"THE JAPAN TIMES"

 

新聞配達

 

 北国の朝は遅い。冬はのしかかる寒さとあいまって、まるで洞窟の中を歩いているようだ。そんな中を、小学生の私が母と新聞配達をしている。
  いつの頃からか、ずっと専業主婦をしていた母は新聞配達を始め、それはずいぶんと長く続いた。覚えているのは、母が最初にもらったアルバイト代で、家族のみんなにプレゼントをしてくれたことだ。私は素直に嬉しかったが、自分のお金でひとにものを買ってあげられるという確かな自由、そんなものがあると気づいたのは、ずいぶん後のことだ。私は母の仕事を手伝ってみたいと思った。

  仕事というものの持つ、何かがっちりとした喜びのようなもの。思えば私が働いたのは、あれが初めてのことだった。誰もがまだこんこんと眠り続けている時間にひそかに動き回るうきうきとした気持ち。昼間に見るのとは全く違う通りの様子、音、におい。黙々と配るうちに減っていく新聞の束。薄暗いあやしげな電灯のついた玄関。一件で二部とっている家。新聞の入らない小さな新聞受け。
 一度だけ、新聞が一部余ってしまったことがあった。配達もれがあったのだ。母は何度も考え直したがわからない。時間ばかりが刻々と過ぎていった。販売所で深々と謝って家に帰った後、配達先のリストを作って配達もれの家をやっとつきとめ、私が学校に出かける頃、販売所に連絡をしていた。あってはならないことなのだ、と母は言った。毎日きちんと届くこと。それが当たり前のことなのだ。その、奇跡のような永遠の繰り返しが、この世の全ての支えなのだ。
  新聞配達の思い出は、そのことを私に思い出させてくれる。その確かさの持つぬくもりを。

Atsushi Kadowaki 2001.6.13  

 

次のページ

あひるの書斎

ホーム