徒の口から「先生ひとり食べなくてもかわりないじゃない」という例のセリフが飛び出す。その前は「野菜も生きている」だったような気がする。
 ふと思いつきで、「人間ひとりの存在なんて全体からすればとるに足らないものだから、いてもいなくてもかわりないんじゃないか」と切りかえしてみる。「それは違う」という実にまともな答え。その通り。恐ろしい殺戮を経て、生を限りなく尊いものとした現代社会では、その行為がとるに足らないからといって、存在までとるに足らないなどとは言われないのだ。では存在だけが尊くて、行為はとるに足らない存在とはいったい何ものなのか。存在するだけで偉い。何というあたたかい世の中なことか。ふと自分がとるに足らない存在などと言われるのが嫌だからそうする、という万人の万人に対する闘争的な理由が頭をもたげてくるが、本質的にはそんな理論づくめの政治的問題ではなく、もっと心情的、感性的な問題なのだと思う、存在そのものの理由というのは。

 仙台市の図書館は、以前西公園という桜の名所にあって、かなり古い建物だったが、去年から新しくできたせんだいメディアテークという、こっちはすごく近未来的な建物の中に、おさまっている。テロリズム容認を語ったサルトルのことを調べてみようと行ってみるが驚いたことにサルトル関連の書籍は哲学書ではなく文学書のところに2〜3冊あるばかり。もしや今回のテロ事件で急遽みんなが借り出したのかと思ったが、逆にイスラム、アラブ関連図書は結構棚に並んでいる。ものすごくタイミングよく地中海映画祭というイベントも開かれていて、イスラム圏を中心とした映画が上映されており、見たいと思っていたのだが、いろいろあって結局見られそうにない。

 

9月22日(土)晴れ

 もっぱら自転車で移動しているのだが、今日は突然に寒さが身にしみた。昨日までとは明らかに違うきっぱりとした空気。目に見えない薄い壁を通りぬけるようにして、われわれは年月のはざまを過ぎていく。それは決して繰り返されることはないのだが、あたかも環をなして繰り返しわれわれの前を通りゆくかのように見える。そしてそれはわれわれとそれ以前の人々とを結ぶものだ。毎年その日になれば、たとえば偉人の誕生を祝い、その死を悼み、神秘的な交わりをもとうとする。すでにその人はなく、再びよみがえることもないというのに。あるいはその出来事は繰り返されることはなく、同じ経験を2度することなど決してありえないというのに。ミラン・クンデラはこの地球を「未体験の惑星」と呼んだが、それは否定的な意味でだろうか、それとも肯定的な意味でなのだろうか。おそらくは決して忘れることのできない強烈な体験をした人にのみ、それを語ることが許されるのかもしれない。あるいは日々を薄い層を重ねていくようにして紡いでいった先に何かを見出した人にのみ、それは広がっているのかもしれない。

 

9月23日(日)晴れ

 秋晴れの実によい天気の日だった。午後から見たいと思っていたせんだいメディアテークの「地中海映画祭」へ行く。地中海というと日本では南仏やイタリア、ギリシアといった南ヨーロッパのイメージが強いかと思うが、むろんアラブ諸国やトルコも地中海諸国であり、今日見たのはエジプトのユスリー・ナスラッラー監督による『エルマディナ』(1999年)。一度カイロへは行ったことがあるので、何となくあの暑苦しい雰囲気を、よく晴れて乾いた空気とともに思い出した。聞かなくなって久しいアラビア語の、あの同じく暑苦しい発音もなつかしい。そして映画が終わった後、日本語監修者にアラビア科の同期生の名前を見たときも(ああ、私は成績が悪くて一年留年したから卒年は違うのだった)。
 カイロに住む大学出の若者アリーは役者志望なのだが、いい仕事もなく、親から八百屋の手伝いをするように言われたり、横暴な友人との表面的なつきあいや、自分への期待が高いゆえにその存在を重荷に感じている従妹など、自分を取り巻くその閉塞感に耐え切れず、パリへと脱出するが、そこではアラブ人の自分になど職もなく、八百長ボクサーとしてすさんだ暮らしを送る。そうした中でアラブ人不法労働者たちと交流を持つうちに、自らの根であるアラブ社会を再発見していく。錦を上げずには故郷へ帰りにくいアリーであったが、八百長試合を放棄したために報復を受け、命こそとりとめたものの記憶を失い、エジプトへと国外追放される。帰ってきたアリーを迎えたのはよくも悪くも何ひとつ変わらない故郷だった。そうした関係をひとつひとつ前向きにとらえていくアリーが描写され、ラストシーンでは映画俳優になっているという少し唐突なハッピーエンドではあるけれど、おおむね希望へと向う内容には好感がもてた。
 しかし妻はかなり違う印象を受けたようで、その暗さが何とも心に重かったようだ。有名なパレスチナ映画『ガリラヤの結婚』をはじめ日本で紹介されるアラブ映画は、おそらくは紹介する人たちの選定基準も手伝ってだろうが、おおむね社会問題を扱ったものが多い。ということは暗くなること必至であり、そうした映画を少しは見ていた私には、この映画は実に明るく思えたのだが、やはりその底を流れるひとりひとりの力ではどうにもできない重さのようなものがあるのも確かである。あんなに開放的で西欧よりのエジプトですらそうなのだから、他の多くのアラブ諸国、イスラム諸国の閉塞感はいかばかりか想像がつこう。そしてこうした心情的な生の感性から、テロリズムへと身を捧げてしまう者たちの気分をうかがい知ることは可能ではないだろうか。いつも負け役の八百長試合ばかりをやらされていたあのアリーの中には、いつその魔の手がしのびよっても不思議はないのではないだろうか。

 

9月24日(月)晴れ

 昨日にひきつづき「地中海映画祭」(せんだいメディアテーク)へ出かける。今日はトルコ、レバノン、モロッコの3本が紹介されたが、1本目のヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督『五月の雲』(トルコ、2000)があまりによかったため、1日の許容量はこれくらいかなと思い、帰ることにした。
 昨日のエジプト映画『エルマディナ』が荒削りで、都会的で、動的な気分をもっていたのに比べ、このフィルムは、映像的にも構成的にもずっと洗練されており、牧歌的、静的なものを基調にしている。監督の「自伝的」というよりは「私小説的」な内容で、あまり売れそうにない映画を撮っている映画監督が、両親や親戚の住む、自分の生まれ育った村へと映画を撮りに戻って来るというストーリーである。
 主な登場人物は、政府の土地調査員が、長年耕してきた自分の畑を取り上げに来るのではないかといつもおびえ、法的な根拠をもとに断固戦うという父。静かな田舎の暮らしを受け入れ、淡々とした日常を暮らす母。40日間割らずにいられたら音楽の鳴る時計を買ってもらえるというので、いつも大事にポケットの中に卵をしのばせている甥の少年アリー。都会(イスタンブール)へ出たいと思っているのにみなからの反対を受け、閉塞感のうちに日々を暮らす後輩。そしていつも冷めた視線でこれらをながめている映画監督。
 美しい田舎の風景の中で、どこにでもあるような、しかし当人たちにとっては逃れることのできない問題というには少しおおげさなもの(つまり日常)を抱えながら、ストーリーは静かに進行していく。まさにその日常生活がそうであるような足取りで。
 人物の描写は抑制が効いており、等距離で、緻密なものを感じる。おそらくは自分自身の分身であろう映画監督は、他人に対して寛大であるようでいて、実はそれが感情移入の度合いが低く、結局は自分自身が一番大切な人間であることを実に包み隠さず描いており、その自己批判的な鋭いまなざしは透明度が高い。
 甥のアリーの寓話は何とも奥が深い。40日間卵を割らずにいられたら欲しいが手に入る、そのことを通じて責任感を教えたいと母は映画監督に語る。おそらくは割るだろうけれど、それは問題ではないのだと。むろん少年は本気だ。そして何とも喜ばしいことに純粋である。映画監督がゆで卵にすることをすすめると、それはずるだと取り合わない。学校に行く前にどこかに隠しておいて帰りに取っていけばいいと言っても、それもずるだという。やがて少年は道で、見知らぬおばさんからどう考えてもむちゃくちゃなことに、丘の上までトマトを持っていくように命じられる。ポケットに卵、手に重いトマトのかご。もうすぐというところで、ポケットの中の卵は割れ、少年は放心、かごをけとばすとトマトは少年の絶望を色と形にしたかのようにばらばらと丘を転がり落ちていく。不条理な、一方的な規則。それを達成することの向こうにある果実を得ようと無条件にそれに応えようとする純真な心。それはいずれ押しつぶされ、もっと強固な別の形で再生するか、あるいはもう形をもつことすらやめてしまうかするわけだが、少年は鶏小屋にしのびこみ、新しい卵を得ることでこの現実に対処していく。そして最後には、それがヒヨコにかえってしまうという、まるで別の自分を見つける。
 登場人物の中でもっとも動的な人物として描かれているのが父だ。もう白髪の老人で、強硬に自分の土地は法で守られていると主張しながら、いつ来るとも知れぬ調査官の影におびえている。村からかなり遠いところにあるその畑を、父は本当に愛している。特にそこにある雑木林を。その木や葉に当たる光、風を、フィルムはかなりの時間を割いて描写していく。やがて調査官が知らぬ間に来ていたことがわかり、父は断固戦うことを再度宣言するが、結局家族の誰もが反対こそしないものの、積極的な協力をすることもない。思えばそれは一家の問題であるにもかかわらず、まるで父ひとりの問題ででもあるかのようだ。そして、そうした視点から登場人物をながめていくと、ひとりひとりの問題はどこまでもそれぞれの問題であって、決してみなの共通の問題としては意識されない。
 ただ救いなのは、それぞれがおのおのの世界とつながっているということだ。映画監督は自分の映画に、アリーは腕時計に、父は畑に、母は平穏な生活に。しかしそれこそが人間という存在の本来のあり方なのかもしれない。人間はみな自分の生のみしか生きられないのだから。しかしその自分の生を生きながらも、どれだけ他者への共感をもてるかが、人間の存在を超えた美しさであろう。目に見えぬ調査官に代表される他者は、何とも居心地の悪い存在だ。心を平穏に保つことは難しい。しかし他者がいつしか同胞になるとき、その不安感をはるかに凌駕した喜びを得ることができるだろう。それは理論でも何でもなく、長い人間の営みの中で培われた経験に裏打ちされたものである。どれだけの他者を、自らの中に導きいれることができたかということが、本来的に内と外とを分かつ孤独な存在である人間を、限りなく豊かにしてくれる飽くなき営みであろう。
 あんまり映画を見ない上に、最近はテレビでやるどたばたハリウッド映画ばかりだったので、久しぶりに映画らしい映画を観た気分。何かを読み込んでいくというのは、その読み込みが浅いとしても、楽しいものだ。映画に関わらず、わかりやすいというより理解など求めていない表現が横行し、それが推奨され、喜ばれる中、表現というのがもつ本来的な難解さが、他者性としてでなく、複雑さ、奥深さとして理解され、同胞として受け入れられていくことを願うものだ。

 アイザック・スターンが亡くなる。ふと、今日訪れた墓地を染めていた、秋の美しい夕方の光を思い起こす。木が、草が、墓石が、線香の煙が、すべて亜麻色に染まっていた。それはまた、光り、にじむヴァイオリンの木目を思わせた。
 以前、NHKの番組で、スターンによる宮崎国際室内楽音楽祭での公開レッスンの様子を見たことがある。あまりに高い理想にとまどい、反発する韓国からの若手演奏家が、スターンの厳しく、しかし真摯な言葉と姿勢に雷のように打たれ、まるでみちがえるように活き活きとその本来の技量を取り戻し、それすらやすやすと超えていく、音楽という領域にとどまらず、まさに教育の鏡のようなその人と情熱に、私自信も打たれ考えさせられたものだ。実際、指導するということにはひと一倍熱心な人だったようだ。特にそれは80年代以降に顕著になっていったというから、60を過ぎて思うところがあったのだろう。その豊かな音楽性が、それ自らのうちにのみ独占されることなく、目に見えぬかけらとなってこの世界に根付いていくこと、それは永遠の生命ということとつながっていることを、われわれははっきりと知らされるのである。

 

9月25日(火)晴れ

 今日も実にいい天気。ひさしぶりに田舎へと自転車を走らせる。今は稲刈りまっさかりで、まさに黄金色という表現がぴったり。もう稲刈りのすんだ田に、藁が干され、乾いた風が吹く。小さな雲が浮かんでいる。「いったいどこで戦争が起こっているんだろう」そんな言葉を口にしたくなるような、どこまでも変わらない風景。むろん、どこで戦争が起こり、この風景が常に変わりつつあることを知りながら。そんなことを思う。

「稲穂」 Atsushi Kadowaki

9月26日(水)晴れ

 スーパーであけびを見かける。何とも美しい色合い。夕方、空を見る。やがてどんどんと夕日に染まっていく雲が見える。

 何かを投げかけると、思いもよらない波紋が出来る。そしてそれはやっかいごとにように見えるけれど、ほとんどのことはそうなのだ。それをやっかいごととは呼ばないどころか、積極的に楽しむ人もいて、たとえば現代アートに見られる参加型の作品群はそれにあたる。自分ひとりでは完結しない。それがストレスであるのは自然なことだが、ストレスのままにしておくのは不自然ではある。その波紋こそが生そのものであり、その生を超えたところを目指しながら、決して生を超えることはないのだから。

 

9月27日(木)晴れ

 あっという間に過ぎ去ってゆく毎日。

 おいしいクッキーだなぁと常々思っている「コッペ」のクッキーを、妻が買って来る。いつもはやおやさんが届けてくれるので、直接どこで売っているのか知らなかったのだ。いっしょに入っていたパンフレットを見ると、「コッペ」は障害者が障害のない者といっしょに働くために始まったパン屋さんだそうだ。そんなことは全然知らなかったが、とにかくおいしいことはよく知っていたので、これからはどんどん買って来たい。が、かなり遠い。どうしよう。

 

9月28日(金)晴れ

 実にいい天気。ベランダに椅子を持ち出して本を読む。このマンションを借りて7年になるが、そんなことは今までしたことがないので、ねこたちは少しとまどい気味。乱暴者のごるはすぐ手すりに飛び乗るので外に出すときはしっかりだっこするか、檻(「ケージ」とかいう曖昧な言い方もある)にいれるかしなくてはならない。おとなしいトラぶんはいつもひとりでベランダの探索(ジャングルのように鉢が置いてあるので)を楽しんでいるが、今日は私がいつまでも椅子に居座っているので、おちつかない。ごるが横の檻からくんくん風のにおいをかいでいたが、数分でぎゃあぎゃあ鳴きだす。
 少し風があるものの、ずっと外にいても寒くも暑くもない穏やかな日差し。本当にいい季節だ。こうしてゆっくり本を読むというのも久しぶりだ。いつもバスや船など移動する中でしか読まないので全然進まない。きっと一年に読む本の数は驚くほど少ないのだが、今回のテロ事件をきっかけに、少しがんばっていろいろ読んでみようと思う。以前読んでわからなかった本もわかるようになったかもしれないし。

 

9月29日(土)晴れ

 今日はめずらしく朝寝坊してしまい、本当に死ぬかと思うくらいのスピードで自転車をこいで坂道を飛び降りるようにして駆けつけた結果、いつもは35分くらいかかる道のりを20分で、結局10分遅れで塾に着く。エレベーターをのぼっていくとすでに生徒たちの姿が! しかし、「今着いたとこ。先生、運、いいね」
 めったに寝坊などせず、寝坊しても急げば間に合う時間に起きられていたので、何やら嫌な予感がする。実は妻の言うところによると、私は来年から3年間、大殺界という、何をやってもうまくいかない年まわりなのだそうだ。この日記が私の不運日記にならないことを願う。

 少しずつ掲示板に新しいみなさんから書き込みが入る。そのときの、それを見つけたときのあのあたたかい心持ち。これが世界を結んでいけたら。むろん、それを享受することのできぬ人々がいることにも思いをめぐらせつつ(かくいう私も親戚からパソコンをもらわなければ全くの部外者だったのである。おそらく絶対に自分では買えないだろうから)。

 

9月30日(日)くもりのち雨

 今日で9月も終わり。明日から10月だ。明日はお月見の日なので夜はどこかへ散歩にでも行こうかと思っていたのに、大雨注意報が出ている。一昨年だったろうか。あの年の中秋は松島へ月見に行き、少し雲はあったものの、すばらしい月見ができたことだった。岸に打ち上げられたくらげが、月の光に照らされて、輝いていた。

 午後から妻と散歩に出かける。近くの渓流で少し写真を撮り、黄金の稲穂を見ながらその先にある閑静な住宅街へ。夕方で、犬の散歩で行き交う人々。目当てのティールーム「ノートル・シャンブル」はものすごい混みよう。少し時間をつぶして戻り、やっと中庭に席をとる。犬のパトちゃんとぬいぐるみの取り合い遊びをすると足から綿が出てきてしまった。

拾った葉っぱ

 夜、NHKでアイザック・スターンをしのぶ特別番組を見る。音色はつくれない。あえて言えば、ただひたすらに努力を積み重ねたところで出て来るものが自分の音色だと千住真理子に語るスターン。もう少し若い頃のインタビューでは、「聞いてください」ではなく、「聞け」でなくてはとアドバイス。

 今月はとにかくテロ事件からずっと、テロについて考えることに忙しく、ほとんど絵を描かなかった。来月こそしっかり取り組んでいこう。

 

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