1997年の絵画帳 1

 

「柵」 水彩、紙 65.9×50.7   

 1997年。この年は私にとって、本当の意味での始まりを意味する年だ。これ以前の私は、透明水彩を使い、室内でイラストのようなものばかりを描いていた。それはそれで意味のあるものではあったのだが、あるときふと、つまりこの年の初めに、私はスケッチブックを持って外へと出ることにした。そしてそこで目にとまる自然の美の複雑さに圧倒されることになる。それ以降私は、今までに自分がしていたことがとてもつまらないことに思え、仕事で頼まれて描くとき以外にはイラスト風のものは極力描かないようになっていった。
 むろん、今現在の時点で言うならば、それはすこし極端な見方だったわけだが、このときに始めた野外制作に代表されるような絵を自分のための絵とするならば、それ以前から続けていたイラスト風のものは、ひとの目を意識したひとのための絵、と解釈することができるかもしれない。そして、そういった意味で私は、そうしたものに意味がないように思ったのだと思う。
 芸術をはじめとする人間の営みは、自己表現を目的としている、ということが言われる。極端な言い方をするなら、受け手がなければ発信としての表現行為は成り立たない、 というわけである。現代アートにおいて、見る側の参加を前提とした作品が興隆をきわめているのは、こうした発信/受信といった関わりこそが重要であるという認識があるからだろう。
 しかし私の内なる声は、他者を前提としないものなのではないかと思えてならない。絵に限らず、あらゆることにおいて、私の興味の中心は、作りつづけることにあるようだ。そしてこうしたたぐいのことというのは、私にとっては社会的な問題ではなく、実に私個人にのみまつわる問題で(私はこれをときどき「遺伝子の問題」と呼んでいるのだが)、そうした理由から、先に述べたように、ひとのために描いているような気を起こさせるイラスト風の絵を、何かつまらないもののように思ってきたのだと思う。
 今ではもっと軽くそれを受け流して、ときにはひとを喜ばせやろうという気持ちから、軽いタッチのイラストを描くこともそれほど苦痛ではない。いや、まだ時に苦痛なこともある。それはおそらく、自分が自分の絵をいまだ手に入れていないこと。入れていないどころかそれがはるかかなたのどこか遠くにあって、そこへたどり着くことができるかどうかもおぼつかないという、押しつぶされそうなほどの不安を背負って生きているからだと思う。いつか心に余裕ができて、それこそマティスのように、ひとの「安楽椅子のような」絵を描くような気が起これば、それはそれで幸せなことではあると思う。

Atsushi Kadowaki 2001.5.3.   

 

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