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テロリズム日記 11

(2001年12月11日〜12月23日)

Atsushi Kadowaki 2001

 

12月23日(日) ハマス、アーレント、ハイデガー

 昨日、ハマス(パレスチナの「イスラム過激派」)がイスラエル国内での自爆テロと迫撃砲攻撃の停止を発表した。これは武装闘争禁止を宣言したアラファト氏を強く支援することになるだろう。
  イスラエル国防省スポークスマンは「決定が実際に実行されるかどうかは、事実で判断する」と、先のアラファト氏の宣言に対するのと同じ姿勢を崩していない一方で、ペレス外相率いるイスラエル労働党出身の閣僚は、オスロ合意(パレスチナ暫定自治合意)破棄を求める法案が議題に取り上げられれば、労働党は連立内閣から離脱すると警告することを決定。悪化の一途をたどるかに見えた情勢も、シャロン首相を追い詰め、和平を再開するよう風は吹き始めた。

 『アーレントとハイデガー』(エルジビェータ・エティンガー、1995)を読んでいる。読むともなしに読み始めたのだが、どうもこうした俗なところのある本の方が読みやすくて、あっという間にもうすぐ読み終わりそうである。
 アーレントは『人間の条件』を半分くらい、ハイデガーに至っては1ページも読んだことのない私のような人間が読むための本ではないのだろうが、逆に二人の本当の業績を知らないだけに、ただの人間(そんなものはいないが)を描いたものとして、気楽に読み進めている。
 アーレントがみずからの反ユダヤ主義、反全体主義思想と真っ向から対立するハイデガーを正面から批判しないどころか、ハイデガーにはそんな思想はないのだと自らすすんで誤解していく経緯や、そうしたアーレントをうまく利用してしまうハイデガーの人間としてのもろさが、新たに公開された書簡をもとに、たんねんに描き出されていく。偉大な哲学者や思想家であれやはり人間なのだなどとこの本を紹介するのは実に平面的であろう。鋭い言説をもつ彼らだからこそ、自己を損なうことなく、他者を自己の中に定着させていく技量と危険性とを持ち合わせている。全て誤っているというものがないのと同様、全てが正しいというものはない。常に批判にさらされていくことを期待しながら、われわれは自らの生を進めていくということであろう。他を鏡として。
 事実をたんねんに描くことをもっぱらとし、安易に批判めいたことを書かないエティンガーであるが、めずらしく次の箇所では痛烈なハイデガー批判を行っている。
 「ほとんど六ページにもわたってタイプでびっしり打ってあるこのハイデガー版「アポロギア」(apologia pro vita sua)は、みごとな名人芸を示している。自分を犠牲者として描くことで、ハイデガーはナチが滅ぼした幾百万の人びとに自分をふくめた。彼はつねに彼の民族の気分に調子を合わせてきた。ナチの隊列に加わったときも、自分を犠牲者に――ナチの犠牲者、つぎには連合軍の犠牲者に――仕立てたときもそうである。いずれの場合にもそこからたちあらわれる彼の姿は勝ち誇り、改悛せず、自責の念がない。彼はみずからの信条や意見を撤回しなかった。非を認めなかった。ついにいちども公的に(ハンナ・アーレントやカール・ヤスパースにたいしてのように私的にも)ナチの残虐非道を非難しなかった。ヤスパースに言わせると、彼――「私の精神的な敵」――は人間としての自分の至らなさがどんなに深いか把握できなかったがゆえに、すこしも変わることができなかったのである」(前掲書、大島かおり訳、p90)
 また、鋭い批判的な言説に満ちた文章の中では見落とされてしまうような、次のような感性の浸透はどうだろう。
 「彼(アーレントの夫ハインリッヒ・ブリュッヒャ−)は彼女(アーレント)のディレンマの深さも恐怖も理解しなかった。彼女がおそれていたのは、またしても、しかもこんどはマルティンとエルフリーデ・ハイデガーの両方から、屈辱を受け、操られること、そして自分が三十年まえとおなじ屈従的な位置にいるのを思い知らされることだった。それはブリュッヒャーには、いかに彼の感受性をもってしても、理解できない絶望だった。自分で自分を苦しめるロマン主義的な苦悩は、彼には縁遠かったのである」(前掲書p138)

 

12月20日(木) 「映像」・「ヴィジュアル」

 昨日、映画とテレビという話が出たところで、先日読んだ『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン/映画の21世紀]U』(勁草書房、1999)に掲載されている文章「映画とは何か――セルジュ・ダネーによる「湾岸戦争」」(梅本陽一)が同じテーマを扱っているので、少し紹介したい。
 この文章の中で梅本氏は、巨匠ジャン=リュック・ゴダールと映画評論家セルジュ・ダネーのふたりを引き、映画とテレビについての

 そもそも言葉をもたないもの、すなわちサイレント映画として始まった映画は、ゴダールにとって「大人になり損ねた」「ひとつの芸術の幼年時代」だという。それが後にトーキーに変じ、文学や演劇を源とするテキストやシナリオに牛耳られることになったのだと。
 これに対し、テレビについて彼は「いま文化をつくっているのはテレビだ」という。「映画は文化ではなかった。メディアというのはる・モンドやアンテーヌ2のことで、そこに文化がある。映画も絵画も文化ではないのだ」
 このテレビと文化についての深い理解は、次のような洞察に基づいている。
 「文化というのは欲望に対応するものだ。(中略)もし人が必要なものしか充填しないとすれば、欲望を充填することはない。テレビで芸術派作れない。テレビは芸術を生むために生まれたのではないからだ。テレビは放映するだけで、生産はしない。それにいつも同じ映像を放映している。(中略)ヴェトナムにもカンボジアにも、強制収容所にだって幸福な映像があったはずだ。テレビで何かを作り出そうとはしていないのだ。テレビには仕事があり、ポストがあるだけだ。だからテレビは忘却を産む。それに対して映画は記憶を作るのだ」
 芸術は文化ではない。なぜなら文化とは権力や欲望と結びついたものだから。そのように私はこれを解釈する(少し荒く紋切り型の解釈だろうか)。

 これをさらにわかりやすく述べたのが、ダネーの湾岸戦争時における次のようなテレビ批評だ。
 「ほとんど払われていないテレビがなぜ全員によって見られるのだろう。答えは単純なものかもしれない。テレビが見られているのは、そこに現実主義的なもののすべてがあるからである。テレビは本当のことを言い、完全に情報を伝える。テレビはわれわれの精神的な酸素の真の汚染なのだ。人はエコロジーの名においても呼吸するのをやめないように、テレビにも犯行しないのである。(中略)テレビがわれわれに(株式市場やトップ50と同じように詳細に興奮をそそるような)そのニュースを与え続ける唯一の世界は権力によって見られた世界(「月から見た地球」と言うように)なのである。テレビがなければ、誰に権力があって、誰に権力がないのかをどうやって知ることができるだろう」

 梅本氏はこれにさらなる解説を付す。
 「現実主義的なものの全体像を構成するのが「資本」であるならば、テレビは「資本」を構成しないものを「放映」しない。権力とは、権力者を指すのではなく、資本そのもののことだ」

 やがて文章は、ダネーの次のような「区別」を引用することで、結語へと向かう。
 「私は「映像」と「ヴィジュアル」の間に明確な区別をしようと決めていた。ヴィジュアルというのは、純粋な技術的な既往の視覚的な確認であるだろう。ヴィジュアルには切り返しがない、何も欠けているものがないからだし、円環のように閉じられていて、器官の昨日の恍惚とした確認であり、それだけでしかないようなポルノグラフィックなスペクタクルの映像に近いものだ。それに対して映像とは――映画館で私たちはそれをみだらなまでに愛したものだったが――むしろヴィジュアルとは反対のものだろう。映像とは常に諸力のふたつの分野の間の境界線に生起するものであり、映像は、ある種の「変容」を証言する運命にあり、だから、たとえ映像が常に堅い中心を所持していようと、映像には常に何かが欠けているのだ。映像とは、常に映像以上のものであるか映像以下のものである」
 これについての梅本氏の解説はこうだ。
 「「映像」がふたつの分野の境界線上に生起するなら、そこには常に対になる方法が存在している。たとえば切り返し(構図―逆構図)、そしてフレームの内部と外部、映像と音声...。「ヴィジュアル」には、そのふたつの間の乖離は存在しない。ダネーが言うとおり、フレームの内部は真実であり、唯一の真実に切り返しは不要だろうし、音声は常に映像を解説するものでしかなく、たとえばゴダールの「映像」のように映像と音声を同等の資格で扱うが故に起こる、映像と音声の間の亀裂も生涯も存在しない。のっぺりとした一元的な「権力によって見られた世界」、つまり「資本によって見られた世界」――それこそ「ヴィジュアル」なのである」

 これらの議論を読んでいると、写真と絵画について言われていることに思い当たる。絵画はどれほどリアルに描いたとしても、虚構であり、絵画であるが、写真はどれほど虚構に満ちていようとも、リアルなものとして、現実として認識される。
 どこまでいっても虚構であるもの、どこまでいってもリアルであるもの。こうした殻を破る手立ては、結局それらを成り立たせているものについて目を向けることであろう。例えば写真をもちいてリアルな絵画を完成させたゲルハルト・リヒターの業績は、こうしたところに求められるであろう。彼が東ドイツという、冷戦の産物の中で生まれ育ち、祖国を捨ててでも保持しようとした視点。  

 

12月19日(水) 『キプールの記憶』

 朝日新聞2001年12月16日朝刊「芸能」欄に、イスラエルのアモス・ギタイ監督による映画『キプールの記憶』の紹介記事が載っている。ギタイ氏は「20本を超える長編を撮っている」監督として紹介され、映画は「73年、イスラエルがシリアやエジプトなどと戦った「ヨム・キプール戦争」(第4次中東戦争)を舞台に、自らの体験を色濃くにじませた作品」だそうだ。
 映画は、負傷兵を病院へ運ぶ後方支援部隊を描いたもので、「派手な戦闘場面はない」。また「画面に敵は出て」こない。それは映画をカリカチュアにしたくなかったからという。
  「映画はハンバーガーのように、皆に好まれる商品であるべきではない。対象との間に対話を作るメディアだ。敵国の人々がこの映画をみて、どう受けとめるかを考えた結果なんだ」
 「敵国」という言葉に私は正直驚いた。それは実際には何と言われたのか。本当に敵「国」という言葉を使ったのか。それはパレスチナを国家としてとらえたのかとも思ったが、まさかそんなことはあるまい。それはもちろん、アラブ側が「十月戦争」と呼ぶこの戦争の相手国であったエジプト、シリアを中心としたアラブ諸国のことなのだろう。そして彼らイスラエル人は、ほとんど闘争の手段をもたないパレスチナ人に対しながら、彼らの背後にひかえている専制的で腐敗がはびこり、アラブの大儀やイスラムの結束を自らの政治的手段としか考えていないアラブ諸国の支配者たちを見ているのだ。だからいくら投石や自爆テロによってしか対抗できない彼らパレスチナ人を蹂躙し、子どもたちをふくめた彼ら民衆すべてを相手に銃撃戦を行い、武装ヘリでミサイル攻撃を行っても平気でいられるのだ。
 「イスラエルはニュース映像で、いつもその場限りに描かれてしまう。しかし、テレビと映画は違う。政治的メッセージでなく、映像を使った考察のために映画を作る」
 この発言とほとんど同じものを私はパレスチナ人の言葉の中にも見る(パレスチナはニュース映像で、いつもその場限りに描かれてしまう。覆面をしたテロリストとして)。しかしこの類似性はいったい何だろう。それとも驚くにはあたらないのだろうか。敵対しあっている「敵」どうしは、常に同じことを感じ、考えることによって、敵として成立するものなのかもしれない。
 しかし問題なのは、そうした構図の中にがっちりと取り囲まれ、翻弄されつづける人々がいる一方、それを故意に放置し、助長し、利用する権力装置が存在するということだ。そうした見方をしたとたん、ギタイ氏がもっとも避けたかった「カリカチュア」が湯水のようにあふれ出て、その意図もろとも映画を取り囲んでいくように私には見える。それとも、そこまで見込んでの「映像を使った考察」なのだろうか。「敵国の人々がこの映画をみて」、われわれも君たちも同じようにだまされている。今こそ手を取り合って、われわれに敵対心を植え付けることで私腹を肥やしているやからをいぶりだそうとでもいうような。

 

12月18日(火) アラファトの武装闘争禁止宣言

 パレスチナ自治政府のアラファト議長が16日(日本時間で17日)、パレスチナの民衆に向けた武装闘争を禁止する宣言を行った。
  同じくパレスチナ自治区の「イスラム過激派」ハマスはこれに対し、「パレスチナ人の抵抗を阻止するもの」と拒否声明を出したそうだ。「パレスチナ人がイスラエル軍の攻撃に対抗する唯一の手段」である自爆テロを、「テロと規定することは受け入れられない」との姿勢からだ。
 一方、イスラエルのシャロン首相は公式見解を出すことなく、この宣言を無視しているが、同宣言について、今朝の朝日新聞朝刊の「私の視点」欄に、駐日イスラエル大使のイツハク・リオール氏が寄稿しており、おそらく氏の見解はシャロン氏の見解とそう違うものではないだろう。つまり、アラファト氏の宣言は言葉だけに過ぎず、パレスチナの「テロ組織」を解体し、イスラエルに対するいっさいの「暴力」を停止する以外に交渉の余地はないというものである。
 こうした見解は実に明快で、もっともなことに映るのだが、実情を少しでも知ってしまったものには、どっしりとして動かしがたい壁に直面したような、何とも憂鬱な気分にさせられる。同じ事実を指して、まったく別の言説が成り立つという奇妙な、しかし今日当たり前の現象に、改めて頭がくらくらしてくる。おそらくこうした魔法のようなお話が成立してしまうのには、集団的な意識的・無意識的な忘却や無視、省略や曲解をさせるための強力かつユニークな装置があって、それがまるであたかも何かすぐれたものででもあるかのように大切にされているのだと思う。
 例えば、リオール氏はイスラエルが被っている被害として、次のように訴える。
 「商店街やバスでは、自爆テロが続発。家族連れが、機関銃による待ち伏せ攻撃で倒されたり、スクールバスが道端から不意に襲撃されたりしている。エルサレムでは、自宅にいる人が狙撃されている」
 一方、昨日の朝日新聞朝刊によれば、14日、数十台の戦車、装甲車、ブルドーザー、武装ヘリがパレスチナ自治区ヨルダン川西岸にあるサルフィトへと侵入し、住民に対し銃撃を開始。PLOに属しているということでマークされた人物数人を家宅捜索し、拘束できないとみるやブルドーザーで家を壊したり射殺したり。射殺した者に関しては遺族に確認をさせ、結局町全体では6人を殺害、20人を拘束。むろん、銃撃戦は子どもも住む中で行われている。
 また、私もめったに見ないテレビで見せられたが、イスラエル軍の武装ヘリはパレスチナ自治政府の施設をミサイル攻撃しており、この衝撃で住民がショック死するなどしている。
 こうしたふたつの同じ場所の中での出来事を前に、どうしてリオール氏のような「きれいな」見解を述べることができうるのか。氏は言う。「民間人が巻き添えで被害にあうのを避けるために、あらゆる措置を講じている」と。
 唯一の希望はイスラエルのペレス外相だ。現実は人々の思い描きたがっている理想よりもずっと乏しく、貧しく、つまらないものだ。しかしその小さな果実をみなで分け合う方法を考え出すものこそが知性であり、政治の力に他ならない。何かを手放す勇気を人に与え、それによって得る新しい地平に価値を与えることができるかどうか。

 

12月16日(日) 欠席裁判

 アメリカは13日、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約を離脱するとともに、地下核実験を行ったという。
 ビンラディン氏の犯行を決定的に裏付ける証拠となるビデオも公開されたが、これは事件の2か月後の撮影とされ、これをもってアフガニスタン攻撃が行われたわけではない。結果として氏の犯行である可能性が限りなく高くなったが、やはり攻撃は見切り発車だったのだろう。

 今朝の朝日新聞朝刊には、「イスラムに責任はないか」と題するふたりの論者による討論の様子が紙面のほぼ1面をつかって掲載されている。ふたりの論者とは国立民族学博物館総合研究大学院助教授の臼杵陽氏と東洋英和女学院大学教授池田明史氏である。
 このふたりの政治学者が「イスラム」という名で語るものは、どうも実態を伴わないもののように思えるのだが、なぜなのだろう。ふと私はカミュの『異邦人』で、ムルソーが自分ぬきで裁判が行われているように感じる場面を思い出した。そこで行われる議論は、まるで最近読んでいるポストコロニアリズムから言えば「本質主義」的であり、文化を同質としてとらえる姿勢そのもののように思える。こんなことを新聞紙上でうかつにも堂々とのたまわっておられるが、これらの人々から蜂の巣にされるのではないかと私の方が心配してしまう。
 思うに、われわれ一般の日本人が――日本のイスラム学は非常に高い水準にあるそうだが――イスラムに対してなじみがないために、「専門家」と目される人々(これもテロ事件後突然増殖し始めたように私には見えるのだが)の作り出すイスラム像を批判的にとらえられない結果、こうした議論を何か価値あるもののように思ってしまう。しかも新聞ではほぼ一面すべてを使う力の入れようなのだから、このメディアのお墨付きによって、よもやこの両者の議論に問題があるのではないかと批判的に読むことは難しくなってしまう。
 しかし私はイスラムであろうが何であろうが、ものの見方としては同じだと思う。結局のところ現代社会は西欧文明のほとんど暴力的な無意識の中にある。それが中心から周辺へ向かって阻害される度合いを深めながら広がっていき、阻害されるものもそれより周辺のものを重層的に阻害していく連鎖の中につかっている。「問題は責任回避の主張」「自己批判の精神が必要」などという池田氏の「主張」には全く切れがない。ばかばかしいくらいに空虚である。これはおそらくこうした認識に立ったもの言いではないからだろう。
 イスラムをなじみのないものとして特別視する姿勢は、その問題からの責任回避の姿勢を内に含んでいるようにも思える。「テロ問題だって、経済問題だって、日本だけよくなることはできない」というアフガニスタン支援問題政府代表に選ばれた緒方貞子氏の「善意」の発言を待つまでもなく、日本自身、植民地をもつ帝国であったという事実は、かつて植民地として犠牲を強いられ、それが今日の従属的地位にまでつづいている地域に対し、今現在もかたちを変えながらその支配をつづけ、助長しているという意味で極めて重い責任をもっていることを意味しているのだ。
 「北朝鮮の内部はかなりの問題が含まれた社会ですが、その問題はまた別の次元の問題なのであって、朝鮮半島の分断と統一の問題を、日本のコロニアリズム、ポストコロニアリズムの問題として受けとめるということが必要であると思います」(姜尚中編『ポストコロニアリズム』作品社、2001、p27)というイ・ヨンスク氏の指摘には目の覚まされる思いがする。これに対し、先の発言はどうであろう。現代イスラム国家に問題が山積みなのは誰が見ても明らかである。独裁政権、傀儡政権、王族支配。しかしそれが植民地時代の遺物であり、今なおかの地を苦しめているのがまさにその西欧システムであるという事実に、少しでも考えが至るならば、「自己批判の精神が必要」「問題は責任回避の主張」などという上滑りで得意げな「主張」など出てきようがないではないか。

 

12月14日(金)

 本屋で姜尚中編による『ポストコロニアリズム』(作品社、2001)を買う。小学生の頃持っていたウルトラ何とか図鑑そっくりの安っぽい装丁には難があるが、帰りのバスの中で読む。
 「多数者としての「フツーの日本人」対「傷を負った少数者」が「わたしたち」と「彼ら」を分かつ二分法的なモードとなってきた」(前掲書p3)ことで、日本による植民地支配の問題が真剣に取り上げられてこなかったという指摘は鋭い。
 第T部の「なぜ今、ポストコロニアリズムなのか?」と題する座談会では、戦後日本の「懺悔」が「あの戦争」を悔いるものにしか向かわず、戦前から戦中へと連続的に続いていた植民地支配を直視する姿勢が培われてこなかったというイ・ヨンスク氏の指摘に対し、三谷太一郎・小森陽一両氏は、それが冷戦体制によって隠蔽されてきたことを指摘する。
 「ここでもう一度、植民地支配の側と支配される側が、一種の鏡の関係になているということを思い出したい。戦後のアメリカの占領政策とその後のアジア戦略は、かつての日本の大東亜共栄圏構想というものを、鏡の関係で反復するものだ、ということになる。もちろん全般的に同じということではないですが。そういう意味で、アメリカという国家がアジアにおいて果たした役割というのは、おそろしいほど日本に酷似している」(前掲書p17、小森陽一氏の発言)。
 ここでの指摘は、戦後のアジアが置かれた状況が、日本の植民地支配からアメリカによるそれにすりかわっただけというものだが、逆に言えば今日あれほどに憎まれているアメリカのグローバル化という名の「植民地的無意識」に基づく経済帝国主義と日本とは、外から見ればほとんど双子のように見えるのではないか。景気の後退でいくぶん同情を買うことのできた日本に対し、絶好調だったアメリカがねらわれたのは、それが脳天気なほどにわかりやすいものだったからで、結局やっていることも考えていることも、たいして変わりない日本が憎まれていないわけはない。
 今日アメリカに向けられたさまざまな批判を、自分のこととして受けとめていく必要が、われわれ日本人にはあるだろう。冷戦の名のもとに、すべてが帳消しになった時代は過ぎ去った。ここでやっとわれわれは、われわれ自身が行った植民地支配の現実と向き合うという意味ではじめて「戦後」を迎えることになったのである。

 家に戻って今朝の新聞を手に取ると、イスラエルがパレスチナ自治政府との断行を言い渡したとのこと。まさにわれわれの世界は、冷戦前の、植民地支配を清算する時期にきているということだろう。

 

12月12日(火)

 事件から3カ月。この間、アメリカの憎悪はアフガニスタンへと向かい、連日の空爆と「北部同盟」支援により、歴史的に見て不可能と言われていたアフガニスタン制圧も目前となった。「元国王派」「北部同盟」などによる新たな政権作りの合意もでき、何やらまるで「暴力は何も解決しない」どころか立派にすべてを解決しているかのように見える。
 一方この政変劇の間、当然のことながらアフガン国内では多くの血が流され、その数はアメリカでのテロ事件の犠牲者(結局は3045名と大幅に「縮小」)を軽く上回るのではないかと思われる。
 さらに、このテロ事件の遠因とも言えるパレスチナでの不公正は、日々絶望的な様相を呈しており、最後の希望ともいえるイスラエルのペレス外相が政権離脱を検討しているというニュースには、暗澹たるものを感じずにはいられない。

 この事件を機に、「世界は変わった」と言われる。むろんこの事件に強い影響を受ける立場にある人たちだけが口にする、局所的なもの言いであって、「世界」が変わったと言うかげには「われわれ」=「世界」という含みがすけて見えるわけではあるけれど、その影響の範囲内にある私、あるいは私たち日本人にとって、ではいったい何が変わったのか。この件について改めて書いてみようと思う(つづきはこちらへ。これから書きます)。

 

12月11日(月)

 今朝の朝日新聞朝刊には、米オレゴン州ポートランド市警察署長マーク・クロカー氏が、FBIへの捜査協力を、人種だけを理由に特定の人々に尋問することを禁じた同州法に基づき拒否したという記事が掲載されている。FBIは全米各地の警察に対し、国内の外国人イスラム教徒へ「テロ事件に共感を覚えるか」等の質問をするよう求めているという。
 捜査協力を拒否したことについてクロカー氏は、「私は法律に従っているだけだ」という。「長い警察生活の中で、法を破ってでも行動しろ、と世論が求めたことはこれが初めてだ」「『いまは戦争だ』という理由で法を無視することはできない。人々の自由は我々警察の手の中にある。権力には責任が伴う。権力を規定するのは法律だ。ムードが変わったからといって、その法をふみにじることはできない」。
 人々の自由が警察の手の中にあるかどうかの是非は別として、こうしたいたってシンプルかつ的を得た職業人的態度というのは、実に小気味いい。一方では融通がきかない、冷淡といった批判もあろうが、公の奉仕者としての公務員のとるべき姿勢として、見習うべきだろう。
 これについてインタビュアーはこのように問う。「なぜそこまで固い信念をお持ちですか」。おそらく愚問とでも言うべきものであろうが、実はクロカー氏の次のようなこたえによって、実りあるものになっている。
 「ボスニアやルワンダで、文民警察官として働いた経験から得た教訓です。オレゴン州くらいの大きさしかないボスニアでは25万人が戦争で死んだ。ナショナリズムや民族の価値が、法の支配より優先したからだ。ルワンダでは、対立するフツ族の囚人200人を監視しているツチ族の警官に会った。彼は家族全員をフツ族に殺された。『囚人に復しゅうしたいか』とたずねたら、彼は『私はすべてを失い、持っているのは法だけだ。法を曲げたときに何が起こるかを我々は学んだ』と答えた」。
 「悪法も法」と毒杯をあおいだソクラテスの姿が思い浮かぶ。硬質の、確かな大地の手ごたえを感じるようなこの感覚は何なのだろう。

 

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