
Atsushi Kadowaki 2003
器用仕事日記
これ以降の日記はこちら(別サイト)。
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5月31日(土)雨 昨日、やっとYAHOO! BBのサービスを受けられるようになったので(すごく長い道のりだった)、ニフティは休会。メールはこちらへ。休会中も3年間はホームページなど保管してくれるそうだが、閉鎖されることも考えてそっくりここへ移しかえる。少しずつ修正を加えながら、基本的には保管庫としてそのまま残すつもり。YAHOOからもらえるジオシティの無料HPスペースにそのまま移行しようかと思ったのだが、ニフティではOKだったファイル名が、ジオでは使えないため、全部修正するのはナミではないと、そちらでは新しいかたちでサイトを開く予定。ちなみにまだ何もはじまっていないが、場所はここ。
5月30日(金)晴れ 「だれかの願いごとを聞いてください(ただ聞くだけで結構です)。 といった「課題」を設定し、川(空間)の両側に敷きつめた河原で拾った石をあちらからこちらへ、こちらからあちらへと移動させる。あるいは袋の中へ入れてもらい、それを私がもとあった場所へと戻してくる。 「私」が何かを願うという行為は、直線的で単独的なもののように見える。願う「私」は、願う対象に対して、常に見る側に立っており、その姿は隠されている。そしてまたその願いは、決して理解されないように思う。
5月29日(木)晴れ 重力、手ざわり、におい、味、音。 比喩として、あるものがあるものを示す記号として、感覚を置きなおすことでその存在について新たな目を向けるということ。たとえば、鳥の鳴き声がさわやかな朝の訪れを、くもり空が心のありようを、死が生を思わせるような。 仙台市内で行われる、参加しやすい(つまり選考がなくて参加費が安い)アート・イベントがざっと3つある。7月末の中本誠司アート週間、8月の仙台七夕時に行われるTANABATA..org
art project 2003、そして昨年参加した10月のせんだいアート・アニュアル2003。
5月28日(水)晴れ 最近、調子が悪いせいか、いわゆる絵画を描く気力がうせている。しかし思うに絵画制作の充実した気分や達成感にかわるものはない。
5月27日(火)くもり 紙ねんどで枕木をもう一本つくる。今度は表面の形状をかなりリアルにしてみる。それは、おそらく色を塗らずにこのまま白い紙ねんどの色にしておこうと思うからで、それと以前制作した色着きのものとを対置しようと思っている。 コーヒー豆もずいぶんできてきた。そろそろ色を塗ろう。
「コーヒー豆」 紙粘土
5月26日(月)くもり 調子が悪く、ほとんど寝ていた。
5月25日(日)くもり どうも最近調子が悪い。
5月24日(土)晴れ 疲れた。
5月23日(金)晴れ 紙ねんどの枕木がほぼできあがる。最初は不安もあったが、できてみるとけっこうそれらしい。レンガも積み上げてみるとかなり迫力がある。石膏塗りしたパネルの上で、あれこれレイアウトしてみる。なぜこんなことをしているのだろう。
「枕木、レンガ」 紙ねんど、テンペラ 色を塗っていないレンガには、質感や量感が、ある意味欠けている(しかし逆に言えば、たとえば「中性的」のような言葉をあてがうことができそうな、別の次元での質感や量感を得ているが)。とすれば、色を塗ることは、それにある種の質感や量感を与えることと言える(その意味で、白いままの彫刻は白という色を塗られているのではなく、「無色」なのだと言える)。では「実物」の方を白く塗ったらどうなるのか。
あれこれやってみるが、結局紙ねんどであろうが実物であろうが、私はこうしたもの(レンガや木)がただ単に好きなだけなのかもしれない。だからただ単純にそこにあるだけで「いいなあ」と思えるのだ。しかしそれを「作品」とは呼ばないだろう。では私は何をそう呼ぶのか。
つくっている紙ねんどの木やレンガ、石について、「住まうこと」のような物語を考えてみる。いや、どちらかというと「建てること」だろうか。木、土、石は建材として、もっとも基本的で古い材料だと言える。あるいはそれぞれを用いて世界地図みたいなものをつくることもできるかもしれない。「だから」私はこれらのものを作ってみたのです、というように。とても説得力がない。 色を塗ったものと塗らない紙ねんどの枕木やレンガを並置してはどうだろう。あるいは途中まで塗ったもの。
5月21日(水)晴れ 「何のため」が問われない、問われるとすれば、従属的なものとして、理由の形式をしていながら、その実それをより説得的に見せるための戦略に過ぎない、つまりなくてもいっこうにかまわない、そうした物語(というより物語がそういうものだ、と言いなおすべきだろうか)。AゆえにBではなく、Bがあって、「Aゆえに」があとづけされる。何か「意味」が見つからないとき、つまりAを見つけようとしているとき、そのことを思う。
5月20日(火)雨 よく寝た。
5月19日(月)くもり 風邪をひいて寝ていた。
5月18日(日)晴れ 仙台市青葉区台原にあるワッツ・アート・ギャラリーに行く。そこは妻が生まれたときから高校時代までを送ったところで、ちょうどその昔の家があったというななめ向かいがギャラリーである。 ギャラリーの近くには猫がたくさんいて、長いこと呼んだがしかし近くまでは来なかった。
5月17日(土)晴れ 疲れた。
5月16日(金)くもり CDラベルがなぜかなつかしいと思っていたら、扇に似ているのだ。
つくってみたCDラベル 今日はずいぶん作業が進んだ。レンガふたつと枕木、板の下塗りなどをする。と、こう書くとあんまり進んでいないことに気づく。 いくつかの写真をモノクロやカラーで拡大コピーする。セブンイレブンのコピー機がいちばんいい。それらをながめていると、現場でのスケッチとはまた別に、風景画を描く意欲がわいてくる。カメラとコピー機を通したその像を再現したい、というぐあいに。
5月15日(木)くもりのち雨 少し前から思っていることがあって、それは拾った古びた板の上に石膏を塗り(つまりかたちを仮り)、その上に板を描けば、私は平面を塗るだけですむのではないか、ということなのだが(それなら紙ねんどで、慣れない上にめんどうな支持体をつくらずともすむ)、しかしそれはとても冒涜的なことに思える。年月と風景とがつくりだした(ように見える)味わいある板の上を白く塗り、その上に私の稚拙な絵を、それも私がそうして「消した」のと同じ板の目を描こうとすることには、何かとても重要でせっぱつまった理由が必要に思える。しかしこれが新しい板なら何の問題もない。新しい白木の板を買って来て、これに石膏を塗り、まったく同じような白木の木目を描き入れ、それよりも大きめのパネルにでもはって展示することには、何ひとつ理由などいらないように思えてしまう。 あるいはどうだろう。拾い集めた古びた板の半分だけに石膏塗りをし、そこに石膏を塗っていない、つまり自然が描いた板の目の「つづき」を描く。ばかげているだろうか。 つくったカタログをCD−ROM化しては、とクレイ・アルファに提案していたのだが、配布先からも要望が出たらしく、つくりに行く。せっかくなのでラベルもつくることにする(「ジャケット」もつくろうと思っている)。フリーウェアをダウンロードし、けっこうそれらしいものができる。すると私はもう頭ががんがんするほどに自分もこの丸いドーナッツ型の中に何かをつくって展示したい誘惑にかられる。おそらくいるのだろう、CDのジャケットやらラベルという世界に住むアーティストが。
5月14日(水)晴れ 5万分の1の地図を買う。東西に2枚、仙台市から宮城県と山形県の県境まで。私が石を拾いに行く広瀬川と名取川のほとんど源流から河口までが含まれている。
「願い」を書く石(5/12の日記参照)を拾いに行くポイントを、上流から河口までの間でいくつか選び、それを地図中に表示しようと思ったのだが、見ているうちに、「願い」ならば、いや「願い」でなくとも、上流から拾おうと思う。そしてそれをもとに戻す。やがていつの日か、それらの石は下流へと流れ着くだろう。かたちを変えて。 大きめの石の絵を8号のパネルに4枚ほど描き、いっしょにその「モデル」となった石を、それと出会った場所、日時、できればそれをうつした数枚の写真とともに展示する。するとその石は「この石」になるだろう。そしてもしそれをもとの場所に戻し、ほかの石と区別できなくなったとしても、それはやはり「その石」でありつづけるだろう(そしてそこではもうすでに「願い」などという道具立てすら必要ない)。しかしするとそれは、結局のところ私がこれまでやってきた石の展示とどこがちがうのか。
「木」 テンペラ、パネル サムホール 先日(5/7)に作った(描いた)木をパネルにも描く。2mの板を拾う。ごる(ねこ)が途中で逃げてたいへんだった。
5月13日(火)晴れのちくもり スケッチに行く。どんどん葉や草が生い茂り、景色が変わっていく。やがてすぐに入れない場所が出て来るだろう。
川は水が流れている場所を指す言葉で、流れがとまっていれば別の言葉で呼ばれる。 1.2mの枕木をつくる。紙ねんどで。昨日は90cmの板をつくった。乾いたらテンペラで着彩する。これら一連のものはその生成の仕方からして彫刻というよりは絵画に近いものなので、あまりかたちを精巧なものにせず、フラットな平面でもってつくり、それにテンペラで描き込むことでリアル感を出したいと思う。 作り手、伝え手。
5月12日(月)くもりのち雨 七夕祭りにおける展示案
「石」 テンペラ、パネル サムホール
5月11日(日)晴れ 昨日もらってきたモデムを設置するが、「リンク」のランプがつかない。そうこうするうち(すごい時間がたっている)なぜかニフティで接続できるようになる(むろんいろいろやったのだが)。この不自由な二ヶ月はいったい…。 川、流れ、つながり。上流から下流へ。 出会いが、いつも先送りされていく、ということの不思議な感覚。
5月10日(土)晴れ 疲れた。ずっとネットに接続できないのでひとにすすめられたYAHOO BBというのに入ろうと思って例の赤いスヌーピーの紙袋に入ったモデムをもらってくる。疲れたので明日やろう。
5月9日(金)晴れ 山形県山形市にある山形美術館へ日本画の展覧会を見に行く。たいへんよかった。おそらく時系列的に並べてある展示が、やがて「遠近法的」世界へと収縮していくのを見るのは何かさびしい感じがした。 山形の通りで、とても素敵なパン屋を見つける。白木をふんだんに使い、テーブルもすべてうっすらとした、春のくもり空のような。白木のもつ純朴さ、のようなものをつくりたいと思う。木製パネルの側面にもすべて石膏を塗り、側面までテンペラで仕上げてはどうか。つまり白木の板として。
5月8日(木)くもり 誰が語っても同じ言葉は同じ内容をもっている「はず」といった考え方には、とても無垢な情熱を感じ、心ひかれる反面、そのあまりの素朴さに含まれるかたくなさも見逃すことはできない。「誰が語るのか」という言葉は(どんな文脈で発せられているのか私はよくは知らないのだが)、そういう意味でいい悪いという次元を超えている。それはどちらかと言えば、その言葉に対する倫理性のようなものというよりは、思いやりとか思い入れといったたぐいのものだと思う。
5月7日(水)晴れ グレーとオレンジのレンガをつくる。紙ねんどの小さな木と石もできあがる。少し長い棒をつくりはじめている。石の絵を描く。作業をつづけながら、自分には何ひとつできないような気がしている。
「木」 紙ねんど、テンペラ 奥左はお手本の木
「石」(左)、「レンガ」(右) いずれも紙ねんど、テンペラ 奥はねるごるねこ ホフマンレンガについての文章を書く(こちら)。 またテンペラの顔料の空きビンが集まり始めたので、その中に例のコーヒーとマッチ棒(いずれも「過去」(コーヒーのだしがらとマッチのもえさし)と「未来」(ひいたコーヒーとすっていないマッチ)を入れてみる。いずれ新たな「ギフト」としてみんなにあげよう。
ギフト第二弾
5月6日(火)晴れ DIYショップで買った枕木は、タールのものすごいにおいがする。ちょっと失敗だったかもしれない。折からの天気のよさと空気の乾き具合も手伝って、ゆっくりいつも目の届くところに置いてながめる、といったことを許さないほどである。これは香りという点でコーヒー以上に、というかまったくちがうレベルで、強烈なものをもっている。私が作る紙ねんどの枕木にも、こうしたにおいは染み出してくるだろうか。
5月5日(月)晴れ 「レンガはいったい何になりたがっているのか?」――ルイス・カーンのこの言葉が、どのような文脈で提起されたのかはわからないが、それをすでにどこかにある「答え」を「発見」しようとする営みとしてとらえるならば、それは物語探しの迷宮、それも不毛なそれへの入り口でしかないだろう。「答え」はまさにそれが「答え」となったその瞬間にそう呼ばれるものの名前であり、ということはそれは常に一回ごと「発明」されていくものであろう。何かを説明する単一の世界を想定することは、確かに大きな魅力ではある。しかしどんな説明も、意味も、答えも、並置される物語のひとつでしかありえない(そしてどれもがひとつの物語の系をもっている)。 先の個展のとき、毎日、制作しながら飲んだコーヒーのだしがらをひとつにまとめてためていったのだが、今度は日付をつけて、その日に飲んだものをひとつひとつポストカードを入れるビニールに入れて集めていくことにする(写真下左)。また、紙ねんどでつくるコーヒー豆を、1日20粒ずつと決め、毎日制作することにした(写真下右)。
紙ねんどが少しずつ集まりだした。やっと板をつくれるかもしれない。
5月4日(日)晴れ 近くのDIYショップで枕木を買う。780円だった。これを紙ねんどでつくろう。すごく意欲がわいてくる。それまでけっこう意気消沈していたのだが。 もうひと月近くごる(ねこ)と行動をともにしている。だいたいいつもいっしょに車に乗って出かけ、いっしょに絵を描き、帰って来る。ロード・ムービーみたいなのができそうだ。
ねこやレンガが転がり、絵画アトリエという感じではなくなってきた
5月3日(土)晴れ ひさしぶりにむかしの生徒で今は美容学校に通うYojiくんをさそって山へ行く。滝を見たことがないというので私がよく行く滝へと連れて行く。少し調子に乗って岩の間を飛び跳ねていると、胸のポケットに入れていた鍵一式が淵に落ちてしまう。落差があって水が大量に流れ落ちており、白い泡で底もまったく見えない。最後にはパンツになってもぐってみたのだがまったく見つかりそうにないのであきらめ、ふたりで車をおいて人気のあるところまで行こうとして歩き出したところへ、地元の農家の方が通りかかって車で私の家まで往復してくれ、車のキーを取ってくることができた。まったくありがたいことである。
5月2日(金)晴れ とりあえず昨日の計画がどうなるかわからないが、レンガを作り始める。
「レンガ」 紙粘土、テンペラ
5月1日(木)晴れ
先日、クレイ・アルファで行った左のようなレンガを使った展示を発展させようと思う。レンガをすべて紙粘土にテンペラを塗ったものでつくり、五角形のかまど型のものをふたつ並べて設置する。一方には私がこれからアトリエで飲むコーヒーのだしがらを入れ、もう一方には毎朝、前日焙煎されたコーヒー豆がお店の人の手によって運び込まれる。最初は毎朝お店から運ばれて来たすばらしくいい香りのコーヒー豆を、訪れる人にひいてもらい、もう一方のかまどへと入れてもらう、というのがいいなと思い、それがベストではないかとも思うのだが、においの出る展示を禁じる会場も多いので、袋に密封されている豆とだしがら、というのもかえっていいかもしれない。 |
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