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絵画について語ること

 

 ものを見て思うこと、感じることは各人各様で、しかもそのひとつひとつが本当の意味で特別なことであり、ユニークなことだと言えます。その特別さ、ユニークさは、決して語り合うことができず、語ろうとすればするほどに、言葉の上からすべり落ち、自分がいったい何に対して驚いたのか、それがどんな風に自分にとって特別なことに思えたのか、その印象を思い出すことが難しくなっていくような、そんなたぐいのものでしょう。 そして、こうしたことを取り立てて書くことが、どこか子どもじみた感傷のように思えるのは、まさにそれが言語の習得の過程で乗り越えられるものであるからです。自分にとってしか意味をなさない言葉や記号、しぐさ、印象、出来事。そうしたものを私たちは子どもの頃には誰しもが当たり前にこれ見よがしにもっていました。しかしそれはいつしか唯一のものではなくなり、やがて自分にとってのみ意味のあるものよりも、より多くのひとびとにとって意味のあるものに目が見開かれていきます。それは悲しいことでしょうか。 私は、私の特別な印象を表わすことができず、伝えることもできない。それどころか、そうしたものを無意味な子どもじみたものとして、厚い覆いの下におしこめて生活している。ではいったい私とは何ものなのでしょう。自分にとって特別な意味をもつものを、それとして声高に主張することもできないような存在なんて。
 もちろん、私たちはそれを捨ててしまったわけではありません。覆いの下に隠して、そっとそれを持ち歩いてはいるのです。「確かさ」を手に入れるため、「確かさ」という名の何ものにもかえがたいもののために。そしてそれぐらい落着けることはありません。何と言っても「確かさ」なのですから。 もう大人になってしまった私たちは、それを否定することはできません。ただ、ふとそうした「確かさ」の間の亀裂のようなものを見つけては、今度はそこで安らごうなどと思っています。「確かさ」は「不確かさ」があってはじめて「確かさ」たりえるものですから、時折それにふれることは、「確かさ」を確かめるために必要なことでしょう。絵画はそうした場所を与えます。出来うれば、私の絵画もそうした場所となることをと思います。

2002/8

 

あひるの書斎

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