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器用仕事日記

〜2002年4月〜

「ゆらぎ はざま 間」 Atsushi Kadowaki 2002

 

4月29日(月)晴れ

 昨日、車で通りかかった池にいく。池には蓮に似たものが浮かんでいて、頭の中にその描法が浮かんでいたので、楽に描けるだろうと出かけていったのだが、なかなかそううまくはいかないものである。

  

「池のスケッチ」 水彩、紙 F8号

 たぶん、今夜からあまり更新できないと思うので、HPの表紙を5月号にする。もう最近ではカメラを持ち歩かないので写真がない。いつもは旬の写真を表紙に載せていたのだが、とりあえす最近のスケッチで代用することに。

 

4月28日(日)晴れ

 友人Hさんからメールが届く。

皆様、

ロンドンで中東について研究中の友人より、下のメールが届きました。募金はともかく、この問題を多くの人に知ってほしいと考えてい ます。興味があったら、サイトを覗いてみてください。そして出来るだけ多くの人に、メールを転送してもらえると嬉しいです。

H  

UNRWAの緊急アピールを日本語に訳しました。皆さんのご支援をお願いいたし ます!

国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA) の緊急アピール

人道的危機的状況が西岸で展開しています。3月29日に始まったイスラエルの軍事 侵攻により何千人ものパレスチナ人が食料、医薬品、水、住居なしに暮らしていま す。空腹や疫病にさらされている一般住民に緊急支援を行うため、国連パレスチナ難 民救済事業機関(UNRWA) は日本の皆さんからの義捐金を募っております。 UNRWA のホームページからクレジット・カードで義捐金を支払うことができます
www.unrwa.org.

皆さんからの義捐金で以下の救済活動を行います:
緊急食料配給
毛布・テント・簡易調理セット配布
家屋の修繕のための資材配布
負傷者のためのリハビリテーション
紛争によってトラウマを負った子供たちのためのカウンセリング
被害を受けた国連の学校・医療センターの修繕

西岸・ガザでUNRWA の行っている緊急救済活動の詳細については
www.unrwa.org/emergency をご覧ください。

この E-mail を一人でも多くの方に転送していただけたら幸いです。
ご協力ありがとうございます。

国連パレスチナ難民救済事業機関 渉外部 矢田貝久美子

 イスラエルの軍事侵攻が始まって、今日でもう1か月になるのだ。

 

4月25日(木)晴れ

 今日は小屋の絵を40号のテンペラにしようと、石膏を塗った木製パネルに鉛筆で下描きをする。40号とはいえMなので、隣においてあるFの30号と比べてほとんど面積的には変わりがない(けれど値段はしっかり40号)ということに気づく。

 バスに乗っていて。
 私の乗るバスの路線には高校や短大があって、ときおり学生らといっしょになるのだが、高校生はとてもだらしなく、短大生はとても騒がしく、それでうんざりして自転車に乗っていたのだが、最近彼らの帰りが早いためか、バスの中はとても平和で、そうしたことをすっかり忘れていた。今日は珍しく高校生の、絵に描いたようにだらしない学生たちが数人、それぞれひとりずつが2人席を荷物や脚を広げるなどして占領しているのに出くわす。
 おそらく以前なら、私は非常に不快な思いをしたに違いないが、このところ自分の「道徳」が完膚なきまでにうちのめされる経験をしていたので、どうにもそんな気持ちが起こらないことに気づいた。彼らに親近感すら覚えているのに驚いたほどである。
 やがて終点が近づいて、彼らのひとりが降りるとき、強引に隣の席のおばさんを押しのけて通路に出た。おばさんは見事なしりもちをついて、そのしりもちがまた私の足につかれてしまったのだが、どうにも以前のような義憤は感じない。
 思うに、彼らがなぜそんなにも横柄で不親切な態度がとれるのか、という問いは、そこに、横柄で不親切な態度をとろうとする意志や、その理由というものが存在することが前提されている。しかし私に考えられるのは、彼らにはそうした態度を意図して選択しているのではなく、何も意図しないからこそ、そうした態度をとるのであって、そこでは「なぜか」という問いが意味を持ち得ないように思えるのである。それが意味をもつのは、「横柄で不親切な態度は道徳的でない」という調教と訓練とが実を結んだ人に対してのみであり、彼らには実のところ、いったい何の話をしているのか、なぜ自分が人に謙虚で親切な態度をとらねばならないのか、正直なところ理解できない、というのが本当のところではないだろうか。つまり、ライオンが言語を話せたにせよ、われわれの生活形態について道徳的に振舞うことを期待することはできないのと同様、彼らにそれを期待するのは目下のところ無理なのである(もっとも、今後そうした社会の制度という名の権力装置による刷り込みによって、その「言語」を理解させることはできるだろうが)。
 しかしではいったいわれわれの言う「道徳」というのは、彼らにそれを強いる意味があるほどに立派なものなのだろうか。ある視点から切り出して、「謙虚で親切」という態度を説明し、それに価値があるということを、そう思っていない人に理解させることが本当にできるのだろうか。ということはつまり、それが本当にゆるぎのない「道徳」であり、個人的な価値観や視点をこえて価値や意味のあるものと言うことができるのだろうか。というのも、私には彼らが、自分たちの私利私欲のためにああした態度をとっているとは、どうも思えなくなってきているようだからでなのある。

 

4月24日(水)晴れ

 例によって、sawada yamamotoさんから素敵なものが届く。沖縄とゴビ砂漠の砂である。
 ゴビ砂漠の砂は(おそらく赤い方だと思うのだが)まるで顔料のように粒がそろっていて、一見すると単一な色のように見えるが、さまざまな色の粒がモザイクのようにブレンドされて、この強く枯れた味わいを出しているのがわかる。
 一方の沖縄の砂(おそらく白い方だと思われる)には、小さな貝やサンゴのかけらのようなものがたくさん入って、とてもにぎやかである。小さい貝とはいえこの世界の中ではとても大きな粒なのだが、こうしたサイズのものから、砕けて形を失った微細な砂の粒まで、ここには崩壊の時間が封じ込められている。先のゴビ砂漠の砂と違って、まだ言葉を発することのできるものがまじっているという点で、ハイブリッドなにぎやかさを感じるのだろう。
 しかしこれは私という人間の眼力の限界を意味しているに過ぎない。ゴビ砂漠の砂だって、きっと見る人が見れば大きなものから小さなものまでまざっており、さまざまな形や色に満ちていて、とてもにぎやかに感じられるに違いない。ゴビ砂漠の砂がすでに安定した歴史をもち、枯れたもので、沖縄の砂は生命感を感じさせる崩壊の時間をもったものだと言うことは、単なる自然現象をもって暗に両者それぞれの社会を定式化していこうという、私の無意識で無責任な傾向を露呈しているのに違いない。
 恐ろしいことである。

sawada yamamotoさんが送ってくれた沖縄とゴビ砂漠の砂およびそれが入っていたギターの弦の袋。
何もかも粋である。

 

 昨日塗った石膏パネルに水ペーパーをかける。
 昨日描きに行った小屋の屋根をまた描きに行く。

「小屋のスケッチ」 水彩、紙 F8号

 これからの計画も練る。

いずれも 水彩、紙

 道徳について。
 私は純粋に知りたい。あなたのふりかざす道徳は、私にはどれも相対化されてしまい、意味はするする流れ落ちていく。どこに私が従うべき固い地層はあるのだろう。私は道徳を捨てたいのではない。それにあくまで従いたいのだ。

 

4月23日(火)晴れ

 今日はとても風が気持ちよかった。昨日買って来た木製パネルに朝から石膏を塗り、午後は海で行ったスケッチをもとにした30号のテンペラを描き始める。

「小屋のスケッチ」 水彩、紙 F8号

 夕方、近くの農家へスケッチに出かける。上のようになる。下のようなかたちで40号くらいのテンペラにしようと計画を練る。

「小屋の下絵」

 

 

4月22日(月)晴れのち曇り

 家で、再び制作計画を練る。今日は木製パネルを買って来よう。しかし、みなさんは、絵のサイズを決めるときはどうやって決めるのだろう。ここのところ、20〜30号が、自分にとっては大きくもなく、小さくもなくて好みなのだが、個展ではこのサイズは「売るには大きいし、かといしかといって大作でもないから見栄えもしなくて一番中途半端だ」という共通したアドバイスを受けたような気がする。まぁ、自分がよければいいのだけれど。

いずれも 「丘の下絵」 水彩、紙

 小学生の頃に見たジャック・ダニエルのCMで、すぐ上にあるような風景の中を、男が歩いていくというのがあった。私は視覚的な記憶力が極度に弱いので、ひとの顔を思い浮かべたりできないし、どんなに印象的な風景でも、想像力だけでそれを構成することはできない。だから常に紙の上に、手によってそれを再現し直す。そしてもちろん、そうして再現されたものは、最初の記憶とは違っている。そのずれ。
 しかしおそらく頭の中に、鮮明な映像としてあるものを記憶できる人にせよ、それを外部へ取り出す際にはそうした縮減、磨耗のようなものがあるだろう。それはなぜかと言えば、最初に視覚に入ったときのそれと、再現されつときのそれとは、単純に材料からして異なるのだから。つまり、ジャック・ダニエルのCMの映像は、オリジナルとしての風景があり、それを焼き付けたのはフィルムであり、それを私が再現したのは紙と鉛筆と絵具による。オリジナルとしての風景は自然の形式を持ち、それを受けたCMの映像はフィルムの形式を持ち、私の絵は絵の形式を持つ。オリジナルとしての自然の風景が持つ絶対性に対し、われわれの使う形式は、人工物である以上、単純化と縮減性とを持っている。しかしそれに絶望することは、もちろん、ない。ある形式への変換こそがこのゲームを支えるルールであり、どこまで見事にその形式を活用し、あるいはその活用の幅を広げていけるかがポイントなのであって、それは絶対的な形式たる自然や他の言語であるフィルムへの恭順を意味しない。
 私は、絵というある種普遍性をもった言語を使いながら、やがて「私の」言語を構築していかねばならない。

 

4月21日(日)曇り

 ここのところ毎週通っている三陸海岸へ、今日も出かける。先週、先々週と、大谷海岸というところで描いたので、今日はもう少し南にある小泉海岸というところへ行こうという計画を立てる。
 大谷海岸は夏の海水浴で有名で、観光案内のようなものにも載っているが、こうしたところは例外で、私がスケッチに選ぶ場所は、ほとんど地図で見て、何となくよさそう、とかいうところばかりである。そうしていちかばちかで行くところで、予想に反してがっかりしたことはほとんどない。もともと何でも「いいなぁ」と思うたちだからかもしれないが、誰かが手助けしてくれているのかもしれない。今日も目指す海岸の方向がよくわかっていなくて、これは反対方向へ向かっているみたいな気がするなぁと思い始めたところで、突然向こうに海が開けたり。でも今日のスケッチはどれもあまりうまくいかなかったと言える。

 三陸なので海を描きに来たのだが、どうにもすばらしい農家が多く、これはまた来ないといけないと思いつつ、海へと向かう。途中、桜を描こうとしてかえるくんを見つけたり、誰かと間違えられて車が急接近してきたり。

 そして海に着く。津波対策のためかテトラポットが沈められていて、ちょっと興ざめ。やはりここへは農家を描きに来よう。

 やさしさとは、ある特定のものに向けられて初めてそれと知られるものなのだろうか。というのは、何かに向けられるということなく、それそのものとして存在するやさしさというものがあって、あるどころかそれこそがやさしさそのものとすら言えるのではないかと、ふと思ったからなのであるが。

 

4月20日(土)晴れ

 昼休みに、近くの土手から広瀬側を描く。護岸工事が行われていて、またお得意のセメントづけの土手ができそうである。

「広瀬川のスケッチ」 水彩、紙 F8号

 「トルバドゥール(吟遊詩人)」という、私がよくいくスパゲティ店の壁の絵が、もうずっと変わってないなぁ(少なくとも7,8年)と思っていたら、いきなり全部、映画『カサブランカ』のスチール写真になっていて驚く。しかし、もちろんそんな驚きを顔には出さない。

「トルバドゥール」 インク、紙

 たとえば、今年から新しくなった中学3年生の『公民』の教科書(東京書籍)を手にとると、最初の方に、男が育児休暇をとる際の社会的逆噴射のようなものについてマンガによる説明が掲載されている。そしてこうしたものを読むと私は無性に怒りを感じる。むろんそれは女性の地位が低いからではない(といことは同じく、男性が優遇されているからでもない)。それは自分たちの根拠なき思い込みにあくまで安住できる怠慢さに対する怒りである。だから怒りというのとは少し違うかもしれない。それは不安から発しているもので、社会的不公正に対する告発という怒りというよりは、ただの無意識的な慣習が絶対的真理として堂々と祭り上げられていることへの恐れなのかもしれない。そうした意味で、それは軽度のカフカ的世界なのだろう。

 

4月19日(金)晴れ

 たいへんいい天気である。
 アラブのことわざに「親戚はサソリ」というのがあるが、このところいろいろとごたごたがつづいていて、あんまりそれが現実になって当たり前すぎると、ことわざというのはことわざである価値を失ってしまう、ということに気づく。「空気は必要」などということわざを作ったらばかかと思われるゆえんである。

 今後作っていこうと思う絵の下絵を描く。すべて4号くらいの紙に、水彩と鉛筆で。

 いろいろ書きたいことがたくさんあるのだが、最近絵を一生懸命描いているので、なかなかホームページの更新に至らない。また今夜から月曜にかけて「合宿」してくるつもりであるし。けっこう朝遅くまで寝ているのがいけないのだが。

 

4月18日(木)曇りのち晴れ

 奥松島で描いた嵯峨渓のスケッチを床に広げていろいろ下絵を描いたりしていると、うちのばか猫たちがいたずらをしてくる。貧乏なのでむろんアトリエなどなく、生活空間での制作は困難を極める。最初はスケッチの上にごろん、と横になるなど控え目であった彼らだが、やがてにおいをかいだり、つめを立てようとしたり、裏には何が描いてあるのか気になるらしく紙をめくろうとしたり。スケッチなのでま、いいかとほおっておくと、今度は廊下の向こうからダッシュして来てこれら4枚のスケッチをけちらしていく、という行為をあきもせず繰り返し、少し起こると奇妙なうなり声を出して逃げて行く。私はその4枚をまた几帳面に並べなおし(A型なので)、うなりながら制作をつづける。だんだん絵も大きくなってきたので、最近は猫のつめあとくらい、気にならなくなってきましたが。

「嵯峨渓(下絵)」 鉛筆、紙

 

4月17日(水)曇り

 暗雲。とても造形的な今日の雲。形のみならず、その色。濃い藍。怖いほどのリアル。あの、微動だにせぬほどの質量をもって宙に浮かぶ雲の様は、まさに形容しがたい存在感そのもの。その下で煙のようにたなびく雲。薄く、光をおびたところに差す明るさ。燈の光がもれる地平。これほどに変化に富んだものなのに、どこを見回しても統一感のとれた雲の風景。ともするとそれが、存在そのものではなく、存在そのものを描き切った表現ででもあるかのように思いたくなる誘惑。夕暮れまでの時間。一回性。私という存在。

 今日で個展からもうひと月にもなるので、いいかげん廊下にはみ出してどうにもやる気をそいでいる戻って来た絵たちを片付けようと気合いを入れる。半日かかってどうにか片付ける。これでまた家でテンペラを描く気力がわいてきた。

 たとえば、私にはときおり何かはっきりと、それがどういうことであるのかという確信を得ることができるとしよう。まるで神から与えられた啓示ででもあるかのように。そして誰かが私のその確信について誤った理解をしたとしよう。つまり私は真である。だとすれば私はそのことに関して全く気にならない。誤解を解こうとも思わない。なぜならそれは私にとって真であるから(逆に言えば、私は自分が何かを正しく認識できないことだけが不安である。むろん正しく認識できることよりも、そうでないことの方が断然多いわけだが)。
 この感覚について思うとき、わたしはウィトゲンシュタインの言う「絶対に安全である」という感覚にふれるような思いがする。それはもちろん、語りえない領域の話である。

 

4月16日(火)曇りときどき晴れ

 今日は河原へ出かける。ニッカウィスキーの工場が見える新川という川である(名前が似ているのは偶然らしい)。とてもあたたかな日で、曇り空がのどかさをさそう。5枚ほど描く。

「川面のスケッチ」 水彩、紙 F8号

 

「水門のスケッチ」 水彩、紙 F8号

 

「滝のスケッチ」 水彩、紙 F8号

 

4月15日(月)晴れ

 今日はずいぶんと休んでしまった。先週は猛烈にがんばったのに、今日は下のスケッチを一枚描いておしまい。しかし曇った空から白く輝く日の光がもれる夕暮れ時の美しさは、夢見るような気分だった。今日からとりあえず自宅に住み、週末にかけて「合宿」に臨むことにする。やはり環境と成果は反比例の関係にある。

「小屋のスケッチ」 水彩、紙 F8号

 

4月14日(日)くもりときどき晴れ

 今日も(月)と同じ、三陸海岸へ出かける。土・日・祝日限定のJRのフリー・パスがあって、これを使うとほぼ半額で往復できるのでこれを使う。
 とにかく長い海岸線で、先日は右端まで歩いていったところにある岩場を描いたので、今日は左端へとてくてく歩いて行く。こっちはもっとすごい。地元の人たちが集って、岩場で会食している。あいさつしてさっそくスケッチにとりかかる。

「海のスケッチ」 水彩、紙 F8号

 だんだん波が押し寄せてきて、はっとして見るとさっきまで会食していた地元の人たちがいなくなっている。もしや満潮になって私が描いている場所は海底に没するのでは? そんな不安を抱えながら2枚描く。小心者である。その後少し不安なので岩場をやめにして舟やら小屋やらを描きながら、スケッチしていた岩場の場所を観察していると、やっと帰る頃になって水没していた。それまではずっと描けたのだが。

「舟のスケッチ」 水彩、紙 F8号

 F8のスケッチブックをそのままスキャナーにかけているので、けっこう画面が切れてしまう。

「小屋のスケッチ」 水彩、紙 F8号

 今日は5枚描いた(1枚はひどいので載せない)。月曜日も5枚描いたが、とても余裕があったように思う。今日は帰りの電車までの5時間、ずっと描き通しで5枚である。なぜだろう。

 

4月13日(土)晴れ

 今日は朝から晩まで塾の日なのだが、ところどころ空き時間があるので並木のスケッチをする。仙台の並木通りのひとつ、定禅寺通りまで、晴れた街を歩いて行く。

「けやき」 鉛筆、紙 F8号

 

4月12日(金)雨のち曇り

 朝起きると雨が降っている。今週はずいぶんがんばったので今日はスケッチはお休みにする。実は月曜からスケッチ強化合宿として、ずっと塾に泊まり込み、そこからスケッチへと出動していたのである。
 久しぶりに家に帰り、ホームページの更新をする。こういう夫をもつと妻もたいへんである。

 家庭教師をしている、今度中学1年生になった女の子から鳥取砂丘の砂をもらう。小学4年生くらいからのつきあいなのだが、最初は本当に手の焼けるこどもでたいへんだったが、あるときからとても仲良くなった。彼女はピラミッドにとても興味を持っていて、何冊も関連図書を読んでいるのだが、私がエジプトに行ったことがあったり、ピラミッドを観たりしたことがあるという話になり、アラビア語を教えてあげたりしたのがきっかけだったような気もするがよくおぼえていない。お返しにsawada yamamotoさんの「賢者の石」を上げる。とても喜んでいた。

「砂丘の砂」

 

4月11日(木)晴れ

 今日はJR仙石線陸前富山駅ということろから歩いてすぐ(30分くらい)の富山観音というところへ行く。奥州三観音のひとつ、というものなのだが、私が行くところであるから例によって誰も来ない。
 杉を描いて、建物を描いて、それで今日はタイムアップ。やはりもっと早起きしないと時間がない。駅で待っているおばさんがいる。すごくめずらしいなぁと思っていると、そのおばさんいわく、どこかで事故があったらしく、もう1時間近く電車を待っているという。私は塾の始まる時間がせまっているのでとてもあせるが、どういうわけかおばさんが1時間待っても来ない下り電車は来ないのに、私の上り電車は時刻表から数分遅れただけでやって来る。途中、多少の遅れはあったものの、無事仙台駅へ到着したのだった。

「杉のスケッチ」 鉛筆、紙

 

4月10日(水)晴れ

 昨日の無理がたたったのか、とても風邪気味。今日から塾もあるので少し近場で静養しようと、青葉通りの並木や西公園の木を描く。桜はもう散り始めていて、この散り方がすばらしいのだったと思い出す。そう、桜は散るさまがいい。

「木のスケッチ」 鉛筆、紙 F8号

 裸の木はいい。葉をつけた木は、何かとても騒々しく、複雑で、とらえどころがない。

 

4月9日(火)曇りのち雨

 今日は天気が悪いなぁと思ってはいたのだが、当初の目的地、奥松島へ行く。この、奥松島というのは実にすばらしいところなのだが、車がないと普通の人は行かない、というか行けない。
 JR仙石線野蒜駅を降り、夏には海水浴客でにぎわう砂浜を歩きながら、松島湾に突き出した室戸島という島へ向かう。雨の砂浜もいいものだ。海は、まるで哀しみの色とはこういうものだろうという色をたたえて打ち寄せていく。
 やがて小さな橋をひとつ渡るとそこは室戸島である。いつもは舗装された道路を行くのだが、地図で見つけた山道を行くと近そうなのでそちらをたどる。春の野とはいえ雨なのでとても寒い。ところどころでスケッチをしたとはいえ、目指す高台に着いた時間は3時を回っていた。
 私が今日目当てにしていたのは、嵯峨渓という絶景を見下ろせる嵯峨見台という小高い丘である。実に美しい。そしてもっとすばらしいことには、誰も来そうにない。なのに東屋まで用意されている。私はさっそくスケッチブックをびりびりと破り、横に4枚つなげてこの風景を写し取ったのであった。後で屏風絵みたいにしようと思っている。

 スケッチした絵はこちら


 終わって帰る頃にはもう日暮れ間近。てくてくと歩いていると、地元の方がクラクションを鳴らしてくる。駅まで乗せていくという。たいへんありがたい。嵯峨見台? ああ、何もないでしょ、だから誰も来ない、とのこと(それでよいのだ)。晴れた日はすごいから明日また来たら、と言われる。でも私は雨の嵯峨渓が見たかったのだ(と思うことにした)。

 

4月8日(月)晴れ

 大谷海岸という、三陸海岸の中にあって、日本一駅から近いという砂浜へ行く。仙台駅から一日に一本だけ、直通電車が出ている(帰りも)。8:51発のその電車で海岸に着いたのは11時少し前。きっと海水浴シーズンにはとてもにぎわうのだろうが、今は本当に人っこ一人いない。
 しかし砂浜というのはだいたいにおいてどこでも同じなので、結局少し個性のあるところというと、砂浜の端っこの岩場であったりする。この砂浜の海岸線はとにかく長くて端まで行くのがとてもたいへん。

「海のスケッチ」 水彩、紙 F8号 (以下同じ)

 スキャナーがA4サイズな上に、ふたが邪魔で部分的にしか画像が取り込めない。こうして見ると実におつな風景である。

 とてもいい天気で、とにかくきれいな海だった。少し高いところから海全体を見渡すと、その青といい、白波といい、まさにそれは東山魁夷の唐招提寺障壁画そのものである。ちがうのは動いているかとまっているかという点くらいである。しかしよく考えてみると、絵画は「ある瞬間を切り取ったうんぬん」と言われるが、それはカメラが発明されてからの見方ではないのかと思う。カメラの誕生とともに「瞬間を切り取る」という発想が発見されたのであって、それまでの人が「瞬間」というものをとらえる場合、それは固定されたもの、つまり「切り取られた」ものではなくて、次へとつながる連続としてのひとコマとしての「瞬間」なのではないかと思う。うまく言えないけれど。

 

4月7日(日)晴れ

 今日から少し放浪の旅へ出る。旅、といっても塾を基点に、日帰りのスケッチ旅行である。水曜からは塾も始まるので夕方には戻らねばならない。

 とりあえず今日は仙台の並木道、青葉通りの並木を描く。並木をすべて描く、というのもなかなかおもしろいアイデアだなぁと思う。葉っぱが出てくる前になるべくたくさん描こう。

「裸木のスケッチ」 紙、鉛筆 F8号

 過去の自分、というのは、先のことがわからずにいる点で、常に真剣そうに見える。そのけなげさを失いたくないと思う。ものごとに慣れてしまったり、軽く考えたりしないように。

 

4月6日(土)晴れ

 沖縄在住のアーティストsawada yamamotoさんから「賢者の石」が8個届く。マルチプル・プロジェクト第一弾とのことで、基点を表わす×と、エディション・ナンバーがついた300個の玉砂利による作品。sawadaさんの住む沖縄から、私の住む仙台へと基点を移した8個の小さな白い石。ここからさらにどこへ行くのだろう。とりあえずひとつはいつも持って歩くことにする。

 プロジェクトの詳細についてはこちら

包装もシャープ sawada yamamoto 2002

 やっと今日で労働が終わり、来週から外に制作に出ようと思っていると、今週あんなにずっと晴れていたのに、来週は月曜からずっと天気が崩れるのだそうである。

 雑誌『大航海』最新号(2002、No.42)は「ゲーム」特集として、ウィトゲンシュタインの言語ゲームをはじめ、ゲームの理論がさまざまに取り上げられている。先月あたりからウィトゲンシュタインを読み始めた私にとって、ものすごく過去の人の話を読んでいるような気分でいたのに(実際、彼の影響力は70年代を境に急速に衰えたと説く入門書もあったし)、先日古本屋で買った13年前の『現代思想』(1989年6月号)はまだ「信念文」やクリプキが花盛りであったり(裏表紙は全面『ウィトゲンシュタイン全集』全12巻完結の広告である)、この今月出た『大航海』が「ゲーム」特集だったりと、何か急にとても人通りの多いところに出て来たような心強さをおぼえる(そういえば個展のときも何人かウィトゲンシュタインについて語っていったし)。
 さて、この中で北田暁大氏の「道徳をゲームとみなすことの「倫理」」には、とても動かされた。氏は「私は責任を果たすことも、果たさないこともできる。私は自由である。しかし、他者の呼びかけを聞いたら、応えるか応えないかの選択を迫られる、責任の内に置かれる、レスポンシビリティの内に置かれる、このことについては私は自由ではないのです」という高橋哲哉氏の言を例にあげ、このように、関係性のテーゼから「他者/関係性を尊重せよ」という当為を導出しうるのか、という問いを発する。
 約束をしたのならまだしも、ただ人間社会にコミットしているということだけでは、その関係性を尊重しなければならない根拠となりえない、ということを氏は淡々と証明し、制度がわれわれに要求する抑圧について暴き出していく。
 ずっと、同じ地球上に住んでいるのだから親切にし合うべきだ、という素朴な倫理観を疑うこともなく生きてきた私にとって、これはとても鋭い指摘である。確かにみんなで仲良くやっていくにこしたことはないが、誰かが抑圧されてまで仲良しのふりをさせられるのはおかしい。そんな風にとらえ直した上、私は次のようにも考えた。私に感じ悪くする人には私に感じよくする責任などないと考えるとかえってさっぱりして気持ちがよい。なぜひとが感じ悪いとこんなに気分が悪いのかと言えば、そこには制度的抑圧装置が働いて、その人が何らかの義務を怠っている、と私が考えさせられているからに違いない。そんなこと思う方が間違ってる、と思えばこんなに楽なことはない(むろん、自分もそんな責任はない、とは思いたくないが)。しかしこんな具合の解釈で本当にいいのだろうか(私がいいならいいのか)。

 

4月5日(金)晴れ

 今日まで、夕方までの労働期間だったので、天気もいいことだし、桜も見ごろなことだし、塾の後、夕暮れの街に写真を撮りに出かける(その写真はこちら)。

 とある木立を写真に撮ろうかどうか考えているとき、同時にこの光景を絵にするとしたら…と考えている自分を意識した。写真を利用して絵を描くことも多いが、写真は写真として純粋に成立しているものなので、こういうことはいつもあまり考えないのだが、その時はそうしたことをあれこれ考えている自分をはっきりと意識するとともに、言い知れぬ空しさを感じるのにも気づいていた。
  それはこの美しさをどう描いたらいいのかという、描写困難性にともなう空しさであるとともに、見えないものを見えるようにするとか、情感をもった画面づくりとか、とかく絵づくりに関して言われるいっさいについてのことがらが頭の中にがんがん響き、どうしようもなくだるい気分が私を襲ったのである。
 きっと今まではこうしたことがある種自然にわきおこり、それを奇異とも思わずにいたのだろう。しかし今の私は、誰かによく見せるために、というような意味合いが少しでも混入すると、もうそこから逃げ出したいような気分なのだ。
 これもおそらくは幻想なのだろうが、私は何をどう描くか、ということによりも、描くということそのものに意味を見出したいのだと思う。描くことは行であり、歩みであり、生そのものだ。私が誰かのために存在しているのでないのと同様、誰かのために絵を描くのではなく、私が私という存在を維持するために活動しているのと同様に、私は絵を描いている。そう思いたいのだ。
 ポロックやデ・クーニングのアクション・ペインティングに強くひかれるのは、このためだろうと思う。描くという行為そのものを描くことが、絵画にとっても最も純粋な表現方法に他ならないと、私もとても強くそう思う。もしかしたら違うのかもしれないけれど、彼らの絵画から私はそんなことを読み取ってしまう。
 しかしだからといって自分がそれをするわけでもない。おそらく別の場所を通って、同じところへと行き着くのだろう。そうだといいなと思いながら、自分を守るために、私は逃走を始めている。

 やっと明日でこの長かった労働週間も終わり、やっと絵筆を取れそうである。パソコンも少しひかえよう。

 

4月4日(木)晴れ

 パレスチナが最近たいへんなことになっている。いや最近、というのはものすごくのんきな発言である。なぜならこの半世紀、ずっとたいへんなことになっているのであるから。
 ということで、「テロリズム日記」を再開する。

 

4月3日(水)晴れ

 malangoshaのいづみさんの日記happy talkに掲載されていた素敵なあひるさんたちの写真が、どうにも忘れがたい印象を私に与え、絵にしてみる。

「逃げるあひるさんたち」 水彩、紙 サムホール

 写真の方がずっとインパクトがあるのだが、少し離れていた手仕事をしてみる、という意味でとても新鮮な気持ちで描いてみたわけである。
 彼女の日記を読んでいると、とても素敵な人たちとの出会いがある。といってもそれは日常の静かな「観察」によって得られるもので、もしかしたら彼女でなければそれを素敵な人たちだと認識できなかったかもしれないし、彼らも素敵な人たちになりえなかったかもしれない。
 そうした意味で、私は彼女がクリスマス・イブの日記に書いていた文章「世界中のスクルージさんへ」という言葉には、新鮮で深い印象を受けた。私の世界がまさにスクルージ的な視点から構成されていることに、素直に気づかされるからである。

 

4月2日(火)晴れ

 桜が咲き始めている。もたくさん種類がある中で、しだれたものなどは、とても寂びた味わいがあって落ち着いて見ていられる一方、妙に白々とした桜を、特に今日のように青々と晴れた空の下で見ると、何やら腫れ物か何かを見ているような、いたたまれないような気持ちになる。それは、無垢で傷つきやすい内面が、ぱっくりとそのままむき出しにされているような印象を私に与える。
 そんな風に思うようになったのはついこの2,3年くらいのことなのだが、そうした、自分を全部さらけ出したようにして立っている桜の木の下で、青いビニールシートを敷いて酒盛りに興じたりするのは、何かとても不道徳なことにさえ思えてきてしまう。ばかばかしい感傷に過ぎないと思うのだけれども。

 痛々しいほどに無垢なり桜咲く

 

4月1日(月)晴れ

 個展期間中、泊まっていたウィークリーマンションから地下鉄の駅までの間に、厩橋という橋があって、この橋のたもとに厩橋地蔵というお地蔵さんが祭られていた。私はとても暗い過去があるので、最近はお地蔵さんを見かけると手を合わせたり、あいさつをするようになった。そこで個展期間中はこのお地蔵さんに朝晩お参りしていたのだが、私はずいぶん長いことそうしたことがばかばかしく、おめでたいことのひとつだと思ってきたし、いまだにおそらくそう思っていると思う。しかしそうした光景を思い浮かべるのと、実際にやるのとでは雲泥の違いがあって、それが少なくとも私をとてもすがすがしい気分にさせてくれたのは確かなことなのである。
 このように、こうした素朴な行為、自分を超越したものに対する素直な思い、というのは、それを十分に口で語ることは難しい。これは宗教のみならず、われわれが美や善、真といったものに対してもつ畏敬の
念、たとえば芸術という総体に対してもつ神聖な気分と同質のものであるように私には思える。
 祈りが、思念であるよりもまず先にある行為の繰り返しであるように、芸術の手わざも、観照である前にまずひとつの行為なのだと思う。そしてその行為には一種の神的なものがやどる。それは何のためというよりも何よりもまず、それそのもの、美そのものへのあこがれや畏怖、尊敬の念から行われるものであるように思える。そこでは私は消え、あなたも消え、何のためということも消え、ただそのために、それに従事するということだけのために行われていく。
 だから私はひとのために描くのでもなく、ましてや自分のために描くのでもなく、それそのもの、少し大げさに言えば、神との対話のために、簡単に言えばお地蔵さんに手を合わせるのと同じように、絵を描くということに取り組んでいきたい(むろん、それはとても困難で、私のおそるべき幻想に満ち溢れた世界ではあるけれども。それにまた、絵を描く時間や何かがあっての話であるけれども)。

妻のピアノの生徒の弟よしろうたくん(幼稚園)の絵

 

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