フォト紀行

浦戸諸島

「桂 島」 Atsushi Kadowaki 2000

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 浦戸は、松島湾の中にある。外洋に面した桂島、野々島、寒風沢島、朴島の4つの島からなり、藩政時代から奥州屈指の港町として、明治以降はラッコ漁の拠点、そして松島湾内唯一の砂浜を持つ避暑地として栄えた。今ではその賑わいは過去のものとなり、美しい海とひなびた港町が、おそらくはそうした一時の繁栄とはかかわりなく続いてきたひとびとの日常を今に伝えている。

 私がこの島々へ行ってみようと思ったのは、松島湾に沿った地域をスケッチしていた折、昔は漁をしていたという老人が、湾内に浮かぶその島々のことを教えてくれたからだ。塩釜から毎日、船が何便か出ているという。私はさっそく船の時刻表を調べ、7月のある晴れた日、島へと渡った。

 歌枕で名高い塩竈へは、仙台駅から快速で20分もかからない。JR仙石線本塩釜駅下車。ここから観光桟橋「塩釜マリンゲート」まで歩いて10分。ここで塩竈市営汽船浦戸諸島行きの切符を買う。桟橋に並ぶ松島遊覧船の華々しい、ある種悪趣味な船に比べ、島民の足であるその船は、何ともシンプルですがすがしい。シーズン中にはこれら遊覧船の客引きが多く、騒々しい思いをするが、夏の一時期を除けば実に静かなものである。ところで、なぜ塩竈市がこの島々まで汽船を営業しているのかと言えば、行政区で言うと浦戸諸島は塩竈市に属しているからである。距離から言えば奥松島と呼ばれる景勝地、鳴瀬町の方がずっと近いのだが。
 とりあえず桂島まで切符を買う。片道410円。30分の行程である。

 旅をする時にせよ、何でもそうだが、勝手がわからず不安な気分がつのっている時、安易な日常から少し抜け出して、ある種新鮮な緊張感の中にいる時というのは、なかなか得がたいものである。その渦中にある時には、それを楽しむどころではないことが多いのだが、今から何が起こるかわからない、どうなっていくのか予想もつかない、そうした緊張感を伴った快感を味わいたいがために、私はこうして器用仕事と称して常に自分の日常の外へと歩き出しているのだと思う。
 と、たかが自宅から2時間半あまりの小旅行で大げさなもの言いであるが、今ではあまりに日常の範囲内に入ってしまった浦戸参りも、最初は少なからぬ興奮を伴ったものだったのを思い返してのことである。

 船にはすでに何人かが乗船していた。あきらかに海水浴へ行くのがわかる人々。おそらくは島へ帰るのであろう年配の人々。子供たち。船は2階建てで、私は2階のデッキに腰かけて出航を待った。
 私はどこへ行くにも本を持参する。そこで、あるものがあるものを思い出させることがよくあるように、例えばある曲を聴くと自然とある記憶がよみがえったりするように、私はある場所へ向う道のりを、そこで読んだ本や文章とともに思い出す。その本なり文章なりの上に、それを読んだときに乗っていた電車や船の様子、窓から見る景色、時間や空気の断片といったものが立ち上ってくる。
  例えばこの、浦戸を訪れた最初の頃の情景は、プラトンの『国家』とともに私の中に刷り込まれている。秋には、ミラン・クンデラの『不滅』とともに。最近ではハンナ・アーレントとともに。
 浦戸へ行く塩竈市営汽船の船は3隻あって、日によってお休みの船と、運航する船とがある。1隻はおそらくこれが最も古いもので、1階建ての、船尾にもうしわけ程度のデッキがついているもの。1隻はやや新しく、2階建てで、2階がすべてデッキになっているもの(これが私が最初に乗ったもの)。最後の1隻は最も新しく、2階は客室とデッキが半々で、1階、2階ともテレビで衛星放送を流している。
 私はデッキをわたる風を受け、どんどんと遠ざかっていく陸地をながめながら、ソクラテスの何とも言えないおどけたような、皮肉に満ちているようで実際本人はいたって本気という例のあの話しぶりに引き込まれていく。桂島の船着場では、塩竈港行きの船を待ちながら読んだ(聞いた)、クンデラの描くゲーテとヘミングウェイのあのあざやかな会話を思い出す。そして石浜から蔭田島の異形を見ながら寒風沢島へ向う航路では、アーレントが描くマルクスの純粋な理想とそこに秘められた恐ろしいまでの誤算について。

 船は浦戸へと向う。ウミネコが、海水浴客たちの投げる食べ物によって来る。そして芭蕉が、「千々にくだけて」とやや理知的に描いた松島湾の島々が近づいて来る。やがて目の前に、だんだん大きくなってきたその島が、かつて白石商会の本拠地として繁栄を極め、土井晩翠をはじめとする著名人が避暑へと訪れた島、桂島である。

Atsushi Kadowaki 2001.7.19  

 

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