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器用仕事日記

〜2002年10月〜


Atsushi Kadowaki 2002

10月31日(木)晴れ

 「踏み絵」は、それを制作し、絵踏みする「鑑賞者」を鑑賞する視線を確保する、という意味で、私という人間を特権化する、閉じたシステムではないのか。つまり、インターフェイスな開いたシステムになっていないのではないか。それはまさに「信仰告白」の「再生産」であり、権力装置そのものの再現ではないのか。むろん、そうしたものとして提示するという手はあるだろう。

 少し考えて…

 「踏み絵」の制作者、執行者を権力者、支配者に、絵踏みする人を大衆、被支配者にとわりふる二項対立の構築こそが、唾棄されねばならないものではなかったのか。
 絵踏みする人は、そうした行為をしながら、それを絶対的な支配下のもとに行うのではない。むしろその「支配」から逃れるようにして思考し、行為しようとするのではないか。たとえば、支配者と想定されたもののルールをかいくぐっていくような。その意識的・無意識的な身振りこそが「差異」であり、ユートピアがかいま見られるところではないのか。それを単に絵踏みするからといって、被支配者という絶対的な図式の中にかわいそうな人として投げ入れることこそが、最も避けられるべき思考ではないのか。支配―被支配の硬直化した図式を想定し、それぞれを割り振って前者に抗議し、後者に同情する単純さこそが、最も恥ずべきあり方ではないのか。身震いするほどにひどい位置におかれたとされるものにも、ユートピアの広大な地平が開けているというのは、そうしたヒエラルキー構造の閉塞した勧善懲悪的世界観を打ち崩した先に見えてくるのではないのだろうか。
 踏み絵、絵踏みについて、少し調べてみようと思う。おそらくそれをさせられた人々の悲劇、というような図式的なわかりやすい、ナイーブな、しかしそれこそが彼らを被害者、被支配者へと祭り上げてしまうような「神話」が、そこにはあるのではないかと思う。どんなに絶望的な状況にあっても、誰かを何かに「総括」してしまうような態度だけは、回避しなくてはならない。

 どんぐり拾い4日目。今日はすっごく小さなものを多く拾った。あまりに小さくて見落としてしまうようなもの。それから、いつもは小学校と山とを隔てている道路沿いのどんぐりを拾っていたのだが、けっこう目立つので少し山の中に入って拾ってみた。さすがに山の中は本格的にたくさん落ちていて、芽を出しているものがいくつもある。まだ2時、3時なのに、すでに傾いた日が林の中に差す。植木鉢に土を取ってきて、どんぐりを植えてみる。日々寒くなるこの季節だが、果たして育つのだろうか。

 

10月30日(水)晴れ

 「踏み絵」というのはどうだろう。つまり、絵画然として、壁にかかることを当然のこととしている私の絵を、床に置いて、踏んでもらう。むろんパネルは難しいのでうすいベニヤ板一枚に石膏を塗って、いつも通りにテンペラで緻密に描く。力を抜かずに。枯れ草の絵を、上から見たものなどどうだろう。遠景を描いた壁かけの絵と違って、足の下に踏みしめて鑑賞するのだから、実物大の草を描くのがいいだろう。
 確かにそうした行為は、冒涜的な気がしないではない。たとえばどんぐり拾いに熱中すると、拾うこと、収集することが主眼になってしまい、どれだけたくさん拾ったか、といった効率をよしとするような気分を誘ってしまう、自分の足の下で、多くのどんぐりが踏み潰されていることに気づきもせず。だから一方ではそうして絵を踏むことは、壁にかかっている絵の価値をも低める気分、低めたい気分を誘発すると思う。しかし一方では、どんぐり拾いをしながら、それは数を拾うものではない、もっとちがうものを拾うためのものなのだ、という読み取りを期待するのと同じように、大切に、一筆一筆描かれた絵を踏むことで、壁にかかっているもの
を別の意味で高めるのではないだろうか。そして同じようにして、自分が何か大切なものを、知らず知らずに踏みつけにしてしまっているのではないか、たとえば道で虫くんやどんぐりを、あるいはそうした即物的なことがらでなく、という読み取りを期待できないだろうか。そもそも「踏み絵」とは、踏まれるための最も尊いものだったのだ。それを踏むことで、ひとは何かが変るかもしれない。
 どんぐり拾い3日目。今日は帽子ばかりずいぶん拾った。芽を出していたものがあったので、土に植えてみようと思う。今日は水曜日で小学校が早く終るので、子どもたちの下校時間だった。ああして学校から帰る、というのは何とも楽しげな風景だ(その後習い事があるのかもしれないが)。
 たとえば、どんぐりをひとつ植えて(置いて)、ひとつ受け取る(もって帰る)と、結局プラマイゼロで何も残らない。これはすぐれて暗示的だ。つまり、植えるものを多くするか、受け取るものを少なくするしか会場を豊かにする手はない。私がもって行くどんぐりをいくらまこうが誰も損したとは思わないだろうが、実際植える数(投資)よりも受け取る数(回収)の方が多くないと、ひとは動かない。いや、だからこれは芸術なのだ、というメタな次元での言い逃れもあろうが、それはゲームのルールを書き換えるに等しい。
 いや、ひとつ解決策がある。すなわち私があらかじめたくさん置いておくのだ。これはあたかも自然や神のごときめぐみである。私が神の代理をするわけだ。あるいはときどき増やしておくとか。つまり私は妖精か小人の役を演じるわけである。どうだろう。

 

10月29日(火)晴れ時々雨

 それは何なのか。それは「本当は」何なのか。そうして天から与えられる「はず」の答えを前提した問い=要求を、私は拒否したい。それが「物語」のはじまるところであり、常に生まれ出る地平である。
 しかしあらゆる価値が反転可能であることは、無限後退を予感させる。私たちはよって立つ大地をもたないかのようだ。それはしかし、回転する運動の中心、支点のような場所に見出すことができるかもしれない。それはいわば「超越的」なものなのだろう。それならば、そう名づけても問題はないような気がする。

 しかし私はいつまでこのような議論をつづけるつもりなのだろう。もうどんぐりを拾いはじめているというのに。

 昨夜、雨が降ったから、今日はだめかと思ったが、とてもよく晴れ上がり、今日もどんぐり拾いをする。秋の空は信じられないほどに美しい。言語を会することを拒むかのように美しい形をしたいくつもの雲が、さながら空の「饗宴」のようにたわむれる。いっときもとどまることなく、惜しげなく。あの雲の動きに比べたら、私の作るものなど、ごみためにも満たない。
 昨日は気づかなかったが、どんぐりの帽子と葉のついた、ほんの小さな小枝がいくつも目に入る。帽子は昔はやった「アメリカン・ヨーヨー」のように、ふたつで1セットで、それに葉が2,3枚ついている。いもりくん(やもりくん?)に会う。体長5センチくらいのそれは、とても小さくかわいらしい。小さくてかわいらしいと言えば、昨日は大きくてつやのあるどんぐりを多く集めたが、今日は小さくて古びたものや、とても小さくて見落としそうな帽子がいとおしく、好んで拾う。なかには帽子の方が大きくて、中にすっぽり包み込まれているようなどんぐりがあったり。また、割れて広がり、器のようになっているものもある。なぜか造花のバラを拾う。小さな白いカタツムリの抜け殻(?)を拾う。
 6日間。会期に合わせて、私が拾った日の順に、1日目訪れた人には私が1日目に拾ったどんぐりを、植えてもらう(会場のどこかに置いてもらう)というのはどうだろう。6日のうちには視点も変っていくだろう。1日、1日、会場にはどんぐりが増えて、会期が終わり、私が家に帰る頃には、私の中にはたくさんの実がなることだろう。

 

10月28日(月)晴れ時々雨

 センダイアートアニュアル2002に搬入したときの写真ができる(こちら)。これを契機として、私は「自律的な」絵画を制作する一方で、そこからこぼれ落ちるものへと向かいたいと思う。具体的には、12月の個展において、どんぐりを使ったものを。
 それは日々生成していくので、それを独立して日記風にまとめてもいいかと思うのだが、個展会場にどんぐりを持って行こうと思う。それは私のアトリエのすぐ近く、歩いて1分もしないところにある森に落ちているもので、この時期、無数に与えられる自然のめぐみであり、すぐ近くには小学校もあって、私がどんぐりを拾う間、子どもたちの歌声が聞こえてきたりするのだ。
 会期は6日間なので、どんぐりは6日に分けて拾おうと思う。今日はその第一日目だったわけだ。どんぐりとひと口に言っても、つやつやの立派なものもあれば、わびサビのきいた古いものもあり、割れたもの、つぶれたものなどさまざまである。また、それだけ拾おうと思ったほどにどんぐりの「帽子」は愛らしい。しかしそれはとても隠喩的でひねりがきいていると言えないでもない。かつてその中におさまっていた「かぶり主」を暗示するからだ。小学校の近くとあってかごみもない。しかしそれでも拾っている間に、ほとんど土と同じ色になったボルトやくぎが目に入り、それもいっしょに拾ってしまう。
 ところでどんぐりは英語でacorn(エイコーン)という。何とも素敵な響きではないか。そしてそれを会場に置いて、訪れた人にも置いてもらう。それはどんぐりを土に植える行為を暗示する、というのはうがちすぎだろうか。そしてひとつをもって帰ってもらう。それは種を植えたことに対する実りである。あまりに楽観的に過ぎるだろうか。

 佐々木いづみさんにいただいたくまの名前が決まる。「ルネくん」。どんぐりをふたつほど与える。

 

 

10月27日(日)晴れ

 表現を支える技術は、私にとってはひとつのモラルのようなものだ。もちろん、うまい/へた、という対立に焦点をあてることで「評価=裁定」することはばかげている。そうではなく。
 私が描くものはほとんどがいいかげんなものだし、きっとこれからもそうだろう。一時的に自分を満足させるようなものを描いてしまうだろう。しかしそれはどこか違うと、いずれはわかってくるものだ。それが「わかる」ということ(そのような二重の意味で)、そうしたモラルをもちうるということが、私には何よりも大切なことに思える。
 そしてそれは存在についても言えることだ。何かが存在する、ということ。それが「在る」ということが否定されない、ということ(文字とおりの意味で。つまりすでに「在る」ことを前提され、それが否定される、というのではなく)。「在る」ということすら、括弧に入れたくなりそうになることの非日常性からぬけ出し、「在る」ということの偉大さ、神秘、美しさを知ることのできる喜び、安堵(しかしそれはあくまでそうした非日常性の鋭利なモラルを否定するものではない。それどころか、それらは双子の姉妹なのだ)。

 

10月26日(土)晴れ

 私、という主体は常に確保される「べき」ものだと私は思う。というか、それを支える根拠のようなものが、常に思考され、尊重され、求められるべきだろう。それは私に限ったことではない。世界とは私の世界のことであり、私が死ぬとき、世界は終る(むろん、これを刹那的で皮相な読みで汚してはならない)。
 私は自分の描いたものを、どんな文脈ともかかわりなく提示することには、今までもある種のためらいを覚えてきた。それは「物語」を避けるためでもあった。しかし覚えるだけでなく、それはある関係性の中で提示される「べき」だ、とここのところ、強く思う。私の描く絵は、いわば私を代表=表象している。私はそれを構築することに心血を注いできた、ということが言えるだろう。それにはもちろん終わりはない。しかしそれそのものと向き合うことのほかに、それをいわば背中からながめることが必要であろう、というより何よりそうしたい。
 私はすごくリアルな構築物にあこがれる。理性的で、完結しており、自律的でな存在。しかしその一方で、それがおかれているそうした「理性」「完結性」「自律性」をこばかにしたい衝動、いわばななめから見ていきたい欲求にかられる。感覚的で、不完全で、依存的な存在へのあこがれ。
 これらを私が今まで直視しようと思えなかったのは、それを対立項として、端的に言えば軟弱で潔くない態度、という具合に「まじめ」にとらえていたからなのだろう。そこには対立はない(なくすことができる)。私はその両方を、表現できる。あるいは、そんなに意気込まなくても、すでにそのように「導かれている」。あとはそれを私が認めることだ。そしてその線をたどっていくことだ。

 私のテンペラ画は、はかないものを描いていても、決してはかなくない。むしろそれに抗し、否定すらしている。そのねじれ。それを新たな意味として読み取ろう。

 私の透明水彩を使った鮮やかな色の水彩画は、いわば肯定的な表現としてのキッチュ、という風に読み直すことはできないか。

 

10月25日(金)晴れ

 私の思考や感覚は、往々にして長続きしない。別に私に限ったことではないだろうが(と思いたい)。
 ものごとを「正面」からとらえる、ということへのあこがれ。ところが突然、何の前触れもきっかけも理由もなく、それが何やらうそ臭い気がしてきて、それをななめから見てみたい衝動にかられていき、それこそが「誠実」な態度であるようにすら思えてきて、そこにはまると、やがてはそれもまたうそ臭く思えてきてさらなるずらしを必要としていく。といったことなのだろう。
 「完成品(作)」という何ともうそくさい、特権的な「概念」みたいなものがもつ魅力や誘惑は、いつも十分感じているのだが、このように時としてそれまでの見方をすっかり変えてしまう、あるいはななめからずらして見てみたくなる(何のきっかけも脈絡もなく、あたかも上から落ちてきたかのように)とき、いっぺんにそうした「美しさ」「完璧さ」を放棄したい衝動にかられる。
 しかし構築し、脱構築し、さらにそれを脱構築していく中で、しかしそこに残るもの。たとえば鉛筆画を描き、それを消したあとにまた描き、というのをつづけていくうちに、紙の上には前に描いたもののあとが残るだろうし、消しすぎて紙は破けてくるかもしれない。しかしその磨耗、裂け目こそが、営みというもののすべてではないにせよ、一面、裏側、部分なのではないか。つまり私が描いた絵そのものでなく、私がアトリエへ足を運び、窓からときおり外をながめ、卵を割り、絵具をつくり、絵を近くから、遠くからながめ、ドアすら閉めないトイレに入り、コーヒーをわかし、妻にメールを送り、本を読み、思いついたことを書き、描き、すること。つまり、生活する、ということ。言外の言及。
 こうしたことを書くと、私の行き着く先は作品と自分との関係性の強化みたいなこと、日常性を言語化する(ああ、それでウィトゲンシュタインは日常語で哲学したのか)、といった「やさしい」「癒し系」の場で、そこで世界が閉じられていくような予定調和的なものになりそうだが、それは安易に過ぎるだろう。主体(それが客体でもあるという意味で)から目をそらしていくなどとは私には思いもよらない。それとは別のあり方で、何かができたらと思う。
 たとえば、私のつくる「完結したもの」と別のものと
をつなぐような部分、それを作品化することができるのではないか。ああ、それで私は今回インスタレーションというかたちで自分の絵を、ものとして提示したのか、なるほど(このように導かれ、歓待されることって、あると思う。しかもさらにこれが私が先に書いた「何の前触れもきっかけも理由もなく」新たなななめからの視点をもとうと思う契機だったのだ、と気づく)。これをもっと先へ進めていこうと思う。できたら、12月の個展で。

 

10月24日(木)晴れのち雨

 とうとうDMが届く。10日ばかり遅れている(私のせいだが)。

 

 私は閉めるのが嫌いな性格なので、いつもいろいろなところを開け放している(猫もその方が好きであるし)。ところで妻がどこで聞いてきたのか、トイレのふたを開けておくと運が逃げるそうだから、閉めておくことにしたと言う(むろん自主的な動きに過ぎない)。私はふとアトリエのトイレを思い浮かべる。アトリエはまるきり私ひとりの空間なので、トイレはふたどころかドアすら閉めたことがない。これでは運が逃げっぱなしである。ばかばかしい。しかし今日、一度だけ、ドアもふたも閉めたことを告白しておこう。

 社会的な権力――というのはもちろん「政府」とか「企業」とかいうわかりやすい権力ではなく、われわれ自身の間にある権力装置のことだが――は、わかりやすい対立関係を作り出すことによって自らの存在の意味を得、その領域を広げていく。それはいとも簡単だ。アメリカ対イラク、愛国者対テロリスト、エリート対その他多数、強者対弱者。しかし実にばかげているのはそれらがすべて反転、置き換え可能なことである。というのは、それがほとんど幻想に過ぎないから。固定的な強者と弱者というものを示す事などできはしない。せいぜいが、いつも自分をどちらかに振り分ける自分勝手な基準を自分にしかわからないといって差し出すか、真実がほとばしるように語るかできるだけだ。そんな「物語」はいらない。
 そんな「物語」に対抗するには、どんな対立をも無力化するような視線をもつしかないだろう。どんなわかりやすさをも拒否していき、対立を差異としてのみ理解するような、いわばいつもちくちくするような痛みを感じつづける中に生きるしかないだろう。いや、そもそも安泰で平和な生活なんて、幻想でしかないのだし。

 

10月23日(水)晴れ

 行為としての芸術は、いわば現代における「ユートピア」である。それは生まれからして異邦の人であり、常にとどまることなく、作り出した瞬間にそれを解体せずにはおさまらない。いわばそのうちに自らの異邦性を読み込んでいる。そしてそれが失われたとたんに、つまり歩みをとめたとたんに、その足もとからその地は消えて、自分が長らくその土地の住人であったことを知ることになるのだ。つまり「ユートピア」という名の。

 

10月22日(火)雨のち晴れ

 義母の誕生日なので、近くの花屋で花を買ってもって行く。玄関に入ると、どうも客人がいるようなので、そのまま花を置いて帰る。いったい誰あての花なのかわからず、それが義母の手に渡ったのは夜中だったという。…だって今日誕生日の人ってそんなにたくさんあの家にいるのだろうか。

 たとえば、ひとつの像がひとつの見え方にしか受け取れない、ということには罪はない。日の丸はただ単純に日本の国旗である。
 しかしそれがかつて植民地とされた国の人にとってどううつるのかということを、知らないことには罪はないのだからといって、それを知らせずにいるべきだとは思わない。それはそのひとにはそう表象しないのだから、わざわざ「私たちの」罪へと招き入れることなどないだろうとか、あるいはその逆、ということを言いたいのではない。過去のそして今もつづく悲劇について責任の一端を負うべきである、などとは思わない。それは 「無垢な」視線とか、自由な翼といったものとはまた別の話だ。そうしたものを取り除くための、強い視線のことを、私は言っている。

 

10月21日(月)雨

 「真実」をしまっておく部屋。中には何もない。誰も中に入れないし、かつてそれを作った人も今はなく、時折鍵穴から中をのぞき見たものが、何かが「見えた」と言って物語りする。

 

10月20日(日)雨

 とても寒い日だった。
 午前中、土曜からはじまるせんだいアートアニューアル2002への搬入を行う。3メートル四方を1000円で使えるというのでインスタレーションもどきの展示をすることにした。220名が出品するというのでどんな場所を与えられるのだろうと心配したのだが、予想を裏切ってすごくよい場所をもらった。幅4メートルの独立した壁一枚を自由に使えるというもので、いったいどこからも独立しており、他の作品の影響が限りなく小さい(隣接して展示する場所を与えられている人がほとんどだった)。私の作るものはあまり自己主張しないので、ともするとかき消されてしまう。こんな場所はとってもありがたい。展示品は現像ができたらアップする予定。

 

10月19日(土)晴れのち雨

 夜、NHKで川俣正を取材した番組を少しだけ見る。気づいたらもう終りかけていたのだ。
 現代アートを見るとき、私はその慎みを知らぬほどの「現前性」のようなものに圧倒され、なかば嫌悪してしまうのだが、発想としてはおそらく同じなのである。どこまでも「純粋」で、だから形而上学的だ。今ここで行われている、という現前性に過剰な価値が置かれている。まるで書き言葉に対する話し言葉のようだ。
 しかしこのようなことを語ることで私は何を言おうとしているのか。あたかもそれが二分法を意図しているかのように見ている、というその私こそがそれではないのか。

 

10月18日(金)晴れ

 「物語」は複雑である。それを単純に、一緒くたに論じるわけにはいかない。そうしようとすれば、何かを見落とし、単純で、すっきりとはしていても、どこか空虚なものにしかなりえない。それはいわば二項対立のような単純な図式をどこまでも拒否していくような場所にこそ立ち上ってくる。

 

10月17日(木)晴れ

 われわれが言葉を所有しているのではなく、われわれが言葉によって所有されている、というのと同じように、われわれが「物語」を作り出すのではなく、われわれが「物語」に作り出されている、というのはどうだろう。

 

10月16日(水)晴れ

 カレンダーの件で東日本メディカルシステムの社長さんに会う。とてもお元気そうである。ゴヤの話になり、初期の作品から後期の作品までスペインで見たという社長さんが、おそらく彼は自分で作品を変えようと思ってああなったのではなく、ただああなったのだろうとおっしゃったが、まったくそのとおりだと思う。自らの絵をこわさなくては前に進めない、というのは私には詭弁じみたものに聞こえる。導かれるようにして、私は私でありつづけると同時に、別のものへと移動していく。そうではないのか。私は認識する視線から、存在を支える視線へと自分の視線をずらしていきたい。
 そのヒントを与えてくれるのが、大藤健士氏の新作("liv"10/15参照)である。存在をとらえて飼いならしていく行為を嫌悪するなら、とらえきれない存在であればよい。どうだろう。

 

10月15日(火)晴れ

 やっと印刷所から届いたDMの版下原稿にOKのむね、伝えることができる。25日着の予定。2週間あまり遅れている。

 

10月14日(月)晴れ

 自然は何かを語ったりしない。人間が自然に何かを語らせているに過ぎない。つまり人間は自然のうちに自らを投影し、それを読み取る。そしてそれを好み、賞賛し、憎み、嫌悪する。
 自然は善でも悪でもない。それは意思しないから。それが行うどんな恐ろしいことも犯罪ではありえない。
 私はそんな自然にどこまでもあこがれる(それもまた人間的な行為であるが)。
 私の石の絵は、そうした自然を目指して描かれたものだ。だからそれは標本のようなもので、何ひとつ語らないし、人間的な意味において限りなく無意味である。
 しかし私の石の絵を見て、「この石は何かを語りかけてくるようだ」と言う人もいる。おそらく全く正直なところを言えば、「何とつまらない絵だろう。これではただの標本ではないか」と言う「べき」ところを、そうした人々は「救おう」としているのだ(そして現に救っている)。
 私はそうした「物語」から自由でありたいと思った。そう思ってこのばかげた絵を描いたわけだが、一方ではそうした「物語」が、つまり何も語らない石に何かを語らせようとする営みこそが、それを支え、それを見る人自身を支え、そして結局は描いた私をも支えてくれるものだということに、痛烈に気づかずにはいられない。その人間的な営みこそが、風に吹かれ、宙ぶらりんになりながらも、ただ一点でつながっている何ものかであるに違いない。
 認識するための視線ではなく、存在を支えるための視線。ということは、意図された、というよりも思わず迎え入れ、招き入れてしまう、というような。

 

10月13日(日)晴れ

 あなたを否定するつもりはないし、私はすべてがそのままであれかしとすら思っている。すべてに対する「愛」をもっている。だから、私のこともそっとしておいてほしい。と、いったたぐいの「愛」や「やさしさ」とはいったいどういうものなのか。その下にひそんでいる黒い物語。

 

10月12日(土)晴れ

 私の言う「物語」とは、「物語り」、つまりよけいなおしゃべりのことだったのかもしれない。まだわからないが。
 写真家大藤健士さんとの対話はとても豊かだ。氏が受け入れている「現実」には、ウィトゲンシュタインの言語ゲームと同一線上の豊かさと力強さを感じる。それは「真実」という中心を拒否するが、空洞の中心を支える「現実」を確かなものとしてひき受けている。、さぁ、その何にもないつつの中に何かを探そうなんていうことはやめて、そろそろ自分たちの仕事に戻ろうじゃないか、というさわやかさ、強さ。

 

10月11日(金)晴れ

 ひさしぶりにピアノ(といってもクラビノーバ)を弾く。

 昔の水彩画(たとえばターナーなど)で、一部分だけ完成しているのにほかが未完成、というのを時折目にするが、あの未完の部分を、絵の中に再現したい。もちろんその部分を放棄する、というのでなく。

 人間なんてたいしたもんじゃない、という言葉が、神や自然との対比として使われるのではなく、人間どうしの中に持ち込まれることへの嫌悪。私は当然のように前へ、こえていきたいという願望をもっている。もしも上記の言葉が、自らの場所に安住したいがためのものであるなら、何と汚れた言葉だろう。

 

10月10日(木)晴れ

 昔で言えば、体育の日である。さすがに天気がよい。カレンダー用の絵を12枚くらい描く。さすがにとても疲れる。

 「物語」を排除、あるいは制限したいという欲求は、見る/見られるの位置関係を、反転させるための戦略なのか。つまり私が常に見る側であるための。黒い「物語」。

 ノートの落書きをながめていると、それを描いた子どもがすごくあせって私からそれを奪い取る。別にたいしたものが描いてあるわけではないが、それは彼にとっては誰にも見せたくないものなのだ。つまり見られるために描かれるのではない絵、というのが存在する。いや、正確に言えば「私」によってのみその存在を支えられる絵。むろんこれは絵に限らない。私が私のためだけに、誰にも聞こえないように発する無数の言葉、歌もそれであろう。そしてそれを支えるのは、私であり、それが存在するのは私がそれを発したからではなく、私がそれを目にし、耳にし、受け取ったからなのである。つまり私の絵が存在するのは、私がそれを作り出した、ということにあるのではなく、私がそれをそれとして受け取ったからなのではないだろうか。存在を支えるものとしての視線(認識するものとしてのでなく)。

 

10月9日(水)晴れ

 ものを見ること。ものを見る私。
 見る私と見られるもの(それがフツウの意味で現存するものであろうとなかろうと)という距離感。

 見ることが特権的な地位と結びつくことは、見られるものを常に従属的な地位へと押しやってしまう。見ることは支配と被支配の「物語」にやすやすと取り込まれる。

 名が、ある言葉と一対一の対応をなしているものと言えるなら、言葉という言葉、見ている私を見る私とは、そんな認識の消失点にある。

 かつて私でもあなたでも、彼でも彼女でもなかった混沌から、私というものが生まれ出てきたということ。すでにして懐妊の時から私は「私」を与えられ、それによって「私」を見、語る。しかしそれは決して私ではない。

 世界とは、私の世界である。しかしそれはあなたにとっても同様であり、私はそれを「知って」いる。

 私は私の世界を見るが、「私」の世界についてしか語れない。

 つまり私とは何かとは問えず、答えられない。もしもそれにそうした形式が与えられたとしても、私以外の人には何のことやら全く理解できないだろう(そして私にも)。
 一方、「私」とは何か、といえばそれは、社会が私にすでにして懐妊のときから与えてきた「私」なるもののことだ。そしてそれを問うことは、誤ってはいないにせよ、無意味なことであろう。なぜならそれは人々が「私」ということで意味するもののすべてのことであり、そのゲームにはルールこそあれそれは常に変更され、あそびの部分があり、その境界は線ではないから。私たちは禁欲的な「私」にまどわされることもない。

 かつて私や「私」として区切られることもなく存在していた私が私となり、「私」となり、その間に世界が生じた。だとすれば、その距離を見る私と、見られるものとの距離を、主-客という位置関係に私とそのものとを定位させるための距離とするなら、世界は常に奪い、奪われるゼロサムゲームの世界となろう。

 その場を立ち去るためには、私の視線は、そのものを支える視線、そのものの存在を支える視線、そのものを、そのものたらしめるけれども、それ以上ではない視線、「物語」である以前に、そのものであることをその存在と結びつける視線、世界をその地盤において支える視線であらねばならないだろう。

 私が私であり、「私」である。このたまゆらの時間、その存在を支えると同時に、結局はそのことによって私自身の存在が存在者たらしめられるということ。そうした意味での私と、「私」の世界。

 

10月8日(火)くもりのち雨

 来年の東日本メディカルシステムのカレンダーを描くことに。かなりうれしい。最近は個展用のテンペラ画ばかりで疲れるので、水彩の偶然性を前面に押し出したものにしよう。

 私はあの杞憂で有名な杞の国の住人のように不安に満ち、懐疑的だ。その上、黒を白と言おうと必死になっている。ディスクールうんぬんは、机上で安心したい懐疑論者のたわごと、みたいな言いについてはとてもよくわかる。この世には何も存在しないと証明してみせたゴルギアスのたわむれに、私はすっかり取り込まれてしまっている。問いのための問い、美術のための美術。それは誤っているか無意味である。
 私は、それをみなが使うように使わねばならない。まやかしの真実を捨てて、黒を黒、白を白と認めるべきだ。しかしそれを拒みたくなるのはなぜだろう。「真実」への郷愁? 懐疑へのあこがれ?(「哲学の問題は、「わたしは途方にくれている」という形をとる」ウィトゲンシュタイン『哲学探究』123) 現実への不安?

 写真は「見る」ということに特化した方法論だ。よけいな職人芸にまどわされずにそのものを見ることができる。そしてその視線は、それを客体とするものではなく、それをその存在として支えるものであるべきだろう。そのものに対して、特権的な立場をもたないという姿勢。絵画がもしも写真よりも優れているように思えるとしたら、それは写し取るという行為を写真に奪われた絵画がめざした、見るもの(そしてつくるもの)の特権化の成果に違いない。それは幻想であるか、有害で誤った理念である。すべてが同一の地平上にある。

 等伯『松林図』が、コラージュであるということの隠喩。

 私は、世の中には自分ほど日和見主義でいつも確信をもてず、常に意見をころころ変える人間はいないのではないか、と思うことがある。

 「物語」をフーコーの言う権力装置のようなものと考えるなら、それを排除するということは何より無意味である。ならばそれを可視化することこそが、私のするべきことではないのか。
 私がなぜある問いを発したくなるのかを、自分と社会との関連性から解き明かしていくべきなのではないのか。

 「それ」は実在する。ただ、確認できないだけなのだ。――どうして私はそれに満足できないのか。

 

10月7日(月)晴れ

 「物語」について。
 私たちが自ら自分たちをそこへと押し込めようとすること。内容(存在)を形式(理念)へと矮小化しようとすること。存在をその因果律やら法則から説明しようとすること。存在そのもののとらえられなさを圧殺してしまうこと。
 意図や動機。それはその存在そのももとなりかわったとたんに捨てられるもので、そんなものがあったかどうかも忘れられてしまうものだ。そもそもそれは単なるきっかけであり、私がこの世に生まれてきたのと同様に意味などないのだから。それをあたかも何やら大切な意味や物語が存在するかのように説明すること。それは単にそれらの意味や物語が存在しうるためにこそあるもので、説明のための説明に過ぎない。説明に合わせて私の服を縫うのはやめて欲しい。
 しかしそれでも私は「物語」を無視するわけにはいかない。たとえば人類愛や一家団欒という神話を必死で体現するひとたちに、ばかげたことだと、わけ知り顔の言葉をぶつけることは、もちろんそんなことはわかっていながらも必死に演じている彼らの生に対し、どれほど愚かしく皮相な言葉であることか。

 ゲルハルト・リヒターが繰り返し提起する、意図やテーマをもたないこと、というのは、人生に置き換えてみるならば(そんなことをしてはいけないのかもしれないが)、ただ生きる、生活する、ということ、つまり内容、私の生ということのすべて、自然、偶然によって変容し、その諸条件の中にのみあって、揺れ動くそれ、在るというがゆえに在るのであって、何かのためにあるのではないこと、そうした生が浮かび上がってくるように思われる。そしてこれは私の言う「物語」の排除と同じことではないか。
 しかし私にそんな誠実さをもつことができるのか。私は実は今でも「物語」を、中心の存在をどこかで願い、信じているのではないのか。それを幻想だとしながら、しかしなおその幻想のうちに存在したく思っているのではないか。私こそが自分の生のすべてを「物語」でもってかざりたてている張本人なのではないのか。

 何を「物語」、理念、イデオロギーと呼ぶのか。そして誰が、誰に、それを言うのか。

 

10月6日(日)くもり

 最近、ゲルハルト・リヒターのインタビューやノートを収録した『絵画論/写真論』を読み返しているのだが、いい気になって読んでいた5,6年前には実は何が書いてあるかぜんっぜん理解できていなかっただろうなぁと思う。すごいことだ。
 リヒターは繰り返し、「芸術的なもの」(それらを総合して彼は「イデオロギー」と呼んでいる。なつかしい言葉だ)からの逃避と芸術への信仰について語る。彼のイデオロギー嫌悪は、いったん作られ、受け入れられたとたんに始まるそのものへの盲信と再生産のプロセスへの嫌悪だと思う。つまりそれは人間などにはおかまいなしに、システムとして自己増殖し、いつしか主人の地位にあり、権力そのものとなる。彼はそこから自由になるために、つまり「物語」から逃走するために(こんな陳腐な表現を彼は使わないが)彼は客観的でありたい、というちょっと聞きにはもう愚鈍としか思えないようなセリフをはく(これを私のような人間が口にしたらそれこそあれだが)。しかし彼は本気である。その視点を得るためのフォト・ペインティングは、わざわざ「写真そっくり」にしないために時間をかけないように描いたという。その意味を私は正確にわかるだろうか。それでもなお私は絵画らしい絵画を描きつづけるつもりなのか。むろん絵画を描く。しかしそれが「絵画なるもの」に堕していることに気づくことすらない。

 仙台市にある総ガラスばりの6階建ての総合文化施設、せんだいメディアテークで行われるすごく出品料の安い展示に出すことにした。少し芸術について、考えるだけでなく、やってみたいと思う(自分の個展でやるほどの勇気もないので)。

 

10月5日(土)晴れ

 なぜ自分に嫌な思いをさせるものを、私は受け入れようとしないのか(むろんこの問いは「受け入れるべきかもしれない」という答えの形式を内包している)。そのようにものごとをとらえてしまったら、私の不快があなたの快、あなたの不快が私の快へという二分法へと転落し、もうそこから這い上がることがとても困難なものになってしまう。ではあなたの快が私の快である、などというどこまでも愚かしいことを自分に思い込ませればいいというのだろうか。それを発想を変えて受け入れろと。私はひとに嫌な思いをさせることはない、私だけが嫌な思いをしているのだ、と思い込んでいるのではないのか。いや、みなが相互に不快に甘んじているということが何かを救うのではないだろう。それなら不快な身振りをすればいいわけだから。

 

10月4日(金)晴れ

 形式から入っているように見えても、それはその内容にとって必然的な形式なのだろう。

 問いの前にとどまること。それを相手に発する前に、その問いを立ててしまった私こそがそれを見つめなおすこと。なぜならそこにはすでにその問いへの答えの形式が含まれているのだから。むろんいわゆる納得のいく答え、などではない。つまりそれは問いですらないのだ。その問いの前にとどまることで、私は自分を理解できるようになるかもしれない。

 一句詠む。

 もの問わず雲だにじっと秋を待つ

 DM原稿を送る。

 

10月3日(木)晴れ

 DM用の絵が出来上がり、写真を撮って現像に出す。23分仕上げ、というところに出したので不安だったのだが、案の定ひどい焼きである(私の撮影もあるのかもしれないが)。どうしようかと思っているのだが、本当にどうしたらいいのだろう。塾の子どもたちに見せると、みんなほめ上手なのか「すごーい」「写真かと思った」(実際写真なのだが)とか言うだけで、よくわからない(下図)。

テンペラ、パネル M40号

 絵も、本当はもっと違うのをと思ったのだが、どれも出来ておらず、こんな平面的なものになってしまった。それともこれのもとになったスケッチ(下図)の方がまだましだろうか。

 ああどうしたらよいのだろう。猫たちがひとごとのように寝ているばかりである。

 

10月2日(水)晴れ

 私が絵を描くことと、それをせずに別のことに時間を使うこととは、同時には成り立ち得ないという意味では互いに疎外し合う関係にあるといえるかもしれない。
 たとえば、いわゆる「仕事」として、われわれの言語ゲームの中で認知されているものに従事している場合にはこれは簡単だ――会社は休めない(なぜかは問われない)、おしまい。
 しかし私が絵を描く、ということはなぜかそれ以上の意味、つまり倫理的な意味合いをもつことになるように思う(むろん私自身は全然そんな風には思わないのだが)。つまり、私にはもっとほかに「
大切な」ことがあるのではないか、という問いかけである。
 むろんこうした問いというよりは圧力とか、偏見とか呼ぶべきものに対し、敢然とした態度をとるべきであると思うのだが、私にはどうもそうしたきっぱりとした態度をとるだけの信念も確信もないようだ。なぜ私の正義とあなたの正義とが互いに疎外しあうものになるのか、それはあなたがそう考え、私がそれを否定できないからであろう(むろん否定できないからとってそうである、ということにはならない)。
 何かと何かが同じ地点を共有できない、というゼロサムゲームから抜け出るには、私だけがそれをそう思わないというだけでは足りない。みながそれを認識しなくてはならない。というのも、考えてみれば簡単なことで、それはそもそもゲームであるのだから。

 

10月1日(火)雨(夜から台風)

 我々は、抑圧されたら、その抑圧の分だけの意味は取り返さなくてはならないと思っているのではないか。それともこんなことを言えるのは、私がいわば観客席のようなところからこれをながめているためか。おそらくそうなのだろう。

 やっとDM用の絵(M40号の枯れた丘の絵)が出来上がる。しかし今度はこれを写真に撮って現像しなくてはならない(私はデジカメをもっていない)。もうすでにDMの原稿を印刷所に送っていなくてはならないのだが。

 

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