器用仕事日記

〜2002年1月〜

Atsushi Kadowaki 2002

1月31日(木)晴れ

 私も睡蓮を描いてみる。

「睡蓮」 水彩、紙 サムホール

 

1月30日(水)晴れ時々雪

 すでにおおかた受験が終わり、やめていくこどももいるので、今週からとりあえず水曜日は労働から解放されてしまった。そこで行こう行こうと思っていて先延ばしにしていた岩手県立美術館で開催されている『モネ展――睡蓮の世界』に行く。
 岩手県立美術館は、昨年開館したばかりの美術館で、それまで盛岡には橋本美術館という私立の美術館があるだけだったが、そこが去年閉館になってしまったので、それでなのか、偶然そういうタイミングになったのか、とにかくうまいぐあいに新しい美術館へと引継ぎが行われたわけである。
 しかしそれが新しいものの常で、実に不便な場所にある。おそらくバスで行こうなどという人のことはあまり考えないようにしているのだろう。着いた頃には日が落ちて、ライトアップがちょうど美しくなってくる頃ではあったが。

 私は晩年のモネを、抽象絵画への橋渡し的存在ととらえることに賛成である。睡蓮の一連の連作についてもそうだが、バラのアーチや柳の木を描いた、もうほとんどものの形をなしていない一連の最晩年の作品(それを見て、「何も見えず、色の計算もできなくなっていることは明らか」と画商デュラン=リュエルが言ったという)は、その完成度はともかくとして、次の一歩へと確実に踏み出しているのは確かだと思う。目に故障がなく、あと10年生きていたら、ほぼ確実に抽象表現の高みへとのぼりつめただろうと私はかなりの確信をもって思う。というより、そもそもの初めからモネという画家は、ある意味抽象画家なのだ。
 彼の積み藁の連作を考えてみるとよくわかる。それがフランスの愛国主義的なモチーフであるというのはある意味間違ってはいないだろうが、そんな単純な、ひとつの枠組みで説明がつくほどにシンプルな戦略をもって制作にあたっていたと考えるのは、この天才に対するにあまりに礼を失した言であると言える。カンディンスキーが鋭くそこから啓示を受けたように、それは戦略的に豊かな意味内容をあわせもちながらも、やはりそこに通底する何ものかを描こうとするゆえの試行錯誤であったととらえるべきだろう。積み藁という形をとった、あるいは朝の、昼の、夕暮れ時の、収穫後の、霜が降った後のその形を借りた、何ものか。その何ものかがなければ成り立たないが、積み藁をとったところで――それは大聖堂であれ、朝のセーヌであれ同じように――それは成り立つもの。カンヴァスと絵具という「もの」そのものと自己とが増大し、その直接的な対峙こそが主眼とされ、その間に介在するいわゆるモチーフが極小化していく。そうした状況が、一貫してその80年という人生の歳月の上に見受けられる、いわば抽象絵画への起源的存在、あるいは積極的にそれを提唱しなかった、理論化しなかったということでそれに値しないというのなら、抽象表現のもの言わぬ実践者・体現者とでも言うべきものに思えるのである(それともこれは常識の範囲なのだろうか)。

クロード・モネ 睡蓮 1914-17

 前置きが長くなってしまったが、実際の展示作品を見て、正直、少しがっかり。オランジェリー美術館などに見られる装飾的な絵画の極地とも言える作品群を見慣れてしまうと、今回展示されているものはどれも習作的なものに思えたからだ。しかし逆に習作にこそ制作へ到る秘密が隠されているわけで、そうした意味では興味深い展示であったと言えるかもしれない。
 何より私の気を引いたのは、そのサイズである。そもそも芸術作品において、サイズの決定というのは、とても大切な要素であると私は思う。そうでないものも確かにどんどん生まれているのだが、そうしたこまごました理屈の口を簡単に封じてしまうほどの力を、完成体としての芸術作品は持っている。そしてやはりどうしてもその巨大なサイズ、しかもほとんど太い筆で数回なでられただけのような広大な面は、私にロスコやニューマンの絵を連想させるのだ。同じく鋭い筆致や天才的なひらめきによる筆づかいは、デ・クーニングを思わせずにいられない。
 目の障害や肉親の死去、老齢といったことから、晩年のモネが描かれるときには、きまって何か暗く、さびしい気分がただよってくる。確かに死の迫った人間、後世から見ればいつ死んだか正確な日付と時刻までわかっているこの今という時間から見れば、それは何やら暗く、停滞した、言いようのない無力感を伴うものなのだろう。しかし彼がつかもうとし、そして確かにつかみ得たその豊潤な成果を前にした時、私は実に明るい気分にさせられるのである「何も見えず、色の計算もできなくなっていることは明らか」などと影で誰が言おうが、そんなことはどうでもよい。だって、もうこんなところまで来ているのだから。そんな気分を味わうのである。

 

1月29日(火)晴れ

 昨日からとてもいい天気。それとは裏腹に、とってもうんざりすることばかり。
 ハンナ・アーレントはその著書『人間の条件』(1958)の中で、人間の行為を「労働」「仕事」「活動」の3つに分けたが、私の理解では、「労働」は必要=必然から生じ、私的領域を成り立たせている賃仕事を、「仕事」とは、何かを作り出すこと、すなわち創作行為を指し、「活動」は公的領域、ということは自由が保証された領域における政治行為を指している、と思う。
  むろん人間は「仕事」も「活動」も「労働」もする。というより、そのうちのひとつだけしかしなくてもいいなどという人は存在しない。アーレントが暗に示唆するように、自由な個人が言論によって、関係性を創造していく「活動」にこそ、高い価値が認められるのも、その前提となる世界が「仕事」によって構築されるこそであり、なおかつその世界も、生命体としての自分たちを成り立たせる「労働」に従事することを基礎としているわけである。である以上、さわやかに、創造的にそれらすべてを乗り越えていきたいと思うわけである。
  さて、「仕事」はその性質上、事柄を対象にし、独居のうちに行われる。それは世界を作っていくことであり、作り出された世界は、ある意味永遠性をもつ。ところでそれは本人にとって絶対的な自由をもった領域であるとともに、他者にとっては絶対的に不自由な領域であるように思う。逆に言えば、他者にとっての大幅な自由性の中では、その人にとっての「仕事」は成立しえない、とまではいかずとも、成立しがたいものがあろう。独居のうちにそれが成立するという由縁である。
  高校生の頃、スティングが「芸術に(「音楽は」だったかも)民主主義はいらない」と言っているのを聞いて、なるほどぉと感銘を受けたのをおぼえている。素朴な言説ながら、なにやら肌感覚のことば、現場から湧き上がってきた言葉であるように今では思える。

 

1月28日(月)晴れ

 今日は久しぶりに自転車で帰って来た。月がこうこうと輝いている。バスだと本が読めるが、自転車だと季節がわかる。

水彩、紙 サムホール

 

1月27日(日)雪

 夜の間に雪が降った。朝起きると外は雪景色である。かなり水気の多い雪とみえ、車が通るたびに、しゃーっという音。

水彩、紙 サムホール

 

1月26日(土)晴れ

 土曜日は朝9時から夜9時半まで塾なので、今日は絵が描けない。
 昼休み、熟睡しているところを起こされ、時間よりずっと早く来た子ども(受験生なのでみんなあせっている)に教えていてわかったのだが、英語や何かはいいとして、数学のようにひらめきが肝要なものは、ベーター波が出ている時には全然だめである。いつもは面白いように解けたりするのに、今日はぜんっぜんひらめかず、時には「おかしいなぁ」とかごまかしつつ解答を読んでもなにがなにやらわからないときまであってとてもびっくり(と自己弁護している)。
 やっぱりよく寝て、ストレスのないところで勉強したり、絵を描かないとだめなのである(やっぱりすごく自己弁護)。

 

1月25日(金)晴れ時々雪

 このところキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』を聞きながら。でも今朝は気分をかえてチェット・ベイカーの『チェット・イン・パリス』。
  DMが2月2日に届くとの連絡。結局この前のような感じでたのんだのだった。

水彩、紙 サムホール

 

1月24日(木)くもり時々雪

 雪が「ただよって」きました。

水彩、紙 サムホール

 

1月23日(水)晴れ

 このところ、本当に暖かだ。しかも今日は快晴。風もない。

水彩、紙 サムホール

 

水彩、紙 F4号

 

1月22日(火)曇り

水彩、紙 サムホール

 

水彩、紙 サムホール

 

1月21日(月)雨

 起きると、地獄のような今日の天気。しかもすごい時間。

水彩、紙

 

1月20日(日)曇り

 絶対的な自由。自分自身に関する、自然状態としての孤立した、ということは社会状態をかなぐり捨てた、とてもわがままな自由。

 

1月19日(土)晴れ

 「カフェ・モーツァルト」にて。

 

1月18日(金)晴れ

 このところ、何か疲れをおぼえて昼寝をすると、あっという間に夜である。

 

「赤く塗る」 テンペラ、パネル サムホール 2002

 

 昨日、妻が買って来た湯のみを板に描くと、上にようになる。スキャンすると全然面白くもないものになってしまった。背景だけでもつけて、少しましにする。画面上ではひどい絵がうまく見えたり、なかなかいいのがひどくなったりするのでたいへん。

 

1月17日(木)曇り

 少しずつ描けてきたようである。2、3年(もっと?)前から描きかけの絵がやっとできてきた。以前は1週間も放っておくと、もう2度と手をつけないことになってしまい、自分の根気のなさにびっくりしたものだが(それで自分の新たな一面を知ったものだが)、結局それは、勉強不足だったんですな。

水彩、紙 サムホール 2002

 夜、妻が買い求めてきたという赤塗りの湯のみで珈琲を飲む。何ともひなびた味わいのある茶碗である。

 

1月16日(水)雨

 昨日から絵を描き出して、ものすごく目が悪くなっているのに気づく。目がにごっているような感覚である。思えば去年はずっとパソコンに向かってばかりでろくに野外制作もしなかった。今年はもっと外へ行こう(と、ここまで、トラぶん(ねこ)といっしょに書いている。ひざにちょこんと座って、しっかり画面の方を見て。ふにゃふにゃ)。

水彩、紙 サムホール 2002

 

 

1月15日(火)晴れ

 
水彩、紙 サムホール 2002

 

1月14日(月)晴れ

 疲れて一日よく寝る。猫らとともに。

 

1月13日(日)晴れ

Atsushi Kadowaki 2002

 

1月12日(土)晴れ

 個展まであと2か月あまり。そろそろ本格的に絵を中心に、他のことを犠牲にしていこうと思うので、パソコンの前に座るのもしばらく少なくなるだろう。毎日無責任に言葉を投げ出し、放出していくのを自制して、何かが沈殿するのを待つのもいいことだ。

 情況出版から出ている『ハンナ・アーレントを読む』(2001)を買う。「集団としてのユダヤ人への愛をきっぱりと否定した」(p23)アーレントの著作は、『イェスラエルのアイヒマン』以降、ヘブライ語に翻訳されることがなかったということをはじめて知った。そして『スペシャリスト――自覚なき殺戮者』といったドキュメンタリーをはじめ、その彼女の評価がイスラエルでも高まっていること。また、フェミニズムを嫌悪したアーレントだが、フェミニズムの側からの新たなアプローチが盛んに行われ始めることで、その読み直し、新たなアーレントの評価がかなりの成果を上げていることも。

 ヒリヤード・アンサンブルによるバッハの『無伴奏パルティータ ニ短調』(2000)を買う。これはバッハの原曲にコーラスをつけたもので、昨日ラジオで流れていたものだ。本当に素晴らしい。ばかばかしい表現ではあるが、生きていてよかった。
  本当に毎日、私はこうして生きている喜びに包まれている。それは幸運なことであると同時に、何とも残酷なことだ。

 

1月10日(木)晴れ

 今日は誕生日。33歳である。

Atsushi Kadowaki 2002

 

1月9日(水)雪のち晴れ

 そろそろ個展のDMを作らねばと、かなり重い腰を上げたのだった。しかしこれといってろくな絵もなく、一枚でばっちり私をリプリゼントしてくれそうな絵もないので、2枚くらい使えばいいかなーと安易に下のような雰囲気で考えたのだが、絵と絵の間に空白ができてしまい、そこをまったく必然性のない名前ロゴと、最近見つけた引用で埋めるという、ああ、何て場当たり的なのだろう。

神秘的なのは
世界がいかにあるということでなく
世界があるということだ。

ウィトゲンシュタイン

Atsushi Kadowaki

2002

    

 しかしこのウィトゲンシュタインの引用を第三者の立場で読むと、自分が何かとってもおめでたい人か何かのように思えてくるのだが、どうだろう。やめた方がいいのかどうか。
 例えば、「芸術」とか「美術」とかいったものがこの世に存在するかどうかと問われれば、だいたいは当たり前だというだろうが、では「芸術」や「美術」とはどんなものかと問われれば、そんなすばらしいもの、この世に存在するのだろうかというようなことを言い出すような気がする。あるいは古来の優れた作品を指し示し、ああいうものという答え方もあるが、それはそれら「芸術」や「美術」そのものではなく、その「痕跡」とか「抜け殻」とでも言うべきもののように思われる。つまりは「芸術」や「美術」とは何かというときの「芸術」や「美術」はイデアのような、理想のようなもので、それに限りなく近づこうとする目標のようなものであり、しかし決して到達することのかなわぬものの総称であるような気がする。ということは「芸術」や「美術」というのがいかなるものかということに答えることはできても、それが存在する証拠はあるのかと言われると、何か疑わしく、それができあがってしまえば、確かにそこにやどっていたということがわかるし、今も世界のどこかでそれが作られつつあるような気もするが、それが達成されている瞬間というものが存在するとして、その時点で認識できるものなのかどうか。そしてそういった存在を驚きあやしみながら、やはりすごく神秘だと思う。そうした私の気持ちを、この引用文に託したい。が、どうなのだろう。やっぱりおめでたい人なのだろうか。

 

1月8日(火)晴れ

 昼休みに入った古本屋で、『思想』1984年第4号「構造主義を超えて」を買う。84年といえば、私が高校に入った年である。ポスト構造主義が熱気をもって語られているのが、紙面から伝わってくるようだ。
 巻頭に掲載されているのが、井筒俊彦の「書く――デリダのエクリチュール論に因んで――」。30数ヶ国語を操ったという氏の、実にわかりやすく説得力をもったデリダ解釈が展開される。つづくのがデリダが井筒にあてた書簡「デコンストラクションとは何か」。大学でアラビア語学科に入ったのだが、井筒はコーランを訳した雲の上のお方、まるで彫像というイメージ。こんな風に自分が生きた時代と重なって、しかも生き生きと活躍していたことに、恥ずかしながら正直、驚きを禁じえない。
 井筒が、デリダの「パロールはエクリチュールである」を解説した部分、すなわちプラトンに端を発するヨーロッパ文化では、書き言葉(エクリチュール)よりも話し言葉(パロール)が常に上位におかれていたが、デリダはこれを逆転しようとしているという部分を読んで、かつてこの話(ヨーロッパにおけるパロールの優位性)を別の文脈で読んだ折には、そうだよなぁ、日本人は話しべただよな、これじゃ「彼ら」にやられちゃうな、などと思ったことがあったのを思い出す。その後プラトンを読んだ折にも同じような話(つまりパロールの優位性)を解説かどこかで読んだが、その時もこれを積極性をもって読んだように思う。それがまさか「彼ら」の側から自己批判を企てていたとは。
 ハイデガーが、ソクラテス以前のギリシア哲学者を、そのアニミスティックな世界観から評価したことに関しても、結局われわれ「日本人」からすればある意味当然であって、事象が「作られてあるもの」という方が混乱させられる。
 では結局それらは新たな「東洋の発見」なのかと言えば、井筒が次のように説明してくれるのを読むと、そんな茶番になっているはずはなく、とても安心させられる。
 「「能記」・「所記」結合体の向こうで、その「所記」的側面をいわば裏から固定する「指示対象」、つまり、客観的なもの、の実在性を、デリダは単純に、素朴に否定することはしない。もっと屈曲した形で否定する――「現前性」の繰延べ、という形で」(前掲書p9)。

 

1月7日(月)晴れ

 とてもいい天気の日がつづくのだが、毎日塾の冬期講習である。
 ふとカレンダーを見ると、個展まであと2か月あまり。もうDMを作らねばと思うのだが、気がつくと本当にこれといった絵がない。今週でやっとこの朝から晩までの労働が終わるので、来週からは本腰を入れて絵を描こう。でもその前にDMを作らねばならないので、のせる絵は今あるもののうちから選ばねばなならい。

 エティンガーの『アーレントとハイデガー』を読んだおかげで、ハイデガーを読み始めることに。プラトンを読んでいた頃は、ハイデガーはナチ協力者で反ユダヤ主義者という断片的な噂が耳に入ってきて、そうした中途半端なイメージはかえってよくない。エティンガーの前掲書では、その思想上の仕事のほとんどいっさいを覆ったままに、人間ハイデガーだけがまる裸に提示され、その破廉恥ぶりがつづられていたわけだが、かえってすっきりした。

 ところでハイデガーと言えば、『存在と時間』。学生時代に読んでおかなかったので(そんな本だらけで嫌になるが)、こんな歳になって読んでいるのだが、先月から書いている『ウィンター・ワンダーランド』に大きく影響を及ぼしてくれそうな予感がしている。
 計画を書いたり口に出したりすると、成就しないことが多いので、これももしかしたらそうなってしまいそうなのだが、少し読んだ方なら知ってのとおり、この『ウィンター・ワンダーランド』のテーマは、サンタクロロースの実在性についてである。
  クリスマスが近づくと、何気なく口にされる「サンタクロースはいるか?」という問いに、わたしなりの説明を加えようという意味で語り、やがて文として書き始めたものなのだが、ハイデガーが『存在と時間』で取り扱うのも、この「存在」についてである。われわれは、この世の存在を前提に話を始めているが、この「存在する」ということはいかなることなのか、それを解明することを目的にかの書は計画され、中断したわけである。
 ハイデガーによれば、プラトン以降、西洋哲学においては(ということは「哲学」においては)ものの存在は「…である」と「…がある」に分けて問われてきたという。例えばよくプラトンの著作にはソクラテスが出てきて、「知とは何か」「徳とは何か」「愛とは何か」と問いかけ始め、問われた人(大方はソフィスト)がかくかくしがじかであると答えると、ソクラテスがあーだこーだと言って結局間違っていることを証明、最後に「無知の知」となるというわけだが、ここで問われているのは、知や徳や愛とはいかなるものかであって、それがこの世に本当にあるのかということは問われず、あると前提されているというわけである(このあたり、日本語の「存在」が、まさに「…がある」しか意味しないのに対し、彼らの言葉、例えば英語のbe動詞が「…がある」と同時に「…である」を意味する、それどころかむしろ後者が優位にあるという事情があるのでいまひとつわかりにくいが)。

 さて、ここで先の『ウィンター・ワンダーランド』であるが、ここではサンタクロースの実在性、すなわち「…がある」がしっかり話の焦点となっている。してみるとこれはすごいことだ。しかもそこでは、サンタクロースがいかなるものであるかという、いわばプラトンにおける存在論の主眼であった「…である」の方はなおざり状態で、サンタクロースとはあの太った気のいいおじさんで、みんなにプレゼントを無償で配っている人といったぐあいに、それがどんなものかを問う気配はまるでない。いわば前提されてしまっている。
 ということは、ここにハイデガーのいう西洋哲学における「本質存在(ヴァス・ザイン=エッセンティア)」の「事実存在(ダス・ザイン=エクシステンティア)」に対する優位はあっさりくつがえされており、西洋哲学の支配からやすやすと抜け出しているといえるのではあるまいか。
 ということは、このものがたりの中でのわたしの役割は、主人公の「わたし」を通してサンタクロースという存在を問うという問いを積極的に評価する視点を提示することであり、「テキスト外という世界は存在しない」(デリダ)という視点を援用しつつ、サンタクロース的存在への問いを、他の対象へも展開していくきっかけを作ることであろう(何かすごく大げさ)。
 実際、無意識のうちに私はすでに何点か、存在への問いに答えようとしている。今後はサンタクロースがわたしに代わってこの問いに答えようとするだろう。しかし考えれば考えるほどこんがらがってきて書けなくなるだろうし、何より個展も近いので、ほとんど話は進まないだろう。しかし「われ書く、ゆえにわれあり」(スコールズ)という視点を提供する人すらいるのだし、とりあえずがんばっていかねばならない。

 

1月6日(日)晴れ

 ふと、子どもの頃、ナイヤガラの滝は毎年何メートルも削れているので、何百年後かには今とは全然違うものになる、とかいった話を聞いたとき、ものすごくびっくりしたのを思い出す。世界が今そうであるように、現前しているように、未来永劫にわたってそうであるかのように思いなしていたので。
 しかし、今思えばおそらくはその当時小学生だった私の生きた時間からすれば、何百年ですら未来永劫といってもよかったわけで、そうした時間のとらえ方からすれば、世界がその姿を変えないと言ったところで、あながち間違いではないのだ。なぜならこの硬質な世界、確固として成立しているかに見えるこの世界は、生まれては消えていく私のような存在などにはおかまいなしに成立しているように見えるのと同様、ほんの一瞬しかそこに参加することのない私からすれば、私さえ消えてしまえばこの世との接点も消え、もともと世界など存在しなかったも同然であり、そうした存在である私からすれば、私の生きている期間だけが意味をもつのだから。
 しかしむろん、この世界とのかかわりが、接「点」からずっと広く深いものへと進み、今ではもうこの世界以外に世界などないかのように振舞っている私にとって、私が生まれてくるはるか昔から存在したのと同様、私の死後もこの世界は世界として成立し、存在しつづけるだろうことを感じている。
 ある人は「今が大事だ」と言う。むろん、私にとっても「今」は大切だ。しかしそれは他と比較しての大切さではなく、すべてが分かちがたく価値を持つという意味での大切さであって、同じように私にとって「将来」も「過去」も他と比較して特別に大切なのではなく、どれも等しく価値をもつものだ(とすれば逆にどれも特別な意味での価値を持たない)。

 

1月5日(土)晴れ一時吹雪

 ビートルズと言えば、昨年死去したジョージ・ハリソン。大学に入ってからビートルズを聴き始めた当時、誰の声も同じに聞こえて、ほとんどのメンバーが歌っているとはつゆ知らず、とある級友が長い沈黙を破って発売されたジョージの『クラウド・ナイン』をテープにとってくれたとき、はじめてジョージ・ハリソンも歌を歌うと知ったのだった。
 そのテープは今でも愛聴しているのだが、調べてみると、『クラウド・ナイン』はLP当時の発売らしく、CDでは出ていないらしい。ということで、CDショップでは手に入らない。ずいぶん長いこと、おそらく13年くらい聴いているので、そろそろCDを買おうと思っていたのだが。

 

1月4日(金)晴れ

 昨日、雪降る中を最近よく行く喫茶店に妻と出かけ、年賀状を書いたりしながら珈琲を飲んでいると、いつもはクラッシックがかかっている店内に、ビートルズが流れ出した。
 私は大学に入ってからビートルズを聞くようになったのだが、その当時LPからCDに切り替わる頃で、CDプレーヤーなど社会人になるまでとうとう持たなかった(持てなかった)私は、レンタルレコードのLPからテープに録音し、何度も聴き返すうちにびろんびろんのすごい音になった「サージェント・ペパーズ…」などを聴いていたので、ものすごく音のいいビートルズにすっかりびっくりしてしまった。
 流れてきた中で私がとても好きなのは、「ブラック・バード」だ。最近出た吉田次郎のアルバムでもカヴァーされていたが、この何とも映像的な曲は、イギリスに行ったときの記憶とあいまって、私を実にいい気分にさせてくれる。
 しかし年賀状がほとんど片付く頃には、何ともこのクリアー過ぎるサウンドが、アレンジの薄さをとても強調しているような気がしはじめた。ぼわぼわの私のテープには、もっと余白のようなものがあったような気がするのだ。

 

1月3日(木)雪

 年賀状が届く。昨年は祖母が亡くなったので出さなかったため、今年も何となく出さずにいたのだが、年に一度の通信として、とても楽しくみなさんの近況を読ませていただく。
 特に仙台に戻ってから、同年代の友人とはほとんど交流も途絶えてしまっており、こうした機会もないとお互い忘却の彼方であろうと思われる。結婚、出産、転勤、転職などが、その人らしい文や写真をまじえて伝えられ、私は自分がふと忘れていた意味世界の中に取り囲まれているのに気づかされる。
  それを「伝統社会」と呼ぶなどという発想は思いもよらないが、一歩ひいて外部からの目で見てみると、これは伝統社会を形成する要素として受け取られるようにも思われる。
 そうしてみると、われわれが漠然と「伝統」「文化」とイメージしているところのものは、生身の人間としての存在を成り立たせている場そのもののことではないかと思い当たる。逆に言えば、そこから人を観念的に取り出したものが、「普遍」「文明」としてイメージされるものなのだろう。そしてそこにはある種の方向性が見受けられると思う。すなわち、伝統から普遍へ、文明から文化へといった相互的な志向性が。
 むろん、勢いのあるように見えるのは前者であって、伝統を否定し、「文明化」した
「人類」として生きていきたいという宣伝がそれをあと押しする。しかしその先に見えてくるのは、茫々とした異郷の地に他ならない。自らの意味を求めるたびは、反転して自らのアイデンティティを保証するところ、すなわち故郷へと戻り始める。
 存命中、孔子は諸国でたいへん敬われ、下にも置かれなかったそうだが、故郷に帰ってくると、「だれそれの息子」ということで、扱いは普通の人並だと語っていたように思う。アラブのことわざにも「親戚はさそり」というのがあるが、それは故郷に対する不満を蔵しつつ、それ自身等身大のものとして受け入れようという気構えのようにも感じられる。東山魁夷は西洋に渡ることで日本画に没入する決心を固めたというし。何だかどんどん話がそれるが。
 もうすぐ私も33。みなさんの活躍を知るにつけ、私もしっかりと歩んでいかねばと思うしだいである。

 

1月2日(水)曇り

 アメリカにすんでいるTさんからカードが届く。勤めていた会社の大先輩で、大学の先輩でもあったことから、たいへんお世話になった。毎年、クリスマスカードを送ってくれるのだが、今年は「メリー・クリスマス」でも、「ハッピー・ニュー・イヤー」でもなく、「リメンバー」である。

 私の方からは毎年カレンダーをお送りしていたのだが、今年はカレンダーを作らなかったので送らずにいたのだった。遅ればせながら、年賀状を送っておこう。そもそも年賀状自体、だれにも出していない。

 

1月1日(火)晴れ

 子どもの頃は、元旦と言えば、とてもとても特別な日だったように思い出すが、今ではただの火曜日である。

 最近、トラぶんが窓の外をながめながら変な声で鳴くなぁと思って見ると、電線に鳥がとまっている。昨日はすずめが2羽、仲良くとまっていた。今日はからすである。からすも初鴉(はつがらす)といって、正月には風流なものとして句によまれるという。もちろん、いつ見てもからすは何とも楽しげであり、正月だけは許せるなどというのは、どう見ても人間の身勝手に違いはない。

「松島の松」

 

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