テロリズム日記 7
(2001年10月22日〜10月25日)

"Right and left" Atsushi Kadowaki 2001
10月25日(木)
昨日の「知的なアメリカ女性」の嘆きに関連して、また思い出したことがある。あれはおそらくパレスチナ暫定自治協定が結ばれた後、そしてまだラビン氏が暗殺される前の頃のことだ。パレスチナが和平へ向けて動き出した中で、とあるテレビ局が、イスラエル・パレスチナ双方の若者数人をスタジオに呼び、和平へ向けて意見を述べ合ってもらうという番組を企画した(日本で流したのはむろんNHKだが)。確かもう深夜に近い時間に流れたその番組では、あまりに違う立脚点に立つ双方の語りは絡み合うことなく、当然といえば当然ではあるが、空虚な平行線をたどるばかりであった。
おそらくは立派な大学に通っているのであろうイスラエルの若者たちの語りの中に見られたのは、どうして君たちは僕らをそんなにも憎んでいるのかといった不信感と、そうした憎しみを捨てない限り和平はありえないという傍観者的態度である。
逆にパレスチナの若者たちの主張にあるのは常に、その彼らへのどうしようもない憎しみである。自身あるいは親戚・知人が、イスラエルによって殺傷され、収奪された経験をもたない者を見つけるなど不可能な彼らパレスチナ人にとって、憎しみをもつなというのはどだい無理な話だ。
この両者の前に横たわる深い溝は、彼ら自身がイスラエル建国からはるかに後の世代に属していることで、さらに複雑なものとなっている。イスラエルの若者にとってみれば、自分が生まれたときからイスラエルは存在しており、それがどんな残忍な手段によって勝ち取られたものであっても、もはや彼にとって見ればそれが所与のものなのだ。このことについて考えるとき、私は日本の若者が置かれた状況との類似性を思わずにはいられない。日本が戦時中に行った数々のあさましい行為について、われわれはどこまで自分のこととして考えることができるのか。いや、結論から言ってしまえばそれは日本というローカルな線引きなど関係ないことなのだ。かつてわれわれ人類がしてきたこと。われわれ人間同士に限らずそれ以外の種に対して行ってきたこと。それらすべてについてどこまで自分のこととして考えることができるのか。感じることができるのか。
あまりに話が大きくなりすぎたきらいがあるので、少し話をもとに戻そう。パレスチナの若者たちは当然のことながら、自分たちの親や親戚が殺されたこと、自分たちの親はその家を追われたこと、そうした現実をイスラエルの若者たちに突きつける。そしてこうしたいっさいがっさいが解決しないとしたら、いったい君らの言う解決とはだれに対して何を解決するのかと詰め寄る。
イスラエルの若者たちはこれに対し「平和」ということを上げていたように思う。平和こそが解決だ。君らがわれわれイスラエル人への投石やテロ行為をやめ、平和に共存する道をいっしょに歩もう。彼らイスラエルの若者にとってはとてつもなく気前のいい話のつもりだったのだろう。そこには高いところからものを投げつけるような姿勢があるということを、気づきもしない無邪気さがある。自分たちが同じ目にあったなら、おそらく彼らはその何倍もの復讐を誓うだろう。そのお上品なものいいなどかなぐり捨てて、獣のような本性をあらわにするだろう。現に今、アメリカがし、イスラエルがしているように。
過去を償うことなどはできない。その人が享受できたであろう幸せな時間、つくることができたであろう幸せな思い出、もつことができたであろう幸せな故郷。そんなものをもう一度作り直すことなどできはしない。奪われたそれらのすべてをわれわれは本当の意味で補償することなどできはしない。唯一できることは、それに対して強い共感をもつことだけだ。その存在が無にならないように。その不当な仕打ちが、本当に不当なものであったことを認めつづけること。それだけだ。
そして戦後補償の問題が長い時間を経て、結局はそうした共感を得たいがためのものであることを耳にするのは偶然ではない。年老いた元慰安婦の口からもれるのは、謝罪の言葉が欲しいというため息にも似たものである。不当に扱われたことが、無にならないために。不当に扱われたという、そのゆえになぜ、逆にずっと不当な仕打ちをされつづけねばならないのかといった、人間性への痛烈な問いかけなのだ。求められているのはそうしたことへのあたたかい共感の気持ち、自分はひとりではないという当たり前の安心感なのだ。
だれにも逃れることはできない。どんなに歴史が浅かろうと。私は同じようにネイティブ・アメリカンとしてのインディアンについて思う(アイヌ人について思うのと同様)。それらの人々がどれだけ不当な扱いを受けたか。そこで何があったのか。それに対してわれわれは何を感じていくのか。どこまで自分の問題として受け取れるのか。アメリカはその独立の当時から血塗られた国であって、他のいかなる地域や国家と同様、決して無垢で高潔な自由と民主主義を標榜する国家などではなかった。
「自由の帝国」を広げるために、かの独立宣言起草者トマス・ジェファーソンが何をしたのか。そしてその子孫やその後アメリカに住み着いた人々は、それらをどう何を感じ、どう無視してきたのか。そして現在の事態を前に、何を感じ、何を無視しようというのか。
この地上においてはだれにも逃れる場所などない。逃れるということ自体が間違っているからだ。向かい合うこと。そこで何が起き、何が無視されてきたのか。それを常に掘りつづけ、語り、考え、つなげていくこと。そのことでしかこれをつかむことはできない。無にならないようにすることしか、われわれにはできない。無にしようとしてはいけないのだ。それをひとりひとりのやり方でつないでいくことしかできないだろう。何も劇的に解決したりなどしない。しかしそれこそが、そうした目に見えないひとつひとつの間断なき努力に満ちた態度こそが、われわれが生と呼んでいるもののことなのではないかと思う。
10月24日(水)
昨日来た池澤夏樹氏のメーリング・コラム「新世紀へようこそ 0030 文明の利器」は、悪人がいるのでなく、悪があるのだと前置きした後、悪意のサイズという本題へ入る前に次のようなエピソードを提示している。
「海外から帰ってきた友人が、ある知的なアメリカ女性と話をしている最中に、「なぜこんなにまで私たちは憎まれなければならないのでしょう」と嘆息するのになんとも答えられなかったと言っていました。」
「ここでアメリカ人の自覚な専横とか、冷戦後の十年のふるまいとか、中東政策、ブッシュ・ジュニアの強硬 姿勢、等々を指摘して論を組み立てるのはむずかしいことではありません」と氏が述べているように、当然この後には、この発言の裏にある盲目、無責任、無批判的態度について論じていくのかなと思いきや、氏は今回はかなり私の裏をかいて、「しかし、今のところ、この論法はアメリカ人の大半を納得させません。溝を広げる効果しかない。アメリカの政治だけを見ずに、もう少し視野を広げてみましょう」と矛先を「悪」を増幅させる「現代の文明」批判へと向けていく。
コラムが始まった当初の鋭い視点が、最近は多少軟化してきているとは思ったものの、これまたずいぶん後退したなと思わざるを得ない。一昨日のコラムの冒頭が「ここ数日でなんだか関係者一
同の疲労感が一段と増したような気がします。徒労感と言ってもいい」といったものであったことや、コラムを日曜は休むむねの「社告」が送られてきたことが思い起こされる。
ここで私が鋭い視点と言っているのは、むろん批判や非難の激しさといったものでは決してなく、発展的な新しい視点という意味である。コラムが相当の影響力をもつという精神的重圧に加え、長期化・混迷化する事態の中でほぼ毎日新しい視点を提示するということの困難さを思えば、コラムに出来不出来が出るのは当然ではある。また、アメリカ批判を繰り返すことは、よほどのことがない限り「知的な」アメリカの友人を敵にまわさずにはおかないであろう。実際、この日のコラムは私にはそうしたアメリカへの配慮から書かれたもののように思えてならない。いい気になっている人にがつんと言ってやることは、気持ちがいいことどころか、どこか後ろめたいものだからだ。そんなにしょげないでくれよ。そんな目で見ないでほしい。わかったよ。悪いのはその口や手なんだ。君じゃない。またもとのようにいばってくれていいよ。ぼくさえがまんすればいいんだから。でも、できたら前よりはちょっと遠慮してほしいけど。ね、そうしよう。いや、どうかお願いします。そんな喜劇みたいなことはよくあることだ。しかし氏のコラムが相当の影響力をもち、それゆえに公的な側面をもつものである以上、そうしたことが許されるのか。
話を先の「知的なアメリカ女性」に戻すと、「なぜこんなにまで私たちは憎まれなければならないのでしょうか」という問いは、そのままその答えになっている。まさにそうした無自覚な「知的」盲目性のゆえに憎まれなければならないのだ。
まずもってそれは問いの形式をとりながら、何ものかへの純粋な問いかけになっているとは思えない。あえて次元の違いを恐れずにあげるならば、それは「なぜひとを殺してはいけないのか」とか「なぜ勉強をしなければならないのか」とかいったたぐいの問いかけに共通に見られる自己弁護の姿勢、もう少し深読みするならば、それに対する否定的な回答すら要求する姿勢を内に隠しもった巧妙なものいいなのだ。この無垢で純真なものいいの底に流れるのは、恐ろしいほど悪魔的な無知と隠蔽である。
わかりやすくするために新しい視点を提示しよう。私はこの女性の発言を心の中で反復しながら、それが中国や朝鮮から戦争責任をとわれ、謝罪を求められたときにわれわれ日本人が感じる意識とつながるものではないかと思い始めている。あれは国家間の戦争だったのだとか、昔のもう終わった話だとか、はっきりとした証拠がないとか、そうしたいっさいがっさいが明らかにするのは、この「知的な」女性と同じ精神である。少なくとも道義的に見て、この世界のある部分には責任があるが、他の部分についてはないと言えるのはよほどおめでたい人間である。自分を専門化し、自分の責任を囲い込んでいく姿勢。なぜ自分のささやかな幸せの中でだけ生きていってはいけないのか。人間は社会的な動物だったのではなかったか。ひとりでは生きていけなかったのでは。考えたくないこと、関わり合いたくないことには専門外。だれか自分ではない他の人の仕事。それに費やされるおそろしく「知的な」態度。
いや、これは皮肉ではない。今日、「知的な」人物とは専門家のことであって何でも屋ではないのだ。ある部分には責任をもち、ある部分には何ら責任をもたない。専門は何なのかがその人物のアイデンティティーにすらなりかわる。私は私ではなく、私が従事する何か専門的なことがらのことなのだ。しかし真に問われていることはそんなことではないことを、われわれは知っている。
憎まれるのはなぜなのか、なぜ戦後半世紀以上たっても毎回謝罪を求められ、それが前回よりも踏み込んだものだったかどうかが評価されねばならないのか。それはもちろん、この世界で起こってしまったこと、起きつつあることに対して、われわれがその成員として共感すべきだからなのだ。その存在が無に帰してしまわないように、無視され、隠蔽されてしまわないように、解釈され、もっと扱いやすい別のものへと転換されてしまわないように、われわれは常にその事実と向き合い、共感し、浸透することが求められているのだ。
真摯にその事実に応えること、その中に自身を投げ出して感じとること。それがここで問われている姿勢なのだ。どう責任をとり、どう謝罪し、だれが味方で、だれがそうでないのか。そういったことがらとは全く別の次元の話なのだ。
ためしに誰か本当に「知的な」人に聞いてみるといい。例えばサイードとかチョムスキーとかソンタグとかいった人に。アメリカのしていることはひどい。日本のしたこともひどい。そうした事実に共感することにどんなためらいがあるというのか。そしてこの話が言い知れぬ虚脱感をさそうのは、これが話の内容でも何でもなく、単なる出発点であるということだ。そこに立ってはじめてやっと話ができるといった、極めてごく当たり前のことであるということだ。そこに立つことすらこれほどに困難だということを目の前にして、どうしてそれほど楽観的になれるだろう。ましてやそれが「知的な」人物とあっては。
10月23日(火)
NHKの夜10時からのニュースでは、昨日に引き続き今日も、NHKが独自に行った取材やパキスタン・ジャーナリストというルートを通じて、アフガニスタンでアメリカがいったい何をしているかを精力的に明らかにしている。朝日新聞やインターネット上のCNN等のニュースを見てもさっぱりどうなているのかわからず、市民の被害について唯一提示されるのが例のタリバーンのザイーフ大使による発表であり、申し訳程度に取り上げられる氏の公表する市民の死亡数を、どうにも誇張したものに思わせていたが、昨日今日のNHKによる報道を見た後では、それがかなり実情に近いものに思えてきた。確かに湾岸戦争の折には、サッダーム(フセイン)がこれみよがしに子どもや老人の怪我人をテレビに映させたものだが、今回の取材はNHKによるものなのだ。NHKがわれわれをあざむいているなら話は別だが、その取材の内容はすさまじいものだった。アメリカは本当に軍事拠点とは思えないところまでねらって攻撃している。これは最小限の自衛措置などではない。最大限の他国干渉、武力による報復以外の何ものでもない。
おそらくアメリカによる武力行使が始まった時、人々の中にはまだある種の期待があったと思う。これが自由と民主主義を守る戦いであるなどというのは小学生でも信じない詭弁であるにせよ、世界の警察官、唯一の超大国として、度量の広い、節度ある振る舞いをしてくれるのではないか、すごい精度のハイパー兵器の導入によって市民の被害は最小限に抑えられ、最後には強力な政治指導力によってタリバーンからの譲歩を引き出せるのではないかという、甘い観測がいくらか残っていたのではないかと思う。しかし現実には他でもない、知性のかけらもない暴力による押さえ込み、市民の無差別な殺傷、せっそうも何もない北部同盟への支援によってアフガン国内の混乱や憎悪をよりいっそう深くさせ、パキスタンと交わしたアフガン攻撃の基地には使わないという約束すら守らずムシャラフ政権を崩壊寸前まで追い込んでいる。こんな横暴でめちゃくちゃで野蛮な解決方法が許されていいのだろうか。アメリカ以外の国には許されようはずがない。現にこの野蛮なアメリカがイスラエルの蛮行をいさめている最中なのだ。
今回の事件はむろん最初から戦争などではなかった。そして今アメリカが行っているのも同じく戦争などではない。これは明白なテロ行為としか言いようがない。私は自分がまるで植民地主義・帝国主義全盛の時代に生きているような不思議な錯覚を覚えている。力の強いものが利を制するのは当然という暗黙の了解のうちにすべてが進んでいくあのねじ曲がったとしか言いようのない時代。力の弱いものが強いものの要求をのむ一方、自分よりも弱いものをさがして同じことをしようとするあの背筋の寒くなるような非常識が大手を振ってまかりとおった時代。今は違うんじゃなかったのか? それはもうとっくに昔の話になっていたんじゃなかったのか? 日本は戦争をしないことにしたんじゃなかったのか。もう同じ過ちを世界が繰り返さないことに固く決めたのではなかったのか。アウシュビッツの後では詩を作ることは野蛮だというのは、こういうことだったのか。私はまだどうにも信じられない。どうして本気であんなことがつづけられるのだ。今も「作戦行動」などといってあの恐ろしい蛮行をつづけているのが私たちの一部で、それも世界の最良の一部と言われていたものなのだ。もうこの世にはユーモアなどない。ユーモアなど感じることこそ野蛮である。
10月22日(月)晴れ
図書館で、サイードとスイスの写真家ジャン・モアの共作による『パレスチナとは何か』("After the last sky", 1986。島弘之訳、岩波書店)を見つけて借りてきた。まだほとんど読んでいないが、土曜に本を借りて原題のもととなったというパレスチナの詩人マフムード・ダルウィーシュの詩を一読してから、ずっとそれが私の頭の中にあった。今日はじめてそのわけがわかった。この詩は私が大学の1年生のアラビア語の授業で、シリア人の先生から習ったものだったのだ。私は本当に頑固に勉強しない学生だったのでそんなことも忘れていたのだ。
最後の辺境も果てた後に私たちはどこに行けばよいのか、
最後の空も尽きた鳥たちはどこを飛べばよいのか。
本の扉にはこの2行のみが引用されているが、もとはもっと長いものだったと思う。今度ノートを探してみようと思う(たぶん残っていないと思うが)。
序文を読んでいると、ジャン・モアが写真家の知人にこの本について話すと、「パレスチナなんてもう古い」と言われるくだりがある。48年のイスラエル建国からすでに53年。その間自治区が認められるなどある程度の前進はあったものの、難民たちはずっと虐げられ、無視されつづけ、今だにイスラエルの圧倒的な軍事的脅威にさらされている。そこには古いも新しいもない。
思うにわれわれ生きものは、よくもの忘れをする。個人的なもの忘れはしょっちゅうであるし、ときには集団的健忘症とでも言うしかない現象を目にすることもある。忘れたい、直視したくないという欲求がわれわれをしてそうさせる。そして常にそれを厳しく戒め、思い出させようとする勇気ある人たちのことをうるさいやからとうとんじるのだ。時には裁判にかけて殺してしまうこともある。それほどにわれわれの怠惰、無知への欲求というのは強いものだ。
忘れてはいけないものがある。目をそらしてはならないものがある。最後の空も尽きてしまった鳥たちのことを、考えてもしかたない、何一つできることはないと思うことこそが、それなのだ。最後の辺境に住むもののことを想像しよう。そこに自らの身をおく勇気をもとう。彼らがたどったであろう苦難の道を、自らも引き受ける日のことを思い浮かべよう。