ラジオ体操
小さな兄弟がいて、夏休みだった。お兄ちゃんはもう小学校にあがっていたから、毎朝早く起きて、町内会のラジオ体操に出かけて行った。弟はまだ幼稚園に入ったばかりだったので、町内からお誘いはかからなかった。
兄弟は毎朝、同じ時間に起こされた。夏の朝はまだひんやりとしてすずしく、二人は大きなテーブルに腰掛けて、いっしょに朝ごはんを食べた。それから、お兄ちゃんはラジオ体操に出かけて行った。弟は家で、お母さんと二人でラジオ体操をした。
弟はお兄ちゃんがうらやましかった。お兄ちゃんやほかのみんなといっしょに、ラジオ体操がしたかった。それから、お兄ちゃんが首から下げている、ラジオ体操の出席カードもほしかった。毎朝ラジオ体操をして、カードにはんこを押してもらいたくてしかたなかった。お兄ちゃん、いいなあ、と、お母さんと二人きりで体操しながら思った。
ある日、どうしても行きたくなってお母さんに、お兄ちゃんといっしょにラジオ体操に行きたい、と言った。お母さんがお兄ちゃんにたのんでくれた。でもお兄ちゃんは弟なんか連れて行くのは嫌だった。邪魔だし、まだ幼稚園児だし、カードも持っていないし、連れて行ったりできないんじゃないかと思った。そういう弟を連れて行ったりしたら自分の恥になる。それで、やだよ、と言った。
そんなこと言わずに連れて行ってあげてちょうだい、とお母さんは言った。 いつもお母さんと二人きりで体操してるのよ。みんなといっしょにラジオ体操してみたいんだって。幼稚園はまだ行けないんじゃないの? 何言ってるの、町内の子ならだれが行ってもいいのよ。カードももらってあげるのよ。お願いね、お兄ちゃんなんだから。
いいけどさ、とお兄ちゃんは言った。弟はすごくうれしかった。けど、お兄ちゃん、あんまりうれしそうじゃないなあ。でもやっぱり、みんなとラジオ体操したかった。
朝つゆのにおいのする道を、小さな兄弟は町の公園まで歩いて行った。お兄ちゃんは首から下げたカードのひもを両手で持って、左右にひっぱりながら歩いていた。弟は道のはじっこの方を、お兄ちゃんから少し離れて、ついて行った。弟はわくわくしていたけれど、お兄ちゃんが憂うつそうなので、それを出さないようにしていた。ほんとに連れて行っていいのかな、とお兄ちゃんはそればかり考えていた。こんな小さい弟なんか連れていかなきゃならないなんて、ほんとにかっこ悪いなあ。
公園にはもう子どもたちがずいぶん集まって来ていた。みんなわいわい騒いでいる。ラジオが朝の音楽を流していた。班長さんになっている上級生が、自分の班の子どもを一列に並ばせていた。
公園の入り口まで来たところで、お兄ちゃんはとうとう弟に言った。おまえ、カード持ってないだろ。カード持ってないとあそこで体操できないんだよ。だからおまえここで体操しろ。いいな、おれ、行ってくるから、ここでみんあのやるの見て、まねするんだぞ。終わったらいっしょに帰ってやるから。
お兄ちゃんが列をつくり始めているみんなの中へ消えてしまうと、弟は公園の入り口に一人、取り残されてしまった。向こうの方で、みんなが楽しそうにしている。それを弟はじっと見ていた。ラジオがラジオ体操の歌を歌いはじめた。歌が終わると、みんながいっせいにラジオ体操の第一を始めた。弟も、お兄ちゃんに言われたように、みんなから離れた公園の入り口に一人立って、体操を始めた。するとだんだん目から涙がこぼれてきた。とめようとしてもとまらない涙だった。弟は突然、家に向かってかけだした。道路がぐしゃぐしゃになってよく見えなかった。目は心とつながっていて、涙は心の奥からどんどんどんどんわいて来るのだった。
体操が終わると、お兄ちゃんはいつものようにカードにはんこを押してもらい、みんなといっしょに家に帰った。十時頃、外出してもいいと学校から決められている時間になったら、みんなで集まって野球をしようということになった。みんなと四つ角のところで別れて、家へと歩いた。まだ、一日は始まったばかりだ。朝顔がたくさん咲いている。気分がいいから宿題でもしようかな、と思った。
家に着くと、お母さんが待っていた。いったいどうしたの、とこわい顔で言った。何が? サトちゃん、一人で泣きながら帰って来たのよ。
だって、とお兄ちゃんは言った。だって、カード持ってないから。それにちゃんと公園の入り口のところでいっしょにやれって言ったのに。
カードもつくってもらってって、言ったでしょう。いいわ、お母さんがひろきくんのお母さんにお話ししてつくってもらうから。もうたのまないわ。
そう、とお兄ちゃんは言う。それから、カードを首からはずして壁にかけた。
縁側に出ると、弟がおもちゃの自動車で遊んでいた。それ、ぼくんだぞ、とお兄ちゃんが言った。弟はそれでも下を向いて、車をはなさずにいた。お兄ちゃんはサンダルをさがしてはくと、弟が遊んでいるところまでつかつか近づいて行って、返せよ、と言った。弟はしゃがんだかっこうのまま、お兄ちゃんを見上げた。それから、ゆっくり車を返した。すずめが鳴いているのが聞こえた。お兄ちゃんは自動車を持って家の中へ行ってしまった。お父さんはまだ起きない。豆つぶくらいの太陽が、東の空をのぼって来るところだった。
Atsushi Kadowaki 1989.6