「見えるかにゃ〜」

ごるごくんのいもむし日記

 

 

9月22日(土)晴れ

 昨日きたすがわらやおやさんの野菜の中から、何やら見慣れたようなものが。そう、またおいでなさったのです。あひるくん(編集者注:ホームページ管理者門脇篤のこと)がていねいに調べると、いもむしさんがふたりも。
 以前いらしたのがあおむしくんだったのに対し(この件については「ごるごくんのあおむし日記」に詳しい)、今回は白く、いくぶんいかめしいお方たち。若武者のような雰囲気すら漂わせていらっしゃいます。さっそくガラスの花瓶に入れてビップルームのできあがり。

 

9月23日(日)晴れ

 秋晴れのよい天気。いもむしどのもさぞ気持ちよかろうとお部屋を覗き込むと、何と立派なよろいをおめしになっているではないか。昨日までは白かったお姿が、グレーのしゃれたカラーを身にまとっておられる。ぼくも一張羅の黒いタキシードを着ているが、グレーもけっこういけるなぁ。それにあのボタンのような斑点。ぼくの肉球にも黒い斑点がついているが、いかんせん足の裏では見せびらかしようがない。昨日までは2cmくらいであったが、今日はいくぶん成長しておられるようだ。

 

9月24日(月)晴れ

 実に気持ちのよい日でお昼寝には最高だったにゃ。昨日とかわらずいもむしどのらはクールなよそおい。よく見ると側面に黄色のラインまで入ってきたにゃあ。それにしてもあおむしくんにくらべ、ふんにょろの大きさこそ小さいものの、ずいぶんするでござる。葉っぱが点々だらけである。

 

9月25日(火)晴れ

 今日もまたたくさんお食べになってるなぁ、じゃあ新しい葉っぱを、と思って冷蔵庫を見ると、なんと葉っぱがない。えりちゃんが全部料理してしまったのだ。どうしたものか。ぼくらねこ族も最近はあひるくんがしっかり草を栽培してくれないので困っているが、だからといってそればかり食べているわけではないからいいものの、いもむしくんにとっては葉っぱこそすべて。明日は早起きして買いに行かねば。しかし昨日まで食べていたのはすがわらさんとこの無農薬だからなぁ。スーパーの葉っぱが口に合うかどうか、かなり心配なことだ。

 

9月26日(水)晴れ

 スーパーへ行って雪菜を買って来る。さっそく花瓶の中のいもむしさんたちを探すのだが、3cmくらいになった大きいいもむしさんはすぐに見つかったものの、もうひとりの少し小さないもむしくんが見つからない。葉っぱのしわをのばしのばし探すと、昨日かえなかったために少し水っぽくなっている葉っぱくんの裏でお亡くなりになっていた。ああ、何という。
 ひとりになってしまったいもむしどの。夜見ると、スーパーの葉っぱもいとわずお食べになっておられる。

 

9月27日(木)晴れ

 葉っぱをかえているとあれれ、またいない。よく見るとかたわらに転がっているいもむしさんが。何か長くなるよりも太くなってきているようだ。

 

9月28日(金)晴れ

 今日は野菜の日である。やおやのすがわらさんが野菜を持って来る。さっそくいもむしどのに差し上げようと花瓶を見ると、なぜか今日はふんにょろがひとつもない。いもむしさんを見るとおちつかなげに花瓶の壁を上へ上へとよじのぼろうとしている。これはおかしい。以前もこんな展開があったのを思い出す。その時はあおむしくんで、どうもはえくんに寄生されていたらしく、数日後はえまゆになってしまったのだ。グレーの背中に黒い斑点、黄色いライン、といういもむしくんだったが、昨日あたりから斑点から毛が生え、全体的に野菜の緑色に色づいてきているのだが、はて、どうなることやら。今日来たばかりのこれもかなり虫食いの有機野菜を差し上げる。

 

9月29日(土)晴れ

 どこに行ったのかなぁとさがしていると、どこにも見当たらない。葉っぱの裏にもいない。いっしょに入れておいたティッシュを見ると、おお、ティッシュを寝袋のように袋状にして、その中でもう繭状態に入っておられるではないか。何という速技。いったい何になるのだろう。

 

9月30日(日)くもり

 さなぎになったいもむしどの。ただ待つのみ。

 

10月1日(月)雨のちくもり

 いもむしどのがさなぎどのになってしまわれたので、特に書くこともなし。しばらくお休みいたす。

 

10月4日(木)晴れ

 今週は火曜からいい天気がつづいている。さなぎさんは特に動きなし。

 

10月14日(日)晴れ

 もうさなぎになって2週間になるいもむしくん。全然動きなし。八百屋さんが以前、あんまり小さいとかえらないと言っていたが、さなぎはほんの1cmほど。力尽きてしまわれたのだろうか。

 

10月21日(日)晴れ

 さなぎさんになってはや3週間。いもむしくんに動きなし。やはりもうだめなのか。

〜 間 〜

12月14日(金)雪

 な、なんと、もうおなくなりになったとばかり思っていたいもむしくんのさなぎくん。ずっとそのままにしてあった花瓶の中で、蛾くんになっていたのです!
 第一発見者えりちゃんの叫びとともに見に行ってみると、ちいさな蛾くんになったいもむしくんが、花瓶の壁にとまっておられます。いったい何を食べるのかにゃ〜。とりあえずキウイーを入れてみる。

 

12月16日(日)晴れ

 見ると入れておいたキウィーにとまっておられる蛾くん。とってもしぶいお召し物です。あひるくん(編集者注:ホームページ管理者門脇篤のこと)は網戸にとまっている蛾くんを見るといつも「きれいだなぁ」と言っているので、この蛾くんとも仲良くなれそうだにゃあ。
 夜、はちみつも入れてあげようとえりちゃんが提案し、オブジェになっている春に拾った桜の木の枝を小さくポキンと折ってはちみつをたらし、花瓶の中に入れてみる。蛾くん、食べるかにゃ〜。

 

12月17日(月)晴れときどき雪

 桜の枝にとまってお休みの蛾くん。ときおり見ると位置をかえ、はちみつをちゅーちゅーしているようです。
  なんか、最近ほんとに平和でいいにゃあ。われわれ生きものの多くはいつも悲惨な目にあって、とっても心の痛むことが多いけど、この前のあひるくんの助けたすずめちゃんといい(編集者注:詳しくはこちら)、いもむしくんから無事に蛾になった蛾くんといい、いいにゃあす、じゃなくてニュースを聞くと安心するにゃあ。

 

12月18日(火)晴れ

 朝起きてみると、蛾くんがあおむけになってお亡くなりになっておりました。短い人生、本当にしっかりと生きておられました。
 中にはすぐ死んでしまわれるこれらの生きものについて、何のために生まれてきたのかとか、子孫を絶やさないためだけの機械的な人生に過ぎない、生きるに値しない人生とかいった考えをお持ちの方もいるかと思います。いえ、そんな考えすら、こうした方々に向ける価値はないなどと思っている方々もおおぜいいらっしゃるはずです。
 しかしどうでしょう。ひとつには実際的な側面から、もうひとつは人間的な側面から、その考えが少し浅いものではないかと指摘させていただきたく思います。

 思えば人間のみなさまは、自分たちは国家をつくる、その点でほかの生きものとは断然違って偉いのだとおっしゃることがありますが、これはまったくの間違いです。猫族に属するわたくしのところにも国家はありますし、蛾くんのところにもありました。それが国家と解釈できるかどうかは、すべてそれを解釈する側の問題に帰することができるのであって、これは国家だ、しかしこれは違う、といった断定的なもの言いは、まるで魔法使いのやる魔法のようなものです。
 ではなぜこの国家をつくるのかと言いますと、こんな実際的なことを言う方がおられます。力が非常に強く、才知にもたけ、お金もごっそり、しかも王族の生まれ。こんな人ばかりなら問題はないが、残念ながら不自由なからだに生まれついたり、そうでなくともからだが弱かったり、金儲けの才能がなかったり、社会的に低い地位におとしめられていたり、そういった人に生まれついた場合、いつまでたっても幸せな暮らしを送ることはできません。まるで奇跡のようにやさしいお方が現れ、みんなを守ってくださるのを待つ以外に手立てはありません。ところが、そうした人間の強弱をこえてその存在を保証するものとして、国家があるのだ。だからそれは自分が弱い側に立ったときの保証なのだ。こうそうした方々はおっしゃいます。
 この見地からはかない命をもった蛾くんのような方の一生をながめて見るならば、だれももう彼の人生を価値のないものとは言わないでしょう。だって、もしかしたら、あなただって、生まれてすぐ死ぬような人生を歩まなければならなかったかもしれないんですから。
 これに対しては、いいや、今現在そうなっていない以上、そんなことは空想の世界でしかない、よってばかばかしくてやっぱり聞いていられない、という方々もおられるでしょう。しかしテロリズムによってそれこそ「虫けら」のように人々の命が失われていく今日、これはもっとリアリテーをもって受けとめられていいことなのではないでしょうか。

 もうひとつ、人間的な側面から蛾くんの人生を受け止めたいと思います。わたしが「人間的」というとき――もちろん、こんな傲慢で誤解に満ちた言葉をつかいたくにゃいんですが、これにかわる新しい言葉が存在しない以上、しかたありません――、これは「すべての生きものが幸せにならない限り、この世に住むひとりひとりの幸せもない」といった気持ちを端的に表わしたものとして使わせていただきます。この気持ちは何も人間たちが特権的に行使している感情ではもとよりなく、その感情を打ち捨てて、人間たちの言うところの「動物的な」行動に走るといった表現もなされていますが、まったく何をか言わんにゃでありまして、われわれ猫族を例にとりましても、何とも愛情に満ちあふれた親子愛あり、友情あり、しかもそれが種を超えて、犬さんやロバさん、そしてむろん人間とも深いきずなで結ばれていくものであります。
 さて、こうした考えに立って再び蛾くんを見るならば、この蛾くんはいったい幸せだったのだろうか、こんなに短い命ならば、さぞいろいろなことがいっぺんにやってきたような心持ちであっただろうとか、そんな短い人生なら、もっとおいしいはちみつをあげればよかったとか、いろいろと蛾くんの気持ちに立って考えてしかるべきでありましょう。
 そしてそうすることで、いったい人生とは何なのかということに思い至るのだと思います。それが単に生まれてから死ぬまでの時間を意味するのではないこと、大勢から見て影響力の少ない人生であったからというだけで、その人生のもつ一回性という価値を損なうことなどできないこと、そして結局は自分と他との関わり合いがいかなるものでありえたのかということに人生の意味は集約されていくかと思います。

 以上、少し長くなりましたが、今日をもってわたくし、ごるごの「いもむし日記」の幕を閉じさせていただきたいと思います。

完 

 

ねこべや

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